自分でやればよかったって言われた日と心のざわつき

自分でやればよかったって言われた日と心のざわつき

その一言で全身の力が抜けた日

「自分でやればよかったなあ」――その一言が依頼人の口からこぼれた瞬間、背中に冷たいものが流れたような気がした。怒鳴られたわけでもなく、責められたわけでもない。ただ、軽く言ったその一言に、自分のやってきた作業の全てが無駄だったような、そんな気持ちにさせられた。地方で事務所を開いて十数年、こんなことは一度や二度ではない。でもこの日は妙に心に刺さった。

依頼人の一言が胸を刺す瞬間

不動産の相続登記で、細かい説明をしていたときだった。相手は50代くらいの男性で、特に怒っているわけではない。むしろニコニコしていた。書類を一通り見終わって、ぽつりと「これ、俺が自分でやればよかったかな」と呟いたのだ。その瞬間、私は何も言えなかった。自分の存在意義が、ふわっと薄くなるような不思議な感覚だった。

感謝の言葉を待っていたのに

どこかで「ありがとうございました」「助かりました」って言葉を期待していた自分がいたんだと思う。それを強要するつもりはない。でも、何時間もかけて準備して、何度も法務局に足を運んで、確認して、調整して、その上での一言が「自分でやればよかった」だったわけで。いやあ、正直、やるせなかった。感謝されたいわけじゃない。でも、無力感が残る。

小さな期待と大きな落胆

「どうせ期待なんかしなければいい」と思うこともある。でも、やっぱり人間だから、どこかで期待してしまう。特に孤独に一人でやっていると、その一言が心の支えになる日もある。元野球部だった頃は、結果が出れば誰かが褒めてくれた。でもこの仕事では、結果が出ても、誰も何も言わない。むしろ、「高いな」「自分でできるのに」と言われる。プロとしてやってるのに。

だったら最初から自分でどうぞなんて言えない

本音では「じゃあ自分でやってくださいよ」と言いたかった。でも、そんなこと口に出せるわけがない。司法書士は感情を出す場面がない。依頼人の前では常に冷静で、穏やかで、丁寧でいなければならない。だからこそ、その裏側で溜まっていくものは多い。笑顔の裏で、こっちは何度も深呼吸している。そんな日々を、誰に伝えればいいんだろう。

司法書士は感情を押し殺す仕事

正直に言えば、私は感情的な人間だ。映画でも泣くし、音楽でも落ち込む。でも、司法書士という仕事においては、感情を「出す」ことが許されない。依頼人の前で怒るわけにもいかないし、泣くわけにもいかない。黙って受け止め、事務的に処理する。それがプロの姿勢だと信じている。でも、心はだんだんすり減っていく。

プロとしての誇りと現実のズレ

この仕事に就いた頃は、「誰かの役に立ちたい」と思っていた。困っている人の助けになりたいと純粋に思っていた。でも、実際には価格競争と説明不足の壁にぶつかる。ネットには「自分でできる」情報が溢れているし、「簡単」と書かれている。私たちのやっていることは、その「簡単」の裏にある、数えきれない手間とリスクの回避なのに。

一言が与える影響は思ったより大きい

「自分でやればよかった」なんて、相手は気にも留めずに言っている。でも、それがどれだけ響くか。夜、帰宅して、一人で食事をしているときにふと思い出してしまう。あのとき、もう少し説明が上手くできていたら、あの人もそんなこと言わなかったのかもしれない。反省と自己否定が交互にやってくる。まるでキャッチボールみたいに。

無力感に飲まれそうな夜

ふとした夜、やる気も出ずにコンビニで弁当を買って帰る。テレビをつけても、音が耳に入ってこない。何のためにこの仕事をやっているのか、わからなくなる。お金のため?名誉のため?いや、どれも違う。たぶん、最初に感じた「必要とされる喜び」をまだどこかで求めている。でも、それが得られない夜は、本当に孤独だ。

一人事務所の静けさが身にしみる

事務員さんが帰ったあとの事務所は本当に静かだ。キーボードの音だけが響く。電話も鳴らず、誰も来ない。そんなとき、ふと自分の存在がすごく小さく感じる。都会の大手事務所とは違って、ここには相談者も限られている。SNSでキラキラしてる同業者を見ると、焦りや嫉妬もある。でも比べても意味はない。わかってるけど、しんどい。

誰にも話せない愚痴の行き場

友達に愚痴っても、「やめれば?」とか「楽そうでいいじゃん」とか軽く返される。それが嫌で、次第に何も話さなくなった。家族もいないし、恋人もいない。誰にも話せないこの気持ちは、どこに行けばいいのか。だからこうして文章にして吐き出しているのかもしれない。誰かがこれを読んで、少しでも共感してくれたら、それだけで救われる気がする。

それでもまた仕事に戻る自分がいる

次の日も、結局仕事に戻る。書類を揃えて、依頼人に連絡を取り、スケジュールを確認する。愚痴をこぼしながらも、ちゃんと働いている。誰に褒められるでもないけれど、それでも自分なりのプライドを持って。今日もまた一歩だけ、進んでいく。それが司法書士という仕事なんだろう。

言葉にできないけど続けている理由

たぶん、本当に嫌いだったら、もう辞めている。でも、どこかにまだ信じている。誰かの助けになれている瞬間があることを。口には出さないけど、依頼人の「ほっとした顔」を見たとき、心のどこかが温かくなる。それがあるから、続けていける。少しの報酬と、少しの承認と、それからほんの少しの希望。それがあれば、十分なのかもしれない。

誰かの人生の節目に関われる喜び

登記は人生の節目に関わることが多い。相続、売買、会社設立。どれもその人にとっては一大事。その場に立ち会えることは、実はすごく特別なことなんだと、最近やっと思えるようになった。だからこそ、傷つくこともあるけれど、やりがいもある。誰にも褒められなくても、心の奥で「よし、今日もよくやった」と自分に言える日が、時々ある。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。