忙しい時ほど雑談が長引く日常と向き合う方法

忙しい時ほど雑談が長引く日常と向き合う方法

なぜか重なるタイミングの悪さ

本当に不思議なもので、こちらがバタバタしている時に限って来客が増え、電話も鳴り止まず、そして追い打ちをかけるように雑談好きな人がやってくる。まるで“忙しさセンサー”でも付いているのかと思うほど、絶妙なタイミングで登場する。登記の締切が迫っている日や、役所とのやり取りで神経が張っているときに、「いや〜、最近暑いですね〜」から始まる雑談に付き合わされると、頭の中では別のアラームが鳴り響いている。

「今じゃなきゃダメ?」の心の叫び

相手に悪気がないのは分かっている。だからこそ強くは言えない。でも、心の中では「今じゃなくていいだろ!」という声が響いている。例えば、登記申請の添付書類をチェックしていたとき、すっと後ろに現れた業者さんが「いや〜最近釣りにハマってましてね」と語り出す。え、今? 釣り? 頭の中はもう魚ではなく、書類のページ数が気になってしょうがない。だが、笑顔を作って「へえ〜いいですね〜」と応じる自分がいる。元野球部の上下関係への刷り込みが、今も邪魔をしてくる。

用件3分 雑談30分の現実

たまにあるのが「ちょっとこれだけお願いしたいんですけど」と資料を1枚持ってくる依頼者。そのお願い自体は3分で済む。しかし、そこから「そういえば最近こういうことがあってね」と話が延々と続く。しかも、その話の着地点が見えない。こっちは「あと30分で公証人役場に電話しなきゃ…」と焦りながら、頷きマシーンと化している。気づけば時間は30分超え。そんな日が月に何度もある。優しさと効率、どちらを優先すべきか、毎回悩む。

人の話を遮れない性格が裏目に出る

私自身、口を挟むのが苦手な性格だ。相手が熱を入れて話していると、「まあ、最後まで聞いてあげるか」と思ってしまう。でもそれが結果的に自分の首を絞めることになるのだから、情けない。誰も頼んでいないのに、勝手に聴き役になって、勝手に疲れて、勝手に時間をなくしている。

元野球部の上下関係と忍耐の名残

これは間違いなく、学生時代の部活の影響だ。特に野球部では先輩の話を最後まで聞くのがマナーだったし、途中で割り込むなんてありえなかった。そういう姿勢が社会に出てからも無意識に出てしまう。たとえ相手が年下であっても、真剣に話していると感じると、「聞かなきゃ失礼だ」という義務感に囚われてしまう。結果、作業が止まり、集中も切れる。でもやっぱり、頭ごなしに遮るのは自分の中でできない。器用な人間ではないのだ。

優しさが時に自分を追い詰める

雑談してくれる相手が、実は寂しさを紛らわせているのかもしれないと思うと、邪険にできない。地元のおばあちゃんから相続の相談で来られたとき、話の8割が家族の愚痴だった。それでも「うんうん」と聞いているうちに、本人が涙ぐんでいたこともある。そんなとき「聞いてよかった」と思う自分もいる。でも、それが毎回続くと、さすがにしんどい。優しさが自分を削っていく感覚になる。

事務所の小さな空間が逃げ場を奪う

地方の小さな司法書士事務所、逃げ場はない。ワンルームの事務所、入ってこられたら終わりである。応接スペースと作業机が一体化しているから、書類を広げていても、突然の来客に強制中断させられる。そして、「ちょっといいですか?」の声が聞こえた時点で、内心「ああ、今日もやられた」と諦めモードに入る。

ドア一枚が生む閉塞感と無力感

打ち合わせ中でも、事務所のドアをノックもなく開けて入ってくるおじさんたち。地方ではまだ「近所感覚」が根強く、訪問のハードルが低すぎる。こっちは不動産業者との電話中、契約の細かい確認をしている最中でも「いや〜この間の登記、よかったですよ〜」と話しかけてくる。応対しないわけにいかず、電話を一度中断。再開する頃には、電話先の相手もイライラしている気がして、またストレス。ドア一枚で世界は変わるというのを、毎日感じている。

事務員さんとの気まずいアイコンタクト

事務員さんも分かってくれている。雑談が始まると、作業の手を止めてこっちをチラチラ見る。でも私がうまく断れないのを知っているから、目で「またですね…」というサインを送ってくる。そのたびに、申し訳なさと情けなさでいっぱいになる。雑談が終わった後、沈黙の時間が流れるのも、気まずさを倍増させる。逃げられない空間にいる我々は、ある意味、運命共同体だ。

雑談がもたらす仕事への支障

雑談は時に仕事の流れを完全に断ち切ってしまう。頭を使う仕事をしていると、一度中断されると、元に戻るのに何倍ものエネルギーがいる。しかも、その間に別の電話や来客が入れば、もうその日は「流れ」を取り戻せないまま終わることもある。

集中力を持っていかれる瞬間

不動産登記の案件で、地番が複雑に絡み合っているとき、集中して地図を見ている最中に雑談が始まったことがある。話が終わったとき、さっきどこまで見ていたか全く思い出せない。書類のページもぐちゃぐちゃ、メモの順番も分からなくなり、結局その作業は翌日に回した。たった10分の中断が、1時間のロスになるのがこの仕事の怖いところ。そんな日の夜は、悔しさと無力感でビールが苦くなる。

細かい登記ミスの裏にある雑音

登記ミスは基本あってはならないが、人間である以上、集中力が切れた瞬間にうっかりが生まれる。特に、住所の丁目や地番の数字の転記ミスは、雑談後によく起こる。書類を見直して、「あれ、こんなミスしたっけ?」と気づいた時の冷や汗は毎度嫌なものだ。雑談は「音」としては心地いいのかもしれないが、登記には致命的な「雑音」になる。

電話応対の合間に重なる訪問者

一番困るのは、電話応対中に雑談目的で来る人たちだ。電話口で丁寧に話している横で「いや〜時間ある?ちょっとだけ」と手を振るおじさん。手で「今ムリです」サインを出しても伝わらない。電話を終える頃には「じゃ、また来るわ」と言って帰っていく。それなら最初から来ないでほしい…というのが本音。でもそういう人に限って、なぜか翌日もやってくる。

それでも誰かと話すことで救われている

愚痴ばかり言ってきたけど、実はその雑談に救われている自分も確かにいる。誰とも話さず、パソコンと書類だけと向き合う日が続くと、どこか気持ちが荒んでくる。そんなとき、誰かの「世間話」が、ふと自分を人間に戻してくれることもあるのだ。

孤独な仕事に差し込む人の温もり

司法書士の仕事は、孤独な戦いでもある。細かい法律と締切に追われる毎日、相談の8割は「不安」や「怒り」から始まる。そんな中で、ただ雑談だけをしに来てくれる人の存在は、実はありがたい。コーヒーを片手に、取り留めのない話をしながら、「ああ、人と関われてるな」と思える瞬間もある。独身で、家に帰っても話し相手がいない今、そんな雑談が心の支えになっているのは否定できない。

独身司法書士の静かな夜との対比

仕事が終わり、電気を消して自宅に戻る。テレビの音だけが部屋に響く。そんな夜、昼間の雑談を思い出して、クスッと笑うことがある。「あの人、あんなこと言ってたなぁ」と。誰にも言えないけど、寂しさを紛らわせてくれてありがとうと思っている。雑談は、うるさいけど、温かい。

愚痴でも話せるだけで楽になる

こちらが話す側になるときもある。「いや〜今日もバタバタで…」とポロっとこぼすと、「それは大変ですね」と言ってくれる人もいる。たとえ形式的でも、その一言に救われる。司法書士も人間。愚痴りたい時だってある。だからお互い様かもしれない。

雑談との距離感をどう保つか

雑談に疲れることもあれば、救われることもある。そのバランスが難しい。全てを拒否するのではなく、うまく距離を取る方法を模索している。

「今バタバタしてまして」が使えない事情

忙しいことをやんわり伝える言葉、「今ちょっとバタバタしてまして…」を使いたい。でも、相手がご年配だったり、すでに話し始めていたりすると、言い出せない。気を悪くされるのも嫌だし、何より自分が言葉を選びすぎるタイプなので、結局言えずじまい。その結果、ズルズルと時間だけが過ぎていく。

話好きな人に失礼なく伝える術

最近は「この後、〇〇の締切があって…」と、ちょっとだけ具体的に理由を添えて伝えるようにしている。そうすると、「あ、そうだよね、悪かったね」と理解してくれることも多い。タイミングと表現力。このふたつを身につけることで、雑談ともうまく付き合えるようになるかもしれない。

自分なりの対処法を見つける

雑談を完全に排除するのではなく、適度に付き合いながら、仕事も回せるようにする。それが地方の司法書士にとっての現実的な道だ。

タイマーで話を区切る実験

少し試してみたのが、机に砂時計を置くこと。話が始まったらサッと逆さにする。相手にはおしゃれなインテリアにしか見えないが、こちらとしては「この5分で終わってくれ〜」という祈りを込めている。効果は…まあ、微妙だが、少なくとも自分の気持ちの切り替えにはなる。

時間の見える化と視覚的ブロック

机に「集中タイム中です」の小さな札を置いてみたこともある。思った以上に効果があり、話しかけられる回数が少し減った。あくまで「感じよく断る」工夫。怒るのでもなく、無視するのでもなく、自分のペースを守る方法として、これからも試行錯誤を続けていきたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。