プリンタートラブルに語りかける午後

プリンタートラブルに語りかける午後

誰もいない事務所で声を出す理由

午前中の相談が立て込み、昼食をかきこむように済ませたあとの午後、ふと気づくと、私は誰にも話しかけていない。静まり返った事務所に響くのは、キーボードを打つ音と、時折うなるエアコンの風音だけだ。そんな中、なぜか私はプリンターに向かって話しかける。「また詰まったのか?」と。冗談のようだが本気だ。誰もいないからこそ、声を出さずにはいられない。人と会話する機会が極端に少ない日常の中で、機械が唯一の“会話相手”になるというのは、少し悲しく、そしてリアルな現実だ。

声に出さないとやってられない日がある

司法書士という仕事は、人と接する機会がありそうで、実は一人で完結する作業が多い。書類作成や申請手続き、登記のチェックなど、黙々と進める業務ばかりだ。依頼人との打ち合わせもあるが、それが終わればまた孤独なデスクワークに戻る。そんな日が何日も続くと、ふとした瞬間に声を出したくなる。「おいおい、また通信エラーかよ」などと、思わずプリンターにツッコミを入れる。それはまるで、一人キャッチボールのようなものだ。ボールを投げる先がないから、壁に向かって投げて、自分に返ってくるだけ。でも、その壁すらないと、自分がここにいることを確認する手段さえ失ってしまいそうになる。

人に話せないから機械に話す

事務員は確かにひとりいる。でも、彼女も彼女で真剣に業務をこなしており、私語を挟む雰囲気ではない。かといって、業務の手を止めて雑談する余裕もない。そうなると、会話のはけ口は自然と無機質な機械たちへ向かう。「今日は機嫌悪いな、プリンターさんよ」とか、「パソコンさん、もうちょい頑張ってくれ」とか。傍から見たらただの変人かもしれないが、言葉を外に出すことで気持ちが少し落ち着く。昔、ひとり暮らしのアパートで冷蔵庫に話しかけていた記憶が蘇る。話しかけたところで何も変わらない。それでも、沈黙のなかで言葉を交わす“フリ”は、心の均衡を保つ一種の儀式なのだ。

エラー音が返事に聞こえるほどの孤独

ついには、プリンターのエラー音が「うん」と返事しているように錯覚する始末だ。ガガッという音が「まだ仕事するの?」に聞こえたり、ピピッという音が「今日も大変だったね」と言ってくれているような気がする。もう末期かもしれない。でも、孤独のなかで日々を乗り切るには、そんな妄想でもなければやっていけないのだ。人と接するよりもプリンターと“会話”する時間の方が長い日もある。それが、今の私の現実だ。

プリンタートラブルは日常の一部

もう何年使っているのか思い出せないプリンター。印刷スピードも遅く、時折フリーズしては再起動を繰り返す。それでも愛着があるから手放せない。彼(もはやそう呼ぶ)と過ごしてきた時間が長すぎて、もはや戦友のような存在だ。朝一番の印刷がスムーズにいくと、なんだか一日がうまく回る気がする。逆にトラブルが起きると、「今日は厄日だな」と思わされるほど、気分にも影響を与える存在だ。業務効率にも関わるので、放置できない問題なのだが、なぜか機械に翻弄される自分に慣れてしまっている。

紙詰まりは時間も心も奪う

忙しいときに限って紙詰まりが発生する。それも、よりによって急ぎの書類に限って。少しだけ斜めに差し込まれていた紙が、まるで嫌がらせのように詰まり、内部にぐしゃぐしゃと丸まり、取り出すのも一苦労。指を汚しながら紙を引っ張り出し、再セットする頃には、心も時間もごっそり奪われている。何度も繰り返すこの儀式。紙の繊維が爪の間に挟まったとき、「ああ、今日も俺の人生は紙に負けたな」と思ってしまう。紙一枚に、ここまで振り回される仕事って、他にあるのだろうか。

詰まりを直す手より先にため息が出る

「またかよ…」と口にするよりも先に、ため息が漏れる。もう慣れっこだ。手順も覚えている。どのカバーを開けて、どこを触ればいいのか、体が勝手に動くほど。でも、慣れれば慣れるほど、やるせなさも深くなる。この作業に何の価値があるのか、自問してしまうのだ。誰かが見ていてくれるならまだしも、この努力は誰の目にも触れない。ただ自分と、プリンターとの闘い。紙がスムーズに出てきたときの喜びよりも、それまでのストレスの方が圧倒的に強い。だからこそ、詰まりを直すより先に、まず心を整える必要がある。

なぜ今なんだと思いながらも誰にも言えない

なぜ、今この瞬間に限ってエラーが出るのか。依頼人との約束時間が迫っているとき、オンライン申請の直前、もう一刻の猶予もないときに限って、「用紙がありません」「インクがありません」「トレイが開いています」といった冷たい表示が出る。まるで機械に試されているような気さえする。「頼むから今だけは空気読んでくれ」と願っても、プリンターは機械的に拒否する。その苛立ちを、誰かに聞いてほしくても、言葉にするほどバカバカしい。でも、その小さな苛立ちが積もっていくのが、司法書士の孤独な日常なのだ。

話し相手がいないという現実

一人で事務所を切り盛りしていると、他人との雑談や何気ない会話がどれほど貴重なものだったかを思い知らされる。相談者は来るが、彼らとはビジネス上の会話しかない。事務員も多くを語らないタイプ。結果、日中ほとんど人と話さずに終わることも少なくない。会話がないまま帰宅すると、自分の存在感すら薄れていくような気がする。それが続くと、「今日は誰とも話していないな」と気づいた瞬間に、少しだけ胸がざわつくのだ。

仕事はあっても会話がない

ありがたいことに、仕事の依頼はある。相談も来るし、登記の依頼もある。忙しいのはむしろ感謝すべきことだと思っている。それでも、日常会話のない生活には何かが欠けている。仕事はしている。社会とつながっている。でも、心のどこかで孤独を感じるのは、人とのやり取りが「手続き」にしかなっていないからかもしれない。誰かと他愛もない話がしたい。天気の話でも、昨晩のテレビでもいい。そんな当たり前の会話が、私にとっては一番遠いものになっている。

事務員も無言 タスクに追われる日々

彼女が悪いわけではない。むしろ真面目で、丁寧に仕事をこなしてくれる良いスタッフだ。でも、お互いに忙しすぎて、雑談を交わすような余裕がない。時間を取って世間話をすること自体が贅沢に感じてしまう現場では、意思疎通は必要最低限に留まる。業務が円滑に進むことは大事だ。でも、その裏で私の心がどんどん乾いていく。業務効率と引き換えに、何かを失っている気がしてならない。

沈黙に耐えるには独り言しかない

だから、私は今日も独り言をつぶやく。「これ、明日までに間に合うかな」「うわ、またやっちまった」など、誰に向けた言葉でもない。ただ、自分がここにいるという証のように言葉を発する。それを聞いているのは、プリンターか、パソコンのモニターだけ。それでもいい。完全な沈黙に飲み込まれてしまうよりは、ずっとましだ。孤独に慣れるのではなく、孤独と付き合う術を模索している。それが、今の私の等身大の姿だ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓