老眼が始まった朝にふと不安になること
ある朝、新聞の文字がぼやけて見えた。「ああ、ついに来たか老眼…」とため息まじりに笑った。でも笑えたのはほんの一瞬。その日の午後、法務局で申請書を確認するとき、書類の数字が見えにくくなっていることに気づいた。事務員に「これ、間違ってませんか?」と聞かれた瞬間、自分の視力よりも、体の衰えと向き合う時期が来たことの方がショックだった。老眼より怖いのは、そういう変化が、これからどんどん積み重なっていくという現実だった。
メガネで済む悩みと済まない悩み
老眼ならメガネをかければ済む。でも、独りで歳を重ねていく不安には、どんなレンズをかけてもピントが合わない。司法書士の仕事をしていると、「後見」や「相続」で独居の高齢者と接することが多い。そういう現場に行くたび、どこかで他人事ではないと感じる。書類上の手続きは淡々と進められるけれど、目の前のその人の孤独や生活の現実は、きっと自分の将来の姿かもしれないという不安を突きつけてくる。
独りで老眼鏡を探すドラッグストア
ある日、100円ショップの老眼鏡売り場に立ち尽くしていた。どの度数が自分に合うのかもよくわからず、店員さんに聞くのも恥ずかしくて、結局手当たり次第に試してみた。その姿が鏡に映る。ちょっと情けない。周囲は夫婦や親子連れ。たった一人でメガネをかけたり外したりしている自分が、どこか滑稽に思えて、急に胸が苦しくなった。
隣の夫婦が笑っているのがしんどい日もある
レジの列に並んでいると、隣の夫婦が「これ似合うかな」「これならお父さんでも見やすいね」なんて笑い合っている。微笑ましい光景のはずなのに、なぜか心がざわつく。自分には、そんな誰かと過ごす時間がない。今まで仕事に逃げてきた結果かもしれないけど、ふとした瞬間に「このままずっと一人か」と思うと、レジで買う老眼鏡の軽さとは裏腹に、心がずっしりと重たくなる。
独身のまま老いていく現実に向き合う時間
仕事に追われている間は、孤独や老後のことなんて考える余裕はなかった。でも45を超えてから、夜の静けさが妙に重たく感じるようになった。テレビをつけても笑えない。ご飯を作る気も起きない。そういう日が続くと、ただ「何のために働いてるんだろう」と自問自答するようになる。書類の山を前にして、ふと時計を見ると、時間だけがどんどん過ぎている気がして焦る。
忙しさに逃げていたけれど
若いころは「どうせ忙しいんだから、結婚なんて無理」と言い訳していた。でも本音を言えば、ただ怖かっただけかもしれない。誰かと暮らすことで生まれる責任や感情の波に、きちんと向き合う勇気がなかった。そして気づけば独り。忙しさが防波堤になっていたのに、その波が静かになった今、ぽっかり空いた時間に不安が広がっていく。
夕食のスーパーで買う一人分の総菜
夜のスーパーで買う、198円の唐揚げと、298円のサラダ。誰かのために買うのではなく、自分の腹を満たすだけの食事。こんな日々がこれからも続くのかと思うと、空腹よりも心が満たされない。一人分の分量に慣れてしまったけど、本当は誰かと鍋をつつくような温かい時間をどこかで求めている自分がいる。
「ただいま」と言わない帰宅ルート
仕事が終わって帰る道。コンビニでお茶を買って、照明の落ちた家に帰る。鍵を開ける音がやけに響く。誰もいない玄関に「ただいま」と言うわけもなく、靴を脱ぎ、ソファに座る。この繰り返しが日常になっているけれど、ふとした瞬間に「このまま歳をとっていくんだろうか」と思うと、急に不安がこみ上げてくる。
司法書士という仕事に救われているけど
この仕事があるから、生活できているし、誰かの役に立っている実感もある。だけど、それと孤独はまた別の話。お客様に「先生、頼りにしてます」と言われても、その言葉が心を満たすわけではない。むしろ、頼られるばかりで自分は誰にも頼れない状況が、どこか苦しくもある。
お客様には頼られても自分は頼れない
業務の中で、多くの方が「これどうしたらいいですか?」と不安げに聞いてくる。自分はそれに対して的確に答え、書類を整え、手続きを進める。プロとして当然のこと。でも、自分が人生に迷ったとき、そんなふうに頼れる相手がいるだろうか。ふとそう考えて、空虚さに襲われる。仕事をしていないと自分の存在が薄くなるような気さえしてしまう。
「先生」と呼ばれる重さと空虚さ
「先生」と呼ばれるたび、肩書きと自分との間に距離を感じる。確かにそれなりの責任もあるし、誇りもある。でも「先生」という言葉の中には、誰にも弱音を吐けない圧が含まれている気がする。だからこそ、誰かに「もう疲れた」と言いたくても言えない。肩書きが一人歩きして、素の自分を置き去りにしてしまう感覚に、時々押しつぶされそうになる。
やっぱりこの仕事をしていてよかったと思える瞬間もある
それでも、登記が無事終わって「助かりました」と笑顔で言われたとき、この仕事をしていてよかったと心から思える。たったそれだけの一言が、心をふっと軽くしてくれる。きっと、この繰り返しがあるから、何とか今日までやってこれた。愚痴も多いし、不安も尽きないけど、それでも明日も机に向かって書類に向き合っているだろう。