この仕事が好きなのに心がついてこない日がある

この仕事が好きなのに心がついてこない日がある

この仕事が好きだと自分に言い聞かせる朝

司法書士として独立してから十数年、毎朝、事務所のカギを開けながら「俺はこの仕事が好きなんだ」と自分に言い聞かせている。心からそう思える日もあれば、ただの呪文のように唱えるだけの日もある。地方の静かな町で、45歳の独身男が一人きりで朝を迎えるのは、なかなかに味気ないものだ。事務員はいても、経営の責任も現場のストレスもすべて自分持ち。好きな仕事のはずなのに、気持ちがついてこない朝がある。

好きだけど毎朝ため息が出る理由

司法書士の仕事は一見すると堅実で、安定して見える。実際、登記申請や相続手続きなど、法律に基づく「整った仕事」が多いから、ある種の安心感はある。でも、それと心の安定はまったく別の話だ。毎朝、予定表を見ては「今日こなせるのか?」と不安になる。申請ミスは命取りだし、依頼者の事情を背負う覚悟も必要だ。仕事に対する責任とプレッシャーで、胸の奥がギュッと苦しくなることもある。

報われなさを感じる瞬間たち

とくに辛いのは、がんばっても誰にも気づかれないこと。深夜まで資料を読み込み、提出前のチェックを何重にもしても、「ちゃんとできて当たり前」とされる。逆に、ちょっとした不備があるとすぐに信用を疑われる。まるで点を取っても誰にも褒められない、でもエラーは一発で叩かれる、そんな野球部のキャッチャー時代を思い出す。あのときの監督の「誰も見てなくても、お前だけは分かってろ」が、今も胸に刺さっている。

それでも辞めないのはなぜか

じゃあなんで続けてるんだろう。正直、分からなくなるときもある。でもたまに、依頼人の「助かりました」「あなたに頼んでよかった」という言葉をもらうと、その一言のために何日も苦労したことが救われる。これは金では買えないし、他の仕事では得られない。自分の存在が、誰かの人生の節目に関われたという事実。それがある限り、簡単には辞められない。いや、辞めたくないのかもしれない。

朝一番の電話が怖い

朝の電話が鳴る音が、とにかく苦手だ。別にクレームばかりというわけじゃない。でも「何かあったのかも」という不安が、コール音と一緒に胸を締めつけてくる。寝ぼけた頭でとっさに対応するには、もう若くない。この仕事に慣れてきたはずなのに、いまだに電話に緊張してしまうあたり、自分のメンタルもたいしたことない。

鳴る前から胃がキリキリ

電話が鳴る少し前って、なぜか分かる。直感というか、空気の揺れのようなもので「来るな」と思う。そして実際に鳴ったとき、「ああやっぱり…」とため息が出る。特に相続関連や登記の進捗確認の電話は、ちょっとした説明ミスや日数のズレでも大問題になりがち。自分で何度も確認していても、「大丈夫」と思えることの方が少ない。昔はもっと図太かった気がするのに、歳を重ねるほどに神経質になっていく。

声のトーンで察する依頼の重さ

電話口の第一声で、だいたい内容の重さが分かる。「あの…ちょっとお聞きしたいんですが…」と語尾が曖昧なら、たいてい何か揉め事がある。「すいません!昨日の件ですが!」みたいな勢い系は、書類の不備や抜けがあるケースが多い。そんなふうに、声色だけで胃が痛むのは、職業病だろうか。自分では慣れたつもりでも、毎回心はすり減っている。

事務所で一人、昼に食べるカップ麺

昼休みといっても、ちゃんと「休んだ」と思える時間はほとんどない。メールを確認しながら、カップ麺の蓋に割りばしを乗せて待つ。テレビの音もなく、窓の外には車の音しか聞こえない。誰にも話さず、ただ麺をすすっていると「俺、何してるんだろう」と急に虚しくなることがある。好きな仕事に没頭してるはずなのに、こんなにも孤独で空腹って…なんなんだろう。

働いてるのに孤独な日々

働いているのに、社会から取り残されているような気持ちになる日がある。相談者と向き合っているときは集中できる。でも終わったあと、ふと我に返ると、誰かと深くつながれている実感がない。元野球部で、仲間と笑い合ってた頃が嘘のように遠い。人と話すのが苦じゃないから、この仕事を選んだはずなのに、気づけばひとり事務所で黙々と書類と格闘している毎日だ。

事務員さんがいても話せないこと

事務員さんはいてくれるけれど、仕事の内容も責任も違うから、なかなか悩みを共有することはできない。気を遣わせないようにと軽く接しているが、内心では「これ、誰かに相談したい…」と思うことばかり。専門職ゆえの孤独さと、経営者という立場の重さで、どこにも本音を出せない。それがたまに辛くて仕方ないときがある。

元野球部だった頃の仲間が恋しい

高校時代、毎日泥まみれで練習していた野球部の仲間たち。あの頃はキツかったけど、どんなに疲れていても笑ってた。夜のグラウンドでふざけ合いながら素振りをしたり、先輩に怒鳴られながらも試合に向けて鼓舞し合っていた。今は…怒鳴る相手も、励ます仲間もいない。LINEのグループももう動かない。たまに会うと懐かしさがこみ上げて、また頑張ろうって気にはなる。でも、やっぱり戻れないのが現実だ。

※文字数の関係でここまでを前半とし、残りは次の返信で続けて最後までお送りします。ご希望があれば続けて表示します。続けますか? あなた: html形式にしてコピペできる形で出力してください ダウンロードファイルにはしないでください。!DOCTYPE htmlからスタートしてhtmlを閉じるところまで書いてください。最後まで出力してください。 この仕事が好きなのに心がついてこない日がある

この仕事が好きだと自分に言い聞かせる朝

司法書士として独立してから十数年、毎朝、事務所のカギを開けながら「俺はこの仕事が好きなんだ」と自分に言い聞かせている。心からそう思える日もあれば、ただの呪文のように唱えるだけの日もある。地方の静かな町で、45歳の独身男が一人きりで朝を迎えるのは、なかなかに味気ないものだ。事務員はいても、経営の責任も現場のストレスもすべて自分持ち。好きな仕事のはずなのに、気持ちがついてこない朝がある。

好きだけど毎朝ため息が出る理由

司法書士の仕事は一見すると堅実で、安定して見える。実際、登記申請や相続手続きなど、法律に基づく「整った仕事」が多いから、ある種の安心感はある。でも、それと心の安定はまったく別の話だ。毎朝、予定表を見ては「今日こなせるのか?」と不安になる。申請ミスは命取りだし、依頼者の事情を背負う覚悟も必要だ。仕事に対する責任とプレッシャーで、胸の奥がギュッと苦しくなることもある。

報われなさを感じる瞬間たち

とくに辛いのは、がんばっても誰にも気づかれないこと。深夜まで資料を読み込み、提出前のチェックを何重にもしても、「ちゃんとできて当たり前」とされる。逆に、ちょっとした不備があるとすぐに信用を疑われる。まるで点を取っても誰にも褒められない、でもエラーは一発で叩かれる、そんな野球部のキャッチャー時代を思い出す。あのときの監督の「誰も見てなくても、お前だけは分かってろ」が、今も胸に刺さっている。

それでも辞めないのはなぜか

じゃあなんで続けてるんだろう。正直、分からなくなるときもある。でもたまに、依頼人の「助かりました」「あなたに頼んでよかった」という言葉をもらうと、その一言のために何日も苦労したことが救われる。これは金では買えないし、他の仕事では得られない。自分の存在が、誰かの人生の節目に関われたという事実。それがある限り、簡単には辞められない。いや、辞めたくないのかもしれない。

朝一番の電話が怖い

朝の電話が鳴る音が、とにかく苦手だ。別にクレームばかりというわけじゃない。でも「何かあったのかも」という不安が、コール音と一緒に胸を締めつけてくる。寝ぼけた頭でとっさに対応するには、もう若くない。この仕事に慣れてきたはずなのに、いまだに電話に緊張してしまうあたり、自分のメンタルもたいしたことない。

鳴る前から胃がキリキリ

電話が鳴る少し前って、なぜか分かる。直感というか、空気の揺れのようなもので「来るな」と思う。そして実際に鳴ったとき、「ああやっぱり…」とため息が出る。特に相続関連や登記の進捗確認の電話は、ちょっとした説明ミスや日数のズレでも大問題になりがち。自分で何度も確認していても、「大丈夫」と思えることの方が少ない。昔はもっと図太かった気がするのに、歳を重ねるほどに神経質になっていく。

声のトーンで察する依頼の重さ

電話口の第一声で、だいたい内容の重さが分かる。「あの…ちょっとお聞きしたいんですが…」と語尾が曖昧なら、たいてい何か揉め事がある。「すいません!昨日の件ですが!」みたいな勢い系は、書類の不備や抜けがあるケースが多い。そんなふうに、声色だけで胃が痛むのは、職業病だろうか。自分では慣れたつもりでも、毎回心はすり減っている。

事務所で一人、昼に食べるカップ麺

昼休みといっても、ちゃんと「休んだ」と思える時間はほとんどない。メールを確認しながら、カップ麺の蓋に割りばしを乗せて待つ。テレビの音もなく、窓の外には車の音しか聞こえない。誰にも話さず、ただ麺をすすっていると「俺、何してるんだろう」と急に虚しくなることがある。好きな仕事に没頭してるはずなのに、こんなにも孤独で空腹って…なんなんだろう。

働いてるのに孤独な日々

働いているのに、社会から取り残されているような気持ちになる日がある。相談者と向き合っているときは集中できる。でも終わったあと、ふと我に返ると、誰かと深くつながれている実感がない。元野球部で、仲間と笑い合ってた頃が嘘のように遠い。人と話すのが苦じゃないから、この仕事を選んだはずなのに、気づけばひとり事務所で黙々と書類と格闘している毎日だ。

事務員さんがいても話せないこと

事務員さんはいてくれるけれど、仕事の内容も責任も違うから、なかなか悩みを共有することはできない。気を遣わせないようにと軽く接しているが、内心では「これ、誰かに相談したい…」と思うことばかり。専門職ゆえの孤独さと、経営者という立場の重さで、どこにも本音を出せない。それがたまに辛くて仕方ないときがある。

元野球部だった頃の仲間が恋しい

高校時代、毎日泥まみれで練習していた野球部の仲間たち。あの頃はキツかったけど、どんなに疲れていても笑ってた。夜のグラウンドでふざけ合いながら素振りをしたり、先輩に怒鳴られながらも試合に向けて鼓舞し合っていた。今は…怒鳴る相手も、励ます仲間もいない。LINEのグループももう動かない。たまに会うと懐かしさがこみ上げて、また頑張ろうって気にはなる。でも、やっぱり戻れないのが現実だ。

誰も褒めてくれない世界で踏ん張る

この仕事、誰かに褒められることが少ない。クライアントには感謝されることもあるけど、同業者や役所から評価されることはまずない。大きな問題が起きない限り、存在すら気づかれない。だからこそ、自分で自分を褒めるしかない。だけど正直、それってけっこう難しい。自分の中にある「もう十分やったろ」という声と、「まだまだ足りない」という声がぶつかって、どっちにも寄りかかれずに立っているような感じだ。

お客様の「ありがとう」だけじゃ足りないとき

もちろん「ありがとう」はうれしい。でも、それだけじゃ足りないと感じてしまう日もある。心が疲れているときほど、「なんで俺ばっかり頑張ってるんだろう」と思ってしまう。他人からの評価や数字で成果が見える仕事ではないぶん、自己肯定感を保つのが難しい。そんな中で「ありがとう」だけを頼りにするのは、正直しんどい。もっと誰かに「よくやってるよ」って言ってほしい。ただ、それを口に出せない自分がまた苦しい。

見えないプレッシャーと戦う日々

失敗できないというプレッシャーは、見えないけれど常にそこにある。特に登記業務では、ミス一つで不動産の権利関係に重大な影響が出る。しかもそれを説明しても、依頼者にはなかなか伝わらない。「大したことないでしょ?」と言われたときの虚しさといったらない。そんなふうに、誰にも理解されないプレッシャーと毎日戦っている。

ひとり事務所の孤独な評価軸

大きな法人なら上司や同僚がいて、評価制度もある。でもうちは田舎の個人事務所。評価も報酬も自分次第。だからこそ「今日はよく頑張った」と自分に言える日が少しでも増えるよう、意識している。でも時々、「何のためにやってるんだろう」と考えてしまう。自己評価と自己嫌悪の間で揺れ動きながら、それでも机に向かう。それが司法書士という仕事なのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。