付き合う時間ないよねって言葉で終わった日々

付き合う時間ないよねって言葉で終わった日々

付き合う時間ないよねって言われた瞬間に止まった感情

あのときの言葉、「付き合う時間ないよね」。一見すると優しいようで、実は突き放すための一言だったのかもしれない。私の中では、その瞬間に感情が止まった。日々、仕事に追われていたことは事実だ。でも、全力で好きだったし、大切に思っていた。忙しさにかまけて、言葉を交わす時間すら作れなかった自分に、ただただ悔しさがこみ上げた。けれど、その一言は、まるで自分の努力すべてを否定されたようで、胸に深く突き刺さった。

その言葉を受けた日の天気を今でも覚えてる

曇り空だった。季節は冬の入り口で、吐く息が白くなるほど寒い日だった。駅の改札前で立ち止まり、彼女の口から出たその一言を聞いたとき、耳の奥がキーンと鳴った気がした。何も返せなかった。そんなこと、わかってる。言わせてしまった自分に腹が立った。だけど、自分を守るように「仕方ないよね」と笑ってしまった。笑うしかなかった。

言い訳だったのかもしれないと思いつつも

本当に時間がなかったのか。いや、時間を作ろうとしなかっただけかもしれない。言い訳のように「仕事が…」と口にするたび、相手は静かに傷ついていたのかもしれない。今思えば、あの言葉は彼女の優しさだったんだろう。責めずに終わらせるための。それでも、「もう少し待っててくれたら」なんて、自分勝手な願いを抱いていた。

本当に時間がなかったのは自分の方だったかもしれない

彼女の「ないよね」は、私の心に言い訳を許さない鋭さを持っていた。時間がないのは現実。でも、本当は気持ちに余裕がなかった。仕事で追い詰められて、自分の生活で精一杯だった。恋愛なんて、余裕のある人がするものだと思い込んでいた。気づけば、日々の業務に呑まれ、大切な人との距離を埋める努力さえしなくなっていたのかもしれない。

司法書士という仕事がもたらす時間の奪い方

司法書士という仕事は、決して時間に余裕のある仕事ではない。特に地方の小さな事務所では、すべてを自分でこなさなければならない。相談対応、書類作成、法務局への対応、そして突発的なトラブルへの対応。ひとつひとつはたいしたことがなくても、積み重なれば1日は一瞬で終わってしまう。そんな日々を繰り返すうちに、気づけば人と会う時間も、話す気力も失っていた。

忙しいが日常になって久しい

もはや「忙しい」という感覚すら麻痺している気がする。朝から夜まで、次から次へとやるべきことがやってくる。電話が鳴り、訪問者が来て、やっと机に向かえば期限の迫った登記申請。そんな中で「ちょっと会おうよ」と言われても、つい「ごめん、無理」と返してしまう。相手がどれだけがっかりしたか、後になって気づく。だけどもう、その人はいない。

1人事務所の限界と誰にも頼れない現実

事務員は一人いるけれど、実際には自分の判断にかかる部分が大きい。結局のところ、責任は全部自分。だから誰にも甘えられないし、仕事を任せることもできない。そんな自分に問題があるのかもしれない。でも、そうやって10年以上やってきてしまったから、変え方がわからない。負担は増える一方で、休日すら休めない。それが「司法書士らしさ」だなんて、冗談じゃない。

助けてと言えない性格が一番の敵

元来、人に頼るのが下手だ。学生時代、野球部でキャッチャーをやっていたからか、全体を見てまとめることには慣れていた。でも、誰かに弱音を吐くのは、負けを認めるようでできなかった。そのまま大人になり、仕事でも同じように振る舞ってきた。だけど、今思えば、自分を追い詰めていたのは「誰にも頼れない」じゃなく、「頼ろうとしなかった」自分自身だった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。