通帳は整っているのに心がぐちゃぐちゃ
通帳の記帳は、月に一度のルーティンのようなものになっている。数字が合っているか、入金の確認、支払いの把握——どれも大切なことだ。けれど、ATMの前で通帳を眺めながらふと気づいた。「ああ、自分の気持ちは、全然整理できていないな」と。残高は増えていた。仕事も多い。なのに達成感はどこかへ消えてしまっていて、何か大事なものを落としたような気持ちが拭えなかった。
数字は正確なのに自分の気持ちは不明瞭
通帳の数字は、冷たくも正確だ。仕事をすれば報酬が振り込まれ、事務所の経費はきっちり引かれていく。けれど、自分の気持ちはそんなに割り切れない。ちょっとしたやりとりで心がざわついたり、意味のない一言が何日も頭から離れなかったり。司法書士という職業は、感情を押し殺して仕事をこなす場面も多いが、それがどんどん積もっていくのだろう。気づけば心の中がもやもやでいっぱいになっている。
気づいたら溜まっていたのは通帳より愚痴
最近、誰かと話していても、気づけば愚痴ばかりこぼしている。もちろん事務員さんには全部は言えないけれど、独り言のようにこぼれてしまう。「またあの件、やり直しか」とか、「今日も昼飯抜きだったな」とか。愚痴って、一度出すと癖になる。通帳に記帳するように、気持ちもどこかに記録できたらいいのに。そう思ってノートを開いたけど、最初の一行すら書けなかった。心の整理って、案外難しい。
記録は残るのに記憶は薄れていく
通帳を見れば、いついくら振り込まれたか一目瞭然。でも、あの日何を感じたか、どう思ったかはすぐに忘れてしまう。忙しさに飲み込まれて、「感じる余裕」がどんどん削られている。元野球部の頃は、試合ごとの記憶が鮮明に残っていたのに、今は登記一件一件がどれも似たように思えてしまう。記憶の整理ができていないと、仕事の意味も見失いそうになる。
司法書士という仕事が頭を占めすぎる
朝起きた瞬間から、依頼者の顔や、納期のことが頭に浮かぶ。歯を磨きながら「今日はあの書類出さなきゃ」と考えていて、気づけば朝食を食べ損ねている。四六時中仕事のことを考えていると、自分自身が仕事そのものになってしまう感覚がある。「人間」としてじゃなく「司法書士」としてしか見られていない、そんな孤独を感じる瞬間もある。
仕事の記録ばかりが脳内に並ぶ日常
あの登記はどこまで進んだか、この依頼者は何を求めていたか——仕事の記憶はやたらと鮮明に残っている。頭の中はタスクのリストで埋め尽くされていて、日常の感情が入り込む隙間がない。だから、ふとした拍子に「俺、今なにしてるんだっけ」と立ち止まりたくなる瞬間がある。仕事に追われているだけでは、自分を見失ってしまう。
案件ごとのやりとりがもはや記憶のバグ
「あれ、この方と話したの、今週だったっけ?先週?」そんなことが増えた。あまりにも件数が多くて、記憶が曖昧になる。メモを見返しても、どこか抜けている。自分の頭が信用できないのは、なかなかしんどい。事務員さんが確認してくれてなかったら、大きなミスにつながっていた場面も多い。そんな自分が情けなくもある。
真面目に向き合いすぎてしまう自分の性分
元野球部というのもあってか、「手を抜けない性格」が染み付いている。だからこそ一件一件に真剣に向き合ってしまうし、細かいことも気になってしまう。その分、頭の容量をどんどん使ってしまって、結果的に「考えすぎて疲れる」という悪循環に陥る。でも、いい加減にはできない。これが自分の限界でもあり、誇りでもある。
整理したいのは書類よりも感情
仕事柄、書類の整理には慣れている。ファイルごとに仕分けし、スキャンしてバックアップも取る。でも、自分の感情はどこにどう仕舞えばいいのか、さっぱりわからない。モヤモヤや寂しさ、焦りや苛立ち。それらをどう扱えばいいのか、誰か教えてほしいとさえ思う。
ふとした瞬間に湧き上がる孤独感
夕方、事務員さんが先に帰って、事務所にひとり残る時間がある。その瞬間、ふっと寂しさが押し寄せてくる。電話も鳴らない、外も静か。そんなとき、「ああ、俺、何のために頑張ってるんだっけ」と思ってしまう。司法書士という看板はあるけれど、人としての居場所は、どこにあるんだろう。
心の中の「未処理」が山積みになっている
依頼案件は片付いていく。でも、自分の中の不安や不満、誰にも言えない気持ちは「未処理」のまま。まるで机の下にどんどんゴミを押し込んでいるような感覚だ。いずれ溢れ出すとわかっていても、向き合う余裕がない。処理方法がわからない。そんな日々が続いている。
気づけば事務員の一言に救われていた
「先生、お昼食べましたか?」その一言に、なんだか心がじわっと緩んだ。事務員さんの何気ない気遣いが、予想以上に効いていたことに後から気づく。人は、人の言葉で回復するんだなと思った。書類や通帳では癒されないものが、確かにある。
記憶の整理に必要だったのは誰かとの雑談
何でもない会話が、自分の頭の中をリセットしてくれることがある。たとえば、元野球部時代の昔話を事務員さんに話したとき、「意外と熱血だったんですね」なんて笑われた。それだけで、少し自分を肯定できた気がした。
無駄話が思考を整える潤滑油になる
仕事に無駄話は不要——そう思っていた。でも、ちょっとした雑談が、心のこわばりを和らげてくれる。真剣な顔でPCに向かっているだけでは、人間らしさが失われてしまう。たまには「ただの人間」に戻る時間が必要だ。
元野球部だった頃の話が思いがけない癒しに
あの頃は、負けた試合の悔しさで泣いていた。でも、翌日にはまたグラウンドに立っていた。その切り替えの早さが、今の自分にはない。あの頃の自分に、今の自分はどう映るだろうか。そんなことを考えながら、少しだけ背筋を伸ばしてみた。
通帳記帳よりも優先したいことがある
数字を確認するのも大事。でも、それ以上に、今の自分がどう感じているのかを見つめることのほうが、もっと大事かもしれない。せめて週に一度でも、自分の心に「記帳」する時間を作ろうと思った。忙しいからこそ、自分自身を置き去りにしないように。
少しだけ立ち止まる勇気を持ちたい
立ち止まると、不安になる。でも、走り続けているだけでは見落としてしまうものがある。立ち止まるのは、負けじゃない。むしろ、自分を取り戻すための第一歩かもしれない。そんなふうに思える日が、少しずつ増えてきた。
今日の記憶を、今日のうちに受け止める
眠る前に、「今日も疲れたな」と言って終わるだけじゃなく、「今日の俺、よく頑張ったな」と言ってみる。それだけで、少しだけ記憶が穏やかに収まってくれる気がする。通帳には記録できない大切な感情を、心にちゃんと記帳しておきたい。