気づいてしまった自分の反応の薄さ
ある日、ふとした瞬間に「自分ってリアクションが薄いな」と気づいた。というか、気づかされた。事務員さんが新しい書類整理の方法を思いついて、それが本当に助かる内容だったのに、私は「へぇ、いいね」と一言。顔も動かず、トーンも平坦。その場にあった空気が少しよそよそしくなったのを感じた。彼女は笑っていたけれど、たぶん内心は「これでいいの?」と思ったはずだ。反省する気持ちがじわじわと湧いてきた。
昔からそうだったのかもしれないという疑念
実はこの「リアクションが薄い」という自覚、昔からうっすらあった。小中学生の頃、周りが驚いたり感動している場面でも、自分だけ妙に冷静で、「もっと反応しなよ」と言われたことが何度もある。自分ではちゃんと驚いていたし、心の中では感動していたのだが、それがどうやら表に出ていなかったらしい。思い返せば、そういう場面は数えきれないほどある。特別な性格ではなく、ただ単に“表現するのが苦手”なだけなんだと思う。
無表情でやり過ごした学生時代の出来事
高校の卒業式、周囲が涙を流して抱き合っている中で、私はただ立っていた。寂しい気持ちはあったが、涙が出なかった。そして笑顔も作れなかった。そんな自分を冷たいと思ってしまったが、どうしたらいいのかも分からなかった。野球部の後輩たちが「ありがとうございました!」と声をかけてくれても、私の反応は「うん、がんばれよ」の一言だけ。あのとき、もっと熱い何かを返せたらと、今でも少し後悔している。
野球部での無口キャラが今に繋がっている?
思えば野球部時代、私は“無口なキャプテン”として知られていた。プレーで語るタイプ…と言えば聞こえはいいが、実際は声を出すのが苦手なだけだった。ミスしても怒らず、点を取っても派手に喜ばず、いつも一定のトーンだった。それが「落ち着いている」と評価されることもあったが、それは裏を返せば感情が見えないということ。あの頃からずっと、自分の感情を外に出すことにブレーキをかけていたのかもしれない。
「うれしい」と言ってるのに顔が笑ってない
リアクションの薄さは、仕事にも影響していると最近強く感じる。依頼人が「本当に助かりました!」と笑顔で感謝してくれても、私は「よかったですね」とだけ返してしまう。もっと表情豊かに「本当によかったですね!こちらも嬉しいです」と言えばいいのに、どうしてもそうならない。言葉の中にある“熱”みたいなものが、私には欠けている気がしてならない。だからこそ、感謝の気持ちも十分に伝わらない。
事務員さんの指摘で初めて気づいた日
ある日、事務員さんがふと口にした。「先生って、うれしくても顔に出ないんですね」。その一言が胸に突き刺さった。たしかにそうだ。彼女が頑張って成果を出したときも、「いいね、ありがとう」と言ってはいた。でもそのときの自分の表情を思い返すと、まるで無反応だった。彼女はきっと、もっと何かリアクションがあると思っていたはず。申し訳なさと、自分への呆れと、いろんな気持ちが混ざって苦くなった。
内心では感謝していても伝わらない現実
自分の中ではちゃんと「ありがとう」って思っている。でも、それが伝わらなければ意味がない。口に出しても、表情が伴わなければ、それはただの“音”だ。人の感情は目や口元から伝わることを、身をもって学んだ。たぶん、これは今後もずっと自分の課題になるだろう。せめて「うれしい」と思ったときには、少し口角を上げて、目を見て、言葉を添えるよう意識しようと思う。そういう小さな努力が必要だ。
リアクションが薄いことの仕事上の影響
司法書士という仕事は、書類と人の間を取り持つ地味な役割だと思われがちだが、実際には「安心感」を与える仕事でもある。依頼人の緊張を和らげるためには、言葉だけでなく、表情や態度も大切だ。リアクションが薄いと、信頼関係が築きにくいというのが最近の実感だ。もっとも、自分では「丁寧に対応している」と思っていたが、それだけでは足りないことに気づく場面が増えてきた。
依頼人に不安を与えてしまう場面
登記の説明をしているとき、相手の反応を見ながら話を進めるが、ふと相手が不安そうな顔になることがある。こちらとしては冷静に説明しているつもりでも、相手からすると「この人、本当に大丈夫なの?」と思わせてしまっているのかもしれない。特に高齢の方や、初めて司法書士に依頼するという方には、もっと“あたたかさ”が必要なのだろう。無意識のうちに壁を作ってしまっていたのかもしれない。
説明しているつもりが「冷たい」と言われた話
一度、相続登記の説明をしていたとき、依頼人から「なんだか冷たいですね」と言われたことがある。言葉遣いも丁寧にしていたし、説明も省略せずにしていた。それでもそう感じさせてしまったのは、きっと表情や声のトーンのせいだ。感情を込めて話すこと、相手の目を見ること、それだけで印象は変わるはずなのに、それができなかった。あの言葉は、今でも頭の片隅に残っている。
電話でも感情が伝わらないと感じること
電話対応でも同じだ。声のトーンが平坦すぎるせいか、「怒ってますか?」と聞かれたことがある。もちろん怒ってなどいない。ただ事務的に対応しているだけだった。しかし、それが相手には“冷たい”と映ってしまう。電話越しだと表情が見えない分、声に感情が乗っていないと誤解されやすい。リアクションが薄い人間にとって、電話は特に難しいメディアだと痛感している。
事務員とのコミュニケーションの難しさ
毎日一緒に働いている事務員さんとの関係でも、リアクションの薄さが影響している。ありがたいことに、彼女は空気を読むのが上手で、私のペースに合わせてくれている。でも、それに甘えてばかりではいけないと思う。仕事を円滑に進めるには、意思疎通が欠かせない。そこに“感情”や“温度”が加われば、もっと信頼し合える関係になるのだろうけれど、自分にはそれがまだ足りない。
相手が気を遣ってくれているのがわかる
ある時、彼女がミスをしてしまった。そのとき私は「大丈夫ですよ」と言ったが、無表情だったのだろう。彼女はひどく落ち込んでいた。後で「怒ってると思いました」と言われて、自分の表現の拙さを痛感した。言葉だけでは足りない。目を見て、優しく伝えることが必要だ。彼女はいつも私に気を遣ってくれている。それにもっと応えられる自分でいたいと思った。
でも自分はうまく返せないジレンマ
感謝したい、励ましたい、ねぎらいたい。そういう気持ちはあるのに、どう表現していいのかわからない。言葉にしても、何かぎこちなくなる。それが自分でももどかしい。人との距離を縮めたいのに、リアクションが薄いことで壁を作ってしまう。そのジレンマに、時々疲れてしまう。だけど、それを理由に何もしないのも違うと思っている。