次もお願いねが妙に沁みた日

次もお願いねが妙に沁みた日

ふとした言葉に救われる日がある

日々の仕事の中で、誰かからの言葉に救われることがある。そんなこと、実は滅多にない。司法書士という仕事は、感謝されにくい職種だと思う。登記が終わっても「やっと終わった」と言われることはあっても、「ありがとう」なんて言葉はなかなか出てこない。だからこそ、たまにかけられる何気ない言葉が、やけに胸に刺さるのかもしれない。「次もお願いね」──今日はその言葉に、不意に背中を押された気がした。

忙しさに慣れてしまった心の鈍さ

朝からバタバタと書類に追われ、電話も鳴りやまない。事務員さんも機嫌が悪そうで、空気はピリピリしていた。そんな空気にも、もう慣れてしまった自分がいて怖い。昔は一つ一つの仕事に対して真剣に取り組み、クライアントの反応にも敏感だったのに、最近は「はい次、はい次」とただこなすだけの作業になっている。正直、心がすり減っているのかもしれない。でも、そのことに気づかないふりをしてしまう。そんな毎日が続いていた。

事務所の空気は今日もピリついていた

「おはようございます」の声も、どこか機械的。エアコンの風だけが仕事している事務所で、無言の時間が続く。お互いに気を遣っているのか、単に疲れているのか、それすらもうよく分からない。ただ、今日もなんとか回していくしかない。お昼を買いに出かける気力もなく、コンビニのパンをかじりながら、デスクに向かっていた。

「ありがとう」より無言の依頼書が多い日常

最近のやり取りはメールとLINEで済んでしまうことが多く、顔を合わせる機会も減ってきた。封筒に入った依頼書と手数料だけがポンと送られてくる。無言のプレッシャー。終わらせて当たり前、ミスをすれば責任だけは重い。こんな毎日が積み重なって、正直、やる気なんてものはもうずいぶん前にどこかに置き去りにした気がする。

クライアントからの一言が意外に沁みた

そんな中、今日久しぶりに事務所に直接来られたクライアントがいた。昔からの付き合いで、よく不動産の相談に来てくれる地元の社長さんだ。いつも通り事務的にやり取りを終え、領収書を手渡したそのとき、「いやー助かったわ。また次もお願いね」と言われた。その言葉が、思いのほか響いたのだった。

「次もお願いね」それだけなのに

特別な言葉じゃない。よくある一言。だけど、妙に沁みた。たぶん、ここ最近「またお願いしたい」と言われること自体が久しぶりだったからだろう。何より、その言葉には小さくても信頼の気配があった。自分の存在を必要としてくれる人が、まだいる。そんなふうに思えただけで、心のどこかにあったモヤモヤが少し和らいだ気がした。

言葉の余白に想像する期待と信頼

「またお願いね」という言葉には、いろんな意味が込められているように感じた。うまくやってくれる、任せて大丈夫、今回もありがとう──そういう思いが、言葉の間ににじんでいる気がした。たった一言だけど、その余白に、自分がこれまでやってきたことの価値を見出せた気がして、少しだけ前を向いてみようと思えた。

司法書士という仕事の孤独

司法書士は、一人で判断し、一人で責任を負う仕事だ。チームで支え合うわけでもなく、成果を皆で祝うことも少ない。事務員さんはいても、最終的にすべての責任は自分にかかってくる。その孤独に耐えきれず辞めていく同業者も何人か見てきたし、自分も何度か「もうやめたい」と思ったことがある。

褒められることの少ない仕事

どれだけ正確に、スピーディーに、誠実に対応しても、褒められることはまずない。むしろ「前より時間かかったね」とか「こんなに手数料かかるの?」と言われることの方が多い。それでも、こっちは毎日ギリギリのところでミスと戦っている。そういう仕事だと分かってはいても、やはり報われなさは拭えない。

成果が見えにくいというもどかしさ

建物が建ったり商品が売れたりするわけじゃない。僕たちの仕事は、紙の上で完結してしまうものばかりだ。登記簿が更新されても、クライアントがそれを確認することすら稀だ。だからこそ、自分の頑張りを実感しづらい。何のためにやっているのか、見失いそうになる日もある。

相談されても感謝されないジレンマ

「ちょっと教えて」と気軽に聞かれることはあっても、その答えに価値を見出してくれる人は少ない。相談だけして仕事は他所に流れることもあるし、「なるほどね」で終わってしまうこともしょっちゅうだ。それでも、法的リスクを防いだり、トラブルを未然に防いだりしている自負はある。だけど、それはクライアントには伝わらない。

ただの通過点で終わることの多さ

登記手続きは、人生の一大イベントの一部であることも多い。でも僕たちは、そのプロセスの一瞬に関わるだけの存在だ。家を買う、会社を設立する、その大きな物語の中で、僕たちは一瞬現れて、静かに去っていく。主役ではないし、脇役ですらないかもしれない。だからこそ、せめて「またお願いね」という言葉に、少しだけ心が温かくなる。

それでも続けていく理由

司法書士の仕事は決して華やかではない。誰かに見られることも少ないし、感謝の言葉もあまりない。それでも、今日のような一言があると、「やっててよかったな」と思える瞬間がある。これまでの疲れも、少しは報われた気がする。大したことじゃないけれど、きっとこういう積み重ねで僕たちは生きている。

小さな言葉が背中を押すとき

「またお願いね」──その言葉には、未来がある。過去の感謝ではなく、これからも期待しているという意思表示だ。僕はそこに、ちょっとだけ救われた。そして、また少しだけでも頑張ってみようかという気持ちになれた。そうやって、日々を乗り越えていくんだと思う。

「また頼む」の裏にある無言の信頼

頼まれるということは、信頼されているということ。愚痴ばかりこぼしていても、誰かが自分の仕事を必要としてくれる限りは、なんとか踏ん張れる。それが今の僕の支えになっている。

積み上げてきたものを否定しないために

派手な成果はなくても、地道に積み上げてきた仕事は確かに存在する。自分がやってきたことを、自分で否定してしまったら、何も残らない。だからせめて、こういう一言を心に刻みながら、次の日も机に向かう。

元野球部としての踏ん張りどころ

あの頃の練習も報われないことばかりだった。打てなくて悔しくて、でも腐らずに続けた日々が、今の自分の基礎になっている。仕事も同じかもしれない。成果が出ないときほど、踏ん張りどころだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。