感情移入してはいけないと頭では分かっているけれど
司法書士として働いていると、遺産分割協議の現場に立ち会うことが多い。そこには感情のもつれや長年のわだかまりが渦巻いていて、ただの「手続き」では済まされない場面がある。私は地方で小さな事務所を構え、事務員一人と共に毎日バタバタと案件をこなしているが、ふとした瞬間に「自分、感情入りすぎてないか?」と気づいては、どっと疲れることがある。感情を抑えて仕事をするのがプロなんだろうけど、どうしても家族の歴史や空気に引き込まれてしまう自分がいる。
依頼者の気持ちがわかりすぎてしまうことがある
例えば、ある兄弟間の遺産分割協議で、弟さんがぽつりと「親父が兄ばっかり可愛がったんです」と言った。その言葉に私はぐっときてしまった。自分にも兄がいて、同じような感情を抱いたことがあるからだ。業務に支障が出るわけじゃないけれど、その瞬間から「この弟さんの気持ちを無下にしたくない」と思ってしまい、結果として中立性に迷いが出る。この「わかる」という感覚が、時に自分を縛り付けてしまう。
家族の揉め事を聞きすぎて心が摩耗していく
正直なところ、遺産分割協議の案件が重なると、心がすり減っていくのを感じる。聞きたくもない昔話、嫉妬や恨み、時には罵倒まで飛び交う。中には親の介護をめぐって「お前は何もしなかったくせに」と怒鳴る人もいて、その場の空気は張り詰めたまま。そうした場面に何度も立ち会うと、帰宅しても気持ちが切り替えられず、風呂に入ってもぼーっとしてしまう夜がある。感情を受け止めすぎると、業務外にも影響が出る。
中立であるべき立場と感情の間で揺れる
私は司法書士として、常に中立であるべきだと教わってきた。でも、それが難しい現場がある。感情のないロボットではいられない。依頼者が泣きながら語る背景を前にすると、どうしても「何とかしてあげたい」という思いが芽生えてしまう。でもそれが一方の立場に傾くことになりかねず、仕事としては危うい。その葛藤が、精神的な消耗を生む原因にもなっている。
あなたはどちらの味方なんですかと言われて
ある案件で、当事者から面と向かって「あなたは兄の味方なんですか」と言われたことがある。言葉が刺さった。私は中立の立場を保っていたつもりだったが、知らず知らずのうちに態度に出ていたのかもしれない。それ以来、言葉遣いや表情にも気をつけるようになったが、気を張りすぎて逆に不自然になってしまったりもする。相手の感情を理解しながらも、必要以上に寄り添わないというバランスの難しさを痛感した。
冷静になろうとすればするほど距離感が難しくなる
感情に流されないように意識すればするほど、自分の中で「冷たいやつになってないか?」という不安も出てくる。感情移入しすぎてもダメ、かといって感情を完全に切ってしまえば、信頼を失う可能性もある。仕事をしながら、心の距離感をどう取るかを常に探っている。まるでピッチャーがコントロールを意識しすぎてストライクが入らなくなるような、そんなジレンマがある。
泣く依頼者を前にすると黙っていられない自分がいる
泣いている人を前に、黙って淡々と書類を説明するなんて、私には無理だ。つい「おつらいですね」と言ってしまう。たった一言でも、そこに含まれる気持ちは大きい。その一言で少しでも救われたような顔を見せられると、「言ってよかった」と思う反面、「また自分の感情を仕事に持ち込んでしまった」と反省することもある。そういう自分の揺れに、毎回疲れる。
感情移入しすぎると業務に支障が出る現実
感情移入のしすぎが業務効率に響くこともある。単純な確認作業に時間がかかったり、一つの事案に気を取られて他の案件に手が回らなくなったり。私の事務所は小さく、事務員さん一人で回してくれている分、私が滞ると全体が止まる。頭では分かっていても、感情を抑えきれない自分にイラつくことも多い。
時間が倍かかってしまうことへの自己嫌悪
普通なら1時間で終わる案件が、気づけば2時間半。終わった後に、自己嫌悪が押し寄せてくる。依頼者の人生に共鳴しすぎて、つい話し込みすぎた。でも、「あれは無駄な時間だったのか」と思うと、やりきれない。事務員には「もう少し短くできませんか?」と優しく指摘されるが、内心ズシンとくる。そんな自分を責める夜が、時々ある。
もっと効率的にやらなきゃと思うけどできない
「効率的にやるのがプロ」と分かっていても、それができないから苦しんでいる。手早く仕事をこなしている同業者の話を聞くと、「自分は向いてないのかもしれない」と落ち込む。でも、ただ機械的に処理していくことが果たしていいのかという葛藤もある。結局、どこにも逃げ場がないような感覚に陥る。
事務員からの苦言に凹む日もある
長年一緒に働いてくれている事務員さんがいるが、時折こう言われる。「先生、ちょっと入り込みすぎじゃないですか?」と。彼女は悪気なく言っているし、むしろ事務所のためを思ってくれての発言なのはわかっている。でも、言われた瞬間にちょっと心が沈む。分かってる、分かってるんだけど…そう思いながら、翌日は少しテンションが下がって仕事を始めることになる。
同業者に相談してみて見えたこと
あまりにも疲れてしまったある日、知り合いの司法書士にこのことを打ち明けた。「感情移入しすぎて、心が持たない」と。彼はあっさりと「それ、あるよ」と言った。なんだ、みんな同じなんだと少しだけ安心した。人によってスタンスは違うけれど、悩みながらやっているのは私だけじゃなかった。
感情を切るタイプと寄り添うタイプ
同業者の話を聞いていると、感情を切るタイプと寄り添うタイプに分かれるようだ。切るタイプは「仕事だから」と割り切っていて、ある意味で自分を守っている。寄り添うタイプは、やはり感情の消耗が激しい。私は完全に後者で、だからこそ心が擦り切れるのだろう。それでも、どちらが正しいということではない。ただ、自分の持ち味をどう生かすかが大事なのだと思わされた。
人としてどちらが正しいかなんて答えは出ない
感情を切るのが正しいのか、それとも寄り添うのがいいのか。その答えは今でも出ていない。ただ、どちらであっても依頼者のためになっていればいいと思う。でも、自分の心が持たなければ、仕事も続けられない。だから私は、自分にとってのバランスを探し続けている。これは仕事の悩みというより、生き方の問題なのかもしれない。
自分なりのほどよい感情移入のラインを探して
最近は、少し距離を取ることを意識するようにしている。全部を受け止めなくてもいい、そう思えるようになったのは、何度も心が折れかけたからだ。若い頃のように根性だけでは乗り切れない。優しさと冷静さのバランス、それが今の自分に必要なものだと感じている。
元野球部のメンタルで耐えていた時期の限界
私は高校まで野球をやっていた。しんどくても歯を食いしばって練習に耐えたあの頃のメンタルで、仕事にも立ち向かってきた。でも、感情のしんどさは筋トレでは鍛えられない。気合いではどうにもならない感情の重さがあると知ったとき、初めて「休むこと」や「逃げること」の大切さを感じた。
今は少し距離を取る練習をしている
最近は「全部を引き受けなくていい」と自分に言い聞かせながら仕事をしている。無理に共感しようとせず、でも無視はせず、適度な距離感を持って接する。これは技術というよりも心構えのようなもので、少しずつ身についてきた気がする。まだまだ揺れるけれど、自分なりのペースでやっていこうと思っている。
誰かのためにと思って始めたこの仕事
司法書士としての道を選んだのは、誰かの役に立てる仕事だと思ったからだ。現実はしんどいことも多いけれど、その想いだけは今も変わらない。感情移入しすぎて傷つくこともあるけれど、それでも私はこの仕事を続けていきたい。だって、誰かの「助かった」の一言が、何よりも心にしみるのだから。
初心を忘れていないからこそ苦しいこともある
新人の頃、「丁寧すぎるくらいでちょうどいい」と教わった。その言葉を信じてやってきたけれど、今の私はその“丁寧さ”に振り回されている。でも、それは悪いことじゃないと信じたい。初心を貫くことは時に自分を傷つけるけれど、それが自分らしさでもあると思っている。
それでも優しさを失いたくないという気持ち
どんなにしんどくても、優しさを失ったら終わりだと思っている。冷たくならないように、でも自分を守るために少しだけ距離を取る。その塩梅がうまくいかないこともあるけれど、それでも自分なりに続けていく。感情移入しすぎる自分を責めるよりも、その優しさを認めてあげたい。そんなふうに思える日が、少しずつ増えてきた。