朝の空気が重たくなる理由
目が覚めた瞬間、「今日も仕事か」と思ってしまう。別に嫌いな仕事じゃないし、責任感もある。けど、この“始まってしまった感”がどうにも重たい。スーツに腕を通しながら、あの野球部時代の朝練の気合いとはまるで別物だと実感する。歳のせいか、気持ちのせいか。目覚ましよりも早く目が覚めた朝ほど、少し損したような気分になるのはなぜだろう。
目覚ましが鳴る前に目が覚めるのは幸せか
若い頃は寝坊ギリギリまで布団にしがみついていたくせに、最近は5時台に目が覚める。目覚ましが鳴る前に目覚めるのは一見健康的だが、実際は「今日もしんどいな」が浮かぶだけで、幸せとは言いがたい。もうひと眠りしようにも、仕事の段取りや未処理の書類が頭をよぎって眠れない。これ、幸せな目覚めって言えるんだろうか。
休みたいと願うほど忙しくはないという矛盾
「めちゃくちゃ忙しいんですか?」と聞かれることがある。いや、違う。休みたいほど忙しくはない。でも、常に何かに追われてる感覚が抜けない。予定表はスカスカでも、心がずっと満席状態なのだ。見た目ほど自由じゃない。中途半端な忙しさが一番しんどい、っていうのが実感だ。
事務員さん一人に支えられる日常
うちの事務所には事務員さんが一人いてくれる。それだけで、もう感謝しかない。でも、だからこそ気を使いすぎてしまう。機嫌を損ねたくない、負担をかけたくない、その想いが強くなりすぎて、自分の中で勝手にプレッシャーになっていく。優しさって、時に自分を縛る。
「すみません」が口癖になってしまった
ちょっとした指示を出すときでも、「ごめんね」「すまん」が口をついて出る。自分では自然な気遣いのつもりでも、最近は「謝りすぎじゃないですか」と言われる始末。たしかに、仕事なんだから遠慮しすぎも良くないんだけど、それでもつい「お願いしてる感」を出してしまう。主従関係じゃなくて、共存関係にしたい気持ちの表れなのかもしれない。
相手も人間こっちも人間
人に任せるって難しい。信じてないわけじゃない。でも、もし間違えたらと思うと、自分でやった方が楽だと思ってしまう。これは信頼の問題というより、性格の問題だと思う。元野球部でキャプテン気質の片鱗がまだ残ってるのか、「全部自分で背負わなきゃ」と思ってしまう癖が抜けない。
気を使いすぎる優しさのしんどさ
「優しいですね」と言われることがある。でも本当は、ただ怒るのが苦手なだけ。空気が悪くなるのがしんどいから我慢してるだけ。だから優しさじゃなくて、回避癖みたいなものだと思ってる。その結果、自分の中にしんどさが溜まっていく。笑顔で「大丈夫ですよ」と言いながら、心の中で「全然大丈夫じゃない」とつぶやいてる。
頼れる存在が一人だけという現実
事務員さんが休む日、それだけで事務所のリズムが崩れる。ワンオペ状態で登記の対応から電話までやると、どこかで必ずポカをやらかす。人手不足の自覚はあるけど、人を増やす余裕もない。結局、頼る人が一人だけというのが地方事務所のリアル。だからこそ、その一人がいてくれるありがたさは身に染みる。
電話が鳴ると心がざわつく
固定電話が鳴る音が苦手になってきた。着信音が鳴るたびに、「また何か起きたのか」と身構えてしまう。昔はこんなことなかったのに、いつからこんなに神経質になったんだろう。慣れって怖い。
「もしもし」で始まるトラブルの数々
「もしもし、ちょっとお尋ねしたいんですが…」から始まる電話って、だいたい一筋縄ではいかない内容が多い。「そんなことまで相談する?」と思うような案件もあるし、聞き間違いや言葉足らずで誤解を生むこともある。一度、登記の件で怒鳴られたことがあるけど、相手がまったくの勘違いだった。あのときは、心の中で三塁ベースを蹴って帰りたくなった。
出た瞬間に後悔する相手の声
電話の主が誰かわかった瞬間に、「あ、やばい」と思うときがある。以前トラブルになった人、クセが強い人、要望がやたら多い人…。こちらが丁寧に応じていても、なぜか不満そうに返されると、こっちの気力もガリガリ削られる。だけど逃げられないのがこの仕事。自分の声が、だんだん棒読みになっていくのを感じる。
それでもまた明日は来る
今日もしんどかった。でも、なんとか終わった。それだけでも十分だと思いたい。誰に褒められるでもない日常を、なんとかやりすごしていく。それが司法書士という仕事の日々かもしれない。しんどくても、また明日は来る。そしてまた、なんとなく続けていく。その繰り返しでも、生きていることには違いない。