眠れない夜にふと蘇る名前
布団に入ってしばらくして、ふと目を開ける。部屋の暗がりに天井の影がぼんやり浮かぶその瞬間、「あの書類、提出したっけ?」という声が頭の中に響く。昼間はすっかり終わったと思っていた案件が、夜になってから突然記憶の中で騒ぎ出す。毎度のことだが、この「思い出し時間」は心の平穏をズタズタにする。終わったはずなのに、なぜか完全には信じられない。何年司法書士をやっても、この感覚には慣れない。
完了したはずの案件が脳内をリピート再生
たとえば、午後に確定申請を済ませた相続登記。事務員にもチェックしてもらい、申請書はオンラインで送信済み。それでも夜になると「印鑑証明、添付したか?」と不安になる。頭では「やってる」と分かっていても、映像のように手元の作業風景を再生しようとする。実際に寝室で目を閉じながら、脳内では事務所の机に座って書類を確認する自分が浮かぶ。これは一種の職業病だと、誰に言われなくても分かっている。
ミスを恐れる心が作り出す妄想の補完作業
思い出せない部分を脳が勝手に補完しようとするのか、記憶にない工程を夢のように作り出してくる。「提出していない」という幻の映像すら出てくる始末だ。朝になって出勤し、控えファイルを確認して「やってた」と分かるまで、その妄想はリアルに居座る。まるで幽霊に取り憑かれたような気分だ。「慎重すぎる性格が仇になる」とはよく言うが、この仕事ではその慎重さが必要不可欠。だが、それに心が引きずられる夜も、どうにもならない。
なぜ夜中に限って思い出すのか
昼間は目の前の仕事や人付き合いに追われて、気になっていたことも頭の片隅に追いやられている。だが、夜になって静寂が訪れた瞬間、隠れていた不安や曖昧な記憶が顔を出す。まるで、心のゴミ箱が深夜に自動的に開くような感覚だ。そんなときに限って、過去の書類や依頼者の顔がリアルに浮かぶ。「今さら思い出してどうする」と自分にツッコミを入れつつも、眠気はどこかへ消えていく。
日中の緊張がほぐれたときの反動
仕事中は常に神経が張り詰めている。電話応対、依頼者との打ち合わせ、書類の確認…。それらがひと段落してようやく落ち着いたとき、心がゆるみ、同時に守っていた“安心感の皮”がはがれる。リラックスすれば眠れるはずなのに、心の奥では「本当に大丈夫だったか?」と警戒アラートが鳴り出す。まるで疲れた野球部員が試合後にミスの記憶を反芻するかのように、思考は勝手にリプレイを始める。
安堵の瞬間にやってくる「待てよ」の声
「よし、今日も無事に終わった」と風呂に入り、ビールを開けたその瞬間に「待てよ、あの戸籍って全部取れてたか?」と頭をよぎる。この“待てよ”は、司法書士にとって一番厄介な存在だ。油断のスキを突いてくる名探偵のように、日中見落としたかもしれない部分をえぐり出してくる。それに気付いてしまう自分も嫌だが、気付けないでいたらと思うと、もっと怖い。
事務所に戻れないもどかしさ
思い出したところで、深夜に事務所へ戻れるわけでもない。自宅と事務所は車で20分、そんな距離感が余計に無力感を募らせる。コンビニでコピーを取り直すこともできないし、誰かに確認を頼むこともできない。「明日確認すればいい」と分かっていながら、それまでの時間がもたない。枕元にスマホと手帳を置き、眠れぬ時間をひたすら耐えるしかないのだ。
朝まで待てばいいだけの話なのに
「明日やればいいだけ」。たしかにそうだし、それが正しい。だけど、それができるならこんなに苦労してない。司法書士としての責任感が、「今すぐ確認しなきゃ」という焦燥感に変わる。睡眠を削ってでも確認したくなる衝動。これはもう癖というか、呪いみたいなもので、夜の静けさがその声を何倍にも増幅させてくる。
待てない性格が自分を追い詰める
私はもともと、野球部時代から「すぐ動け」が体に染み込んでいた。次のプレーに備える、次の指示を出す、それが染み付いてるからこそ、今すぐ何かできない状況に強くストレスを感じる。司法書士という仕事も、常に“準備”と“確認”が重要だ。だからこそ、夜中の「思い出し」は、自分の性格と仕事の特性がぶつかり合う時間なのだ。
解決法は分かっているのに実行できない
メモを取る、タスク管理アプリを使う、夜は考え事をしないようにする…。そんな対策はわかっている。でも実際に布団の中で思い出してしまったら、そんな方法なんて飛んでいってしまう。結局、翌朝の自分に任せるしかないのに、それができないのがもどかしい。完璧主義とまでは言わないが、不安を抱えたまま朝を待つのは、なかなかの精神修行だ。