書類に埋もれる朝はいつも突然に
朝、出勤して机に座った瞬間、目に飛び込んできたのは、昨日まではなかったはずの大量の書類。昨日の自分に「何も置いていかなかったよな?」と心の中で問いかけながら、ため息が出る。何度も経験しているはずなのに、なぜか慣れない。書類の山を見ると、その下に自分の気持ちまで押し潰されそうになる。これが士業の宿命だと分かってはいても、やっぱり「なんで今日に限ってこんなに多いの?」と嘆きたくなる。
机の上の紙たちが語る沈黙のプレッシャー
無言のまま重なった紙たちは、何も言わずに「これもまだ、あれもまだ」とこちらを見てくる。見たくないのに見てしまう。見たからにはやらなきゃいけない。机の端に寄せるだけで、解決した気になる日もあるけれど、結局それは自分の首を締めることになるだけ。気づけば、書類の重みよりも、自分の心が重くなっているのに気づく。
昨日の終業時点ではこんな量じゃなかった
確かに昨日の夕方、「今日はまぁまぁ頑張った」と感じていた。事務員さんも定時で帰り、静かな事務所でひとり、コーヒーを飲みながら軽く片付けをしていた。そのときには、机の上には余白もあったし、「明日は少しゆとりがありそうだ」とさえ思っていたのだ。だが今朝、目の前の現実はまったく違う。夜のうちに誰かが書類を増殖させたとしか思えない。まるで妖怪“増える契約書”が出たような気分になる。
気づけば増えている謎の添付書類
登記申請の準備をしていると、どこからともなく現れる追加資料の指示。誰かの確認書、印鑑証明、補足の委任状……。これ、昨日はなかったよな?と首をかしげながら、目を凝らしてメールを遡る。依頼人からの追加連絡に気づかず埋もれていたファイルを見つけて、軽く自己嫌悪。「見逃した俺が悪いのか、こんな細切れに送ってくるのが悪いのか」思わず独り言がこぼれる。
誰かのせいにしたいけど結局全部こっちにくる
正直なところ、どこかで誰かが整理してくれていたら…という淡い期待を持ってしまう。でも結局、判断を下すのは自分。間違っていたら全部こっちの責任。だからこそ、雑に扱えない。手が止まる時間が長くなると、その分だけ一日が押していく。頭では分かっていても、心は叫んでいる。「俺ばっかり、なんでだよ…」
「あとこれもお願いします」と言われるたびに
事務員さんが悪いわけじゃない。でも、書類を持ってきて「あとこれも…」と言われると、心のどこかで「もう無理なんだって」と思ってしまう自分がいる。忙しいのは分かっているし、頼られていることも理解している。だけど、限界に近いときって、誰かの一言が重くのしかかる。表面上は笑顔で「了解」と返しても、心は悲鳴をあげている。
内心では「もう無理です」と何度もつぶやいている
この仕事を選んだのは自分だ。文句を言う資格なんてない。でも、それでも、ふとした瞬間に心の中で「もう無理」とつぶやいてしまう日がある。そんな日はたいてい、紙の束が高く積みあがっている日だ。書類の多さは、直接的に気力の減退とつながっている。整理整頓ではカバーしきれない、精神的な圧迫感。今日もまた、机の前でひとり、深いため息をついてしまう。
事務員さんもいっぱいいっぱい
自分が大変なとき、つい忘れがちだけど、隣の事務員さんも同じように大変だ。たった一人で事務全般をこなしながら、電話対応に来客応対、そしてこちらの書類整理。ふと顔を見ると、こっちよりも疲れているんじゃないかと思うこともある。申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちが入り混じって、それでもやっぱり今日も忙しい。
一人に背負わせすぎていないかという不安
人を雇うと決めたとき、「一緒に仕事を分け合いたい」と思った。でも、今はどうだろう。結局、こちらの都合で仕事がどんどん山積みになって、事務員さんにしわ寄せがいっている気がしてならない。最近は無言でパソコンを叩く時間が増えてきて、話しかけるタイミングすらつかめない。
「休みます」と言われた日の焦燥感
「ちょっと体調悪いので今日は休みます」と連絡があった朝。内心は「ああ、今日は詰んだな」と思った。もちろん休んでくれていい。むしろ無理して来てほしくない。だけど、自分の心のどこかでは、事務所の一部が抜け落ちたような不安感に襲われる。結局すべての負担が自分に戻ってくるからこそ、その穴が大きく感じるのだ。
感謝してるけど余裕がなくて言えない
感謝している。でも、バタバタしていると「ありがとう」の一言すら言いそびれてしまう。心の中では「助かってる」「ありがとう」「頼りにしてる」と思っているのに、伝える余裕がない。気づけば、いつの間にか気まずい空気が漂ってしまう。たまにはちゃんと伝えないといけないな…と思いながら、また一日が終わっていく。
書類が増えると心が荒れる
書類が多いと、それだけで心の余裕がなくなる。人にも自分にも厳しくなりがちで、仕事中のちょっとしたやりとりでも、トゲのある返しをしてしまったりする。そんな自分に後から自己嫌悪して、余計に疲れる。紙一枚が心をここまで乱すなんて、理不尽だけど現実だ。
「俺ばっかり忙しい」と思ってしまうとき
他の士業の仲間が「今日は早く帰るよ」なんて言っているのを聞くと、正直イラッとしてしまう。もちろんその人も頑張っているのは分かっている。だけど、自分のこの状況を見てくれ、という気持ちが湧いてしまう。孤独な闘いの中で、つい周りが羨ましくなる。
でも他の人もきっとそうなんだよなと思い直す
一人ひとりに、それぞれの大変さがある。それは頭では分かっているし、ちゃんと分かっていたいと思っている。でも気持ちが沈んでいるときには、どうしても視野が狭くなってしまう。他人の余裕ばかりがまぶしく見えて、自分だけが取り残されているように感じる。でも、それもただの錯覚かもしれない。
その繰り返しが妙に疲れる
感情の波に何度も飲まれ、落ち着いたかと思えばまた押し寄せてくる。忙しさに慣れることなんて本当にあるのか?と思うほど、毎日が違う形のストレスを投げかけてくる。書類の波に飲まれそうになりながら、それでも踏ん張る。今日もまた、自分をなだめながら乗り切る。
書類の向こうにある人の事情
この仕事をしていると、書類の向こうに人がいることを忘れてしまいそうになる。けれど、誰かの人生や想いが詰まった書類であることも確か。単なる紙の束ではない。それを扱っているという自覚が、プレッシャーにもなるし、やりがいでもある。だけど今日は、やっぱりちょっとしんどい。
依頼人も必死 でもこちらもいっぱいいっぱい
依頼人からの電話。「まだ終わらないんですか?」「急いでほしいんです」――その言葉に、胸がチクリと痛む。分かる、分かるよ、あなたも切羽詰まってるんだよね。でも、こちらも精一杯やってる。それでも伝わらないことがある。いや、伝えきれない自分にも歯がゆさを感じる。
感情のはけ口にならないよう気を張る
つい口調が荒くなってしまいそうなとき、深呼吸してこらえる。感情的になったら終わりだ。相手のストレスをこちらが受け止める構図になるのは避けたい。でも時には、その矢面に立たなければならない。冷静さを保つのも、司法書士という立場の役目だと自分に言い聞かせる。
でもときどき言い返したくなる自分がいる
「こっちだって必死なんだよ」――そんな言葉が喉元まで出かかることがある。でも飲み込む。その繰り返しで、自分の感情はどこへ向かっているのか分からなくなるときもある。誰かに「それでいいんだよ」と言ってほしいけれど、そんなことを言ってくれる人は誰もいない。だから、自分で自分をなだめるしかない。