家族の印鑑より自分の孤独が重たい

家族の印鑑より自分の孤独が重たい

家族の協力を頼むたびに孤独の輪郭が濃くなる

司法書士という仕事は、他人の家族や財産に関わる手続きを淡々と処理していく日々だが、自分の家族に書類へ印鑑をお願いする場面になると、どうにも心がざわつく。たとえば遺産分割協議書への署名押印を実家の兄に頼んだ時、郵送で返ってきた書類の封筒には一言のメモもなかった。字が丁寧なのが逆に虚しくて、たかがハンコひとつの重さに、ひとり身の心がずしんと沈んだ。

書類一枚のために頭を下げる現実

「これに印鑑をお願いします」と家族に頼むのは、依頼者に説明するのとはわけが違う。業務の一環と割り切れればいいが、相手が実の親兄弟となると、妙な緊張が走る。書類を準備するこちらの態度にも気を遣い、「忙しいところ申し訳ないんだけど…」なんて前置きしながら、結局お願いしているのは印鑑ひとつ。それなのに、頼んだあとの空気の重さに、ふと「俺って、なんでこんなに気を使ってるんだろう」と情けなくなる。

「もらえて当然」が言えない関係性

親族との関係は、距離が近いようでいて遠い。何かトラブルがあったわけじゃないのに、気軽に「ハンコちょうだい」と言えない自分がいる。昔はもっと気楽だったのに、大人になってからの家族は、妙に形式的で遠慮が混じる。特に独身のまま中年を迎えると、「まだひとりなのか?」という空気を勝手に感じ取ってしまい、印鑑ひとつお願いするだけで、自分の人生ごと見つめ直されているような居心地の悪さに襲われる。

心の距離は判を押す手のひらより遠い

印鑑を押す手はすぐに動いても、心は動いていないような気がする。それが余計に堪える。たとえば兄が押してくれた印鑑の真横に「よろしく」とボールペンで書いてくれていたら、どれだけ救われただろう。でも現実は、無言で返送されるだけ。家族の関係が薄れていくことに気づいていても、忙しさを理由に放置してきた自分にも後ろめたさがある。孤独というのは、相手との距離じゃなく、自分の心の中で増幅されていくものだ。

助けを求めるのが苦手なまま司法書士になった

元々、誰かに「助けて」と言うのが苦手な性格だった。高校まで野球部で、何があっても「自分の責任」と抱え込むクセが染みついてしまったのかもしれない。だからこそ、一人でやる仕事が性に合っていると思ってこの業界に飛び込んだのに、いざというときの孤独がこんなに重いとは思わなかった。手続きはひとりで進められても、心までは自動化できない。

野球部時代の「一人じゃない」感覚とのギャップ

野球部では、失敗しても仲間が励ましてくれた。声をかけあって、守備のミスも笑い飛ばして、次に向かうエネルギーに変えていた。でも司法書士の仕事は違う。失敗は許されず、黙って耐えることが求められる。そして誰かに甘えることも、プロらしからぬとされる風潮がある。だからこそ、ふとした瞬間に「自分だけ取り残されたような」気分になる。あの時のグラウンドが、今でも懐かしい。

今となっては連絡を取る人も限られて

仕事を続けていると、友人とも疎遠になっていく。LINEを開いても、連絡する相手は事務員と数人の同業者だけ。気づけば年末年始の挨拶も、義務的にしか送らなくなっていた。休日にどこかへ出かけようにも、一緒に行く人もいないし、そもそも疲れて寝てしまう。こんな孤独が襲ってくるとは、開業当初は思ってもみなかった。

手続きは進むのに心はどこか取り残されている

書類は予定通りに届き、案件は問題なく進んでいる。でも、それとは裏腹に、心のどこかが欠けたような感覚がある。孤独とは、ミスやトラブルではなく、「誰にも見られていない」ような寂しさから来るのかもしれない。事務員さんが声をかけてくれることが、思いのほかありがたく感じられる日もある。

業務の流れと感情のズレ

1日のスケジュールは常に詰まっている。朝から電話応対、書類作成、登記申請、郵送準備…。忙しさに紛れて、自分の気持ちは置き去りになっていく。機械のように動いていても、ふとしたときに「俺、今何やってるんだろう」と空虚になる瞬間がある。それが厄介なのは、誰にも言えないことだ。

依頼人には冷静に見えていても

相談中の私は常に冷静だ。専門家として当然の姿だし、信頼を得るためには必要な態度でもある。でも、本当は相談が終わったあと、一人で深いため息をついている。「また一人分の人生を預かった」と思う重さは、誰にも理解されないし、理解してほしいとも思えない。それが孤独というものなのかもしれない。

自分の心はわりとぐちゃぐちゃ

整理整頓されたファイルと裏腹に、自分の気持ちは毎日バラバラだ。今日も笑顔で対応していたつもりでも、帰り道に一人になると、「あれでよかったのか」と悩む。仕事は回っている。でも、心は時々立ち止まってしまう。それでもまた朝が来て、何事もなかったかのように仕事が始まる。それを繰り返している。

孤独とうまく付き合えるようになった日は来るのか

完全に孤独を克服することはないかもしれない。でも、それでもいいのかもしれないと思うようになった。孤独と一緒に仕事をして、孤独と一緒に眠って、そうやって日々を乗り越えていけるなら、それはそれでひとつの生き方なんだろう。

一人の重みを抱えたままでもやっていくしかない

印鑑をもらえた日も、もらえなかった日も、仕事は進む。家族に頼ることが苦手でも、仕事の責任は自分のものだ。そうやって割り切るしかないし、逆にそれがこの仕事の面白さでもある。自分の足で立って、自分で決断する。孤独がついてくるのは、その証拠かもしれない。

無理に前向きにならなくてもいい

よく「前向きに考えよう」と言われるが、それができれば苦労しない。無理に明るく振る舞うよりも、しんどい日はしんどいと認めた方が、心は楽になる。司法書士として、人の人生に関わる分、感情に蓋をしすぎると疲弊してしまう。だから私は、弱音をこぼすこのコラムを書いているのかもしれない。

今日も机に向かうだけでじゅうぶん

なにか大きな成果を出せなくても、今日もちゃんと出勤して、机に向かっているだけで、それは立派なことだと思いたい。誰かに褒められなくても、自分が「今日もやったな」と思えたらそれでいい。家族の印鑑より、自分の孤独の方が重たい――でも、その重さに耐えて生きている自分を、少しだけ誇りに思っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。