誕生日なのにスマホが沈黙してた日

誕生日なのにスマホが沈黙してた日

誕生日の通知ゼロから始まった一日

朝、いつも通りの時間に目覚ましが鳴る。習慣で手に取ったスマホには、何の通知もない。メールもLINEもSNSのリアクションも、ゼロ。今日は誕生日だ。何人かからは「おめでとう」の一つくらい来ると思っていた。いや、思いたかった。でも、現実は静かだった。スマホの沈黙が、やけに重たく感じられた。

朝のルーティンに忍び込む静寂

歯を磨きながら、鏡に映る自分の顔を見てふと思う。「45歳、独身、司法書士。まぁこんなもんか」と。事務所までの道すがら、いつもの喫茶店でモーニングを頼む。店員さんはいつも通りの対応で、もちろん僕の誕生日なんて知らない。なぜか無性に「今日は誕生日なんですよ」って言いたくなったけど、結局言えなかった。

LINEの未読も既読もない不思議

司法書士の仕事は、LINEでやりとりすることもある。でも今日に限って、本当に何も来ない。仕事関係の連絡も、友達からの一言も。通知がないスマホは、ただの冷たいガジェットだった。何度も画面を開くたびに、期待と落胆が交互に押し寄せる。通知の音が鳴らないのは、こんなにも寂しいものだったか。

いつもは通知を気にしないくせに

普段は、通知が多いと「うるさいな」とさえ思うのに、人間って勝手なもんだ。欲しいときに限って何も来ない。45年も生きてきて、ようやくこんな当たり前のことに傷ついてる自分が情けない。でも、それが本音。事務所について、コーヒーを淹れてもらいながら、何気なく事務員さんの方を見た。「今日はちょっと静かですね」って、彼女が言った。もしかして、気づいてくれてる?と思ったけど、たぶん気のせいだ。

忙しさに紛れて忘れられる存在

誕生日に仕事があるというだけで、少しは気が紛れる。でも、その忙しさが逆に虚しさを浮かび上がらせる。案件処理に追われる間、誰からも祝われないという現実が、頭の片隅にずっと居座っていた。周囲に「誕生日なんです」なんて言える性格でもないし、そもそも誰に言ったところでリアクションも想像がついてしまうのがまた切ない。

同僚も顧客も誰も気づかない

顧客とのやり取りの中でも、今日は誰一人として誕生日に触れてこない。まぁ当然だ。彼らは僕の人生よりも、登記が通るかどうかに興味がある。司法書士という仕事は、表に出ない縁の下の力持ちみたいなもので、「ありがとう」と言われることはあっても、「おめでとう」と言われることは滅多にない。誕生日くらい、自分で祝ってやれよ、ってどこかで自分に言い聞かせる。

事務員さんの無言の優しさに救われる

午後、書類を整理していたら、いつもより丁寧に整えられていて、なんとなく違和感があった。事務員さんがそっと差し出したお茶には、普段使わないお気に入りのカップが使われていた。何も言わないけど、もしかしたら知っていて、でもあえて触れないでくれているのかもしれない。そんな「気づかないふり」の優しさに、少しだけ救われた気がした。

気づかないふりをしてくれたのかもしれない

「誕生日ですよね」と言ってくれるのもありがたいけど、何も言わずに、ただそっと寄り添ってくれる距離感も悪くない。この年齢になってくると、言葉よりも行動の温度で人の気持ちを感じるようになる。事務員さんの気づかいに、僕は感謝した。ただ、それを言葉にする勇気がなかった。いつかちゃんとお礼を言えるだろうか。

なぜか過去の誕生日を思い出す

誕生日の通知がゼロだったことで、逆に過去の誕生日を思い出してしまう。学生時代、野球部の仲間に囲まれて騒いだあの日。恋愛とは無縁でも、あのときは仲間がいて、騒がしいだけで少しの寂しさも感じなかった。今は、誰にも気づかれず、静かに机に向かっているだけの日。でも、あの頃の僕に「お前は司法書士になるんだぞ」と言ったら、笑われるだろうな。

野球部時代の仲間からも音沙汰なし

かつての野球部のLINEグループも、今や通知オフ。誰かの結婚報告か、誰かの子どもの誕生日報告ばかりで、独身の僕はどこかに置いてきぼり。久々にグループを開いてみたが、僕の誕生日については何の話題もなかった。誰かひとりでも「今日、あいつの誕生日じゃなかったっけ?」なんて言ってくれたら——そんな期待があった自分にがっかりした。

学生時代の記憶はなぜか美化される

あの頃、苦しい練習も、怒鳴られた監督の声も、今となってはすべて懐かしい。美化されすぎてるのかもしれないけど、それでも「一緒に走った誰か」がそばにいたという事実が心を温める。今の僕には、机と書類と、静かなキーボードの音しかない。誰かと笑い合う時間が恋しくなるのは、そんな過去のせいかもしれない。

モテなかったけど賑やかだったあの頃

モテるタイプじゃなかったし、バレンタインも期待できなかった。でも、冗談を言い合える仲間はいたし、誕生日には悪ふざけで顔にケーキを塗られたこともあった。今思えば、それは最高のプレゼントだったのかもしれない。時間は残酷だけど、優しくもある。忘れ去られても、思い出だけは心に残っている。

誰にも祝われない日が教えてくれたこと

今年の誕生日、LINEの通知がゼロだった。それでも、こうして仕事をして、なんとか今日を終えようとしている。誰にも祝われない日が、自分と向き合うきっかけになった。少しだけ強がりかもしれないけど、それでも生きてる自分を肯定したい。司法書士という仕事を通して、人の人生の節目に関わっているのに、自分の節目は誰にも知られず通り過ぎていく。それもまた、悪くないのかもしれない。

祝われることが目的じゃないと気づく瞬間

「誕生日を祝われる」ことに意味を求めすぎていたのかもしれない。LINEが来ないことで、自分の価値が下がるわけじゃない。寂しさは確かにあるけど、それに気づけたことが一歩だった。誰にも見られていなくても、自分で自分を大切にできる人間でいたい。司法書士という裏方の仕事と同じで、「見えない努力」は誰かのためになる。だからまずは、自分のために自分を祝ってやろう。

感情を整理する司法書士という仕事

登記簿には、誰かの人生の転機が詰まっている。結婚、離婚、相続、会社の設立。なのに、自分自身の感情の処理がこんなに苦手だなんて、皮肉な話だ。書類は整えられるのに、心はなかなか整えられない。でも、それを知ってるからこそ、依頼者の気持ちに少しは寄り添えるのかもしれない。人の痛みに敏感であることは、この仕事の強みでもある。

静かな誕生日も、悪くないかもしれない

スマホが鳴らなかった今年の誕生日。少し寂しかったけど、心に残った一日は、どこかで意味があると思いたい。ひとりでも、こうして文章を書けるのはありがたい。誰かがこのコラムを読んで、「わかるよ」と思ってくれたら、それだけで少し救われる気がする。静かな誕生日は、誰かの心に静かに届くかもしれない。そう思いながら、今日も仕事を終える。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。