また一人反省会をしてしまった

また一人反省会をしてしまった

今日もまた夜の静けさに包まれて反省が始まる

誰かと話した後、事務所のシャッターを下ろし、コーヒーを入れて一息ついた瞬間に始まるのが「また一人反省会」だ。これはもう習慣なのか癖なのか。とにかくその日一日のやり取りや判断を、頭の中で巻き戻しながら、「あれでよかったのか」「もう少しこうできたんじゃないか」と、無限に問い直す時間がやってくる。静けさが余計に思考を研ぎ澄ませてしまって、まるで自分自身を尋問しているような感覚だ。

誰に言うでもない独り言が止まらない夜

ふと気づけば、誰もいない部屋で小声で話している自分がいる。「いや、それは違ったか」「でも、あの人も分かりにくかったしな」なんて、ぶつぶつと誰かに説明するような口調で。これが本当に疲れる。気づけば時計は23時を回っている。話す相手もいないのに、まるで対話してるように自分を責めて、自分を納得させている。結局、そのどれもが正解ではないまま、モヤモヤと胸の中に残る。

あの対応でよかったのかと頭を抱える

今日の依頼人は、ちょっと癖のある人だった。「急いで登記してほしい」と繰り返す割には書類が揃っていない。苛立ちを抑えながら丁寧に説明したが、帰った後になって「あれ、少し言いすぎたかも」と後悔が湧いてくる。厳しくするのが正解だったのか、それとも笑って受け流すべきだったのか…。どっちが誠実なんだと、自問自答のループにはまり、ため息だけが増えていく。

正解のない世界でモヤモヤだけが残る

司法書士の仕事って、法律には正解があるけど、人との接し方には正解がない。そこがつらいところだ。クールに対応しても「冷たい」と言われることがあるし、親身になっても「なめられた」と感じる人もいる。こちらがいくら丁寧にやっても、相手がどう感じるかはコントロールできない。だからこそ、夜に残るのは「モヤモヤ」だけ。反省会をしたところで、次に活かせるかどうかもわからないのに。

依頼人の顔が浮かんで眠れなくなる

布団に入って目を閉じても、頭に浮かぶのは今日の依頼人の表情だ。笑っていたかと思えば、最後は無言だったあの瞬間。「怒ってたのかな?」「納得してくれたのかな?」と想像が暴走する。眠れない夜は、仕事のことばかり考えている気がする。こっちは必死でやってるのに、それが伝わってるかわからないというのが、精神的に一番こたえる。

丁寧すぎたか甘すぎたかの判断がつかない

つい相手に気を使いすぎてしまう自分がいる。厳しく伝えなきゃと思っていても、実際に対面すると笑ってしまう。でも、あとから「もっとハッキリ言うべきだった」と反省する。逆に厳しく言えば言ったで「やりすぎたかな」と後悔する。この振れ幅が自分の中にあって、いまだに「ちょうどいい塩梅」がつかめない。気づけば毎日がその繰り返しだ。

笑顔の裏の本音を読みきれなかった悔しさ

「ありがとうございます、助かりました」と笑顔で帰っていった依頼人。でも、その笑顔が本心なのか、単にこちらを気遣ったものなのか、判断がつかないときがある。今日の人もそうだった。「これで本当に納得してくれてたのか?」と、夜になってから悩み始める。本音と建前が入り混じるやりとりの中で、読み違えた自分がいたのではないかという不安がつきまとう。

心のどこかで誰かに褒めてほしかったのかもしれない

結局、誰にも相談できず、誰にも評価されずに一日が終わる。この仕事、孤独だなと思うことが多い。だからこそ、反省会という名の“確認作業”を自分に課してしまうのかもしれない。もしかすると、本当は「よくやったね」と誰かに言ってほしいだけなのかも。そう思ったとき、自分の弱さが情けなくもあり、でも少しだけ素直になれる気もする。

事務員の前では平気な顔をしていたけれど

昼間は笑って「まあまあ、なんとかなりますよ」なんて言っていた。事務員の前では弱音なんて吐けない。雇ってる側としての意地もある。でも、それは本音じゃない。本当はもう少し余裕があればいいのにと思ってる。家に帰って一人になったとき、ふと脱力して「はあ…」と声が漏れる。誰にも見られないところでだけ、素の自分が出る。

一人になると情けなさが込み上げる

「俺、何やってんだろうなあ」と天井を見上げてつぶやく瞬間がある。誰のために、何のために、こんなに必死でやってるんだろう。見返りが欲しいわけじゃない。けど、たまには「頑張ってますね」くらい言われたい気もする。一人きりの事務所は、思った以上に心を静かにむしばんでくる。

無理をして背伸びしていた自分に気づく

本当は「わからない」「つらい」って言いたいこともある。でも、それを言った瞬間に全部が崩れてしまいそうで、必死に強がっていた。無理をしてプロらしく振る舞っていたけど、それがだんだん自分の首を絞めていた。背伸びして立っていると、ふとした拍子にバランスを崩して倒れそうになる。今の自分はそんな不安定な場所に立っていたのかもしれない。

優しさが自分を追い詰めることもある

誰にでも優しくあろうとするのは、いいことかもしれない。でも、その優しさが自分自身を消耗させていると感じる瞬間がある。断れない、強く言えない、つい相手に合わせてしまう。気づけば、自分の時間も感情もどんどん削られていく。優しさが正義とは限らないのだと、最近は身に染みて思うようになった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。