三度書かれた遺言状

三度書かれた遺言状

朝の事務所に届いた茶封筒

雨上がりの朝、事務所のポストに差し込まれていた一通の茶封筒。宛名は丁寧な毛筆で、どこか古風な字体だった。だが、差出人の名前はどこにも書かれていなかった。

「朝からまた妙なものが来ましたね」とサトウさん。机に広げられたそれを見つめる彼女の視線は冷ややかだが、わずかに興味も感じられた。

封筒の上には「遺言状在中」の文字。見慣れているはずの書類なのに、なぜか胸騒ぎがした。

差出人不明の簡易書留

郵便記録を見ると、差出人は不明と記されていた。宛名の字体に覚えはない。だが、使用された簡易書留の伝票には、どこか懐かしいような癖がある。

その小さな違和感を覚えながら、封を開けると中からは厚みのある書類が三通。全て「遺言状」と書かれている。

「三通です」とサトウさんが低い声で言った。まるで、そこに答えがあるかのように。

遺言状という文字の重み

遺言状、それは死者の最期の意志だ。軽く扱ってはいけない重さがある。だが三通も重ねて送られてきたとなると話は別だ。

私は書類をめくりながら、ふと漫画『金田一少年の事件簿』の一節を思い出した。遺言を巡る殺人事件で、犯人が「本当の遺志を伝えたかっただけだ」と言った場面だ。

今回もまた、誰かが何かを訴えようとしている。そんな気がしてならなかった。

サトウさんの冷静な推察

「これ、全部手書きですけど……筆跡が少し違いますね」と彼女がぽつりと呟いた。手に取ったルーペで細部を確認している。

言われてみれば、同一人物が書いたにしては筆圧が不安定で、文字の間隔にも違和感がある。

「それに、日付が全部違います。一週間ずつずれてます」

封筒の中の違和感

封筒は一見、真新しいように見えたが、裏の糊付け部分に小さな破れがあった。おそらく何度も開け閉めされた形跡だ。

「中身を入れ替えたか、差し替えた可能性がありますね」とサトウさん。

推理漫画ならこの時点で真犯人の影が見え隠れするところだが、現実の私は、まだただの司法書士である。

筆跡と日付の矛盾

三通の遺言状を並べてみる。最初のものは、全財産を長女に。二通目は次男に。そして最後の三通目は、施設に全額を寄付すると書かれていた。

だが、いずれも署名は同じ。印影も一致している。どういうことだ?

「これ、実印じゃないですよ。シャチハタです」

依頼人の名前をめぐる記憶

私は額を叩いた。そういえば、数ヶ月前にこの名前の人物と話した覚えがある。登記相談に来たとき、妙に話が回りくどかった。

「確か、八十代の男性でしたね。帰り際に“遺言は三度書くものだ”って、笑って言ってたんですよ」

そのときは軽口だと思っていたが、今となっては違って聞こえる。

三ヶ月前の登記相談

彼は「子どもたちとはうまくいってないんです」と苦笑していた。何を相続させるか迷っているようでもあった。

まるで、誰が一番“残されるにふさわしいか”を試すように。

遺言状が三通もある理由はそこにあるのかもしれない。

妙に饒舌だった老人

あの時の彼の語り口は、どこか演技がかったところがあった。落語家のように間を取り、観客を意識するような語り方。

今思えば、彼は誰かに「見せるための遺言状」を書いていたのではないか。

そしてその“見せる相手”は……

最初の遺言書と第二の遺言書

私たちは最初の二通の内容を見直す。形式は問題ないように見えるが、法的には疑問が残る。

「でも、三通目だけ封印が厳重すぎるんです」とサトウさんが言った。

封蝋、糊、さらに外袋まで。まるで本物の“本命”を隠していたかのように。

内容はほぼ同じだが

相続人の名前だけが異なり、その他の文言はすべて同一。これはコピーして、名前だけ変えたのか?

それとも、意図的に「重ねて」書かれたのか。まるで、一人の人間の中に複数の人格があるように。

「やれやれ、、、一つの遺言にここまで振り回されるとは」

違っていたのは相続人

最終的に遺言を受け取るべき人物が誰なのか。それを導くには、筆跡や印影では足りない。

我々は、この三通目にこそ真意があると判断した。

だがそれは、あくまで“法的に見て”という話だ。

三通目の遺言書が示すもの

三通目の書類は最も新しい日付で、寄付に関する具体的な団体名まで書かれていた。

これほど明確な意志が書かれたものはない。法的にも優先されるべきだ。

だが、サトウさんは別の点に目を留めていた。

司法書士でなければ気づかない点

「この団体、実は二年前に解散してるんです。今は存在しない」

つまり、この遺言は無効になる可能性が高い。

それを承知で彼は書いたのだろうか?

封筒の型番が決め手に

サトウさんが言った。「三通目の封筒、型番が平成時代のものです」

令和の今、流通していないものだ。つまり、三通目が一番古く、最初に書かれた可能性がある。

そして、あとの二つが“それを隠すため”に書かれた偽物ということになる。

サトウさんの一言が導いた答え

「犯人は、最初の遺言を消したかったんですね。でも、それを一番守ろうとしたのも彼だった」

彼女の言葉は、まるで答え合わせのようだった。

故人は、最初の遺志を守るために“偽の遺言”を上書きしたのだ。

遺言を重ねた男の目的

財産をめぐる争いを避けるため、真の遺志を見抜ける者だけに気づいてほしい。

そう考えたのかもしれない。だが、それは少々意地が悪すぎる。

本当に伝えたいなら、最初の一通で十分だったはずだ。

財産ではなく、ある謝罪

遺言の最後には、薄く書かれた謝辞と謝罪が添えられていた。

「家族へ、すまなかった。ありがとう」

その一文が、すべてを物語っていた。

真実を届ける役目として

私は三通目の遺言状を封筒に戻し、関係者への説明書類をまとめた。

ややこしい話だったが、ようやく筋が通った。

あとは、司法書士としての務めを果たすだけだ。

司法書士としての決断

結局、故人の本意を汲んだ内容で書類を整えることになった。

誰かが怒るかもしれない。でも、これが正しいと信じた。

「面倒事に慣れましたね」とサトウさんが言った。

最後の手紙と静かな午後

封筒を郵便局に持っていく帰り道、蝉の声がうるさかった。

クーラーの効いた事務所に戻ると、サトウさんは黙って麦茶を出してくれた。

私はそれを飲みながら、もう一度、三通目の手紙の文章を思い出していた。

サトウさんの小さなため息

「最初から一通にしておけばいいのに」

彼女の呟きに、私はただ苦笑した。

「やれやれ、、、ほんと、人生ってめんどくさいな」

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓