知らぬ間に壊れる信頼の話
司法書士という職業は、信頼の上に成り立っていると思う。契約書の一文、登記申請の一押し、依頼者とのやり取りの中で、こちらが何気なく交わした言葉ひとつが、相手の心に深く残っていたりする。だからこそ、どんなに誠実にやっているつもりでも、ある日突然「あの時の言い方、正直ショックでした」と言われて、椅子から転げ落ちそうになる。こちらにしてみれば、深い意味などない日常のやり取り。それでも、その「ちょっとしたこと」で信頼は壊れてしまうのだ。
悪気がなかったでは済まされない世界
「そんなつもりじゃなかったんです」と何度思っただろう。けれど、この言葉は、言われた相手にはほとんど届かない。「そんなつもり」があろうがなかろうが、相手がどう感じたかがすべて。司法書士として、正確さや速さだけでなく、感情の丁寧な扱いまで求められる。だけど、どんなに気をつけても、完璧にはできない。疲れているとき、急いでいるとき、余裕がないとき——そういう時ほど、やらかしてしまう。
電話一本の返しが遅れただけで
ある日、依頼者からの電話に出られなかった。それ自体はよくあること。だけどその後の折り返しが、別件の対応で遅れた。翌日ようやく連絡したら、開口一番「もう結構です」と言われた。理由を聞く隙もなかった。こちらは単にバタバタしていただけ。でも、相手には「無視された」「軽んじられた」と思われたのだろう。信頼なんて、こんなにも簡単に崩れるのかと、その日の帰り道、重たい鞄を引きずりながら思った。
小さな言葉の綻びがもたらす大損失
「まあ、そんなことはどっちでもいいですけど」と軽口のつもりで言った一言が、相手の顔を曇らせたことがある。すぐに訂正しようと思ったけど、時すでに遅し。打ち合わせの空気はどんよりし、その案件はいつの間にか別の司法書士に移っていた。大げさに聞こえるかもしれないが、現場では「口が滑った」が命取りになる。謝っても戻らない関係性があると知ってからは、笑いながら話すのが怖くなった。
信頼が崩れる瞬間は静かにやってくる
大きな喧嘩や衝突ではない。信頼が崩れる時というのは、本当に静かで、気づかないうちに進行している。だからこそ厄介だ。ある日突然、相手の反応がよそよそしくなったり、メールの文面が短くなったりする。それはもう、信頼残高が底をつきかけているサインなのだろう。けれど、その段階になっても、自分では何が原因なのか思い出せない。つまり、原因が「ちょっとしたことすぎて」見つからないのだ。
気づいたときにはもう遅い
後悔というのは、いつも「遅さ」とセットでやってくる。信頼を失った相手に、何を言っても伝わらない。どれだけ丁寧に対応しても、「もうあの人はない」と思われたら、それで終わりだ。こちらが一生懸命やっていたとしても、たった一度の気の緩みや、言葉選びの失敗が全体を塗り替えてしまう。気づいたときにはすでに扉が閉まっていて、その向こう側には、静かに離れていった依頼者の背中がある。
評価は積み重ねよりも一度の失敗で決まる
何年もかけて築いてきた信頼が、ほんの数分のやり取りで失われる。それがこの仕事のリアルだ。どれだけ丁寧に書類を仕上げてきても、誤解を生む対応が一度あっただけで、「感じが悪い人」とレッテルを貼られてしまう。自分が思う自分と、相手が見る自分は違う。だからこそ、信頼を築くには時間がかかるのに、壊れるのは一瞬。元野球部だった頃の「積み重ねがすべてだ」という感覚が、社会では通用しないと知った。
現場で感じる人間関係の繊細さ
業務内容そのものよりも、人との関係性の方が精神的に堪える日がある。登記の書類ミスはチェックで防げても、人の心の綻びは防ぎきれない。地方の司法書士事務所という小さな世界で、人との距離が近いぶん、気配りのミスがより深刻に響いてしまうのだ。独身で、愚痴を吐ける相手も少ない日常の中で、「信頼」という見えないものを守り続けるのは、本当に神経がすり減る。
なぜか疑われる司法書士の立場
時折、「司法書士ってほんとに必要?」といった言葉を聞く。相手が直接そう言わなくても、態度ににじむ「疑い」の目に気づいてしまう。どれだけ正確に仕事をこなしても、「法律なんてよく分からないから」と前置きされてしまうと、こちらの説明も届きにくい。専門職であることが逆に、距離感を生む場面もある。そういう空気を感じるたび、「誠実にやってますよ」と叫びたくなるが、もちろん声には出さない。
丁寧すぎると逆に胡散臭い
あまりに丁寧に説明しすぎると、「この人、何かごまかそうとしてるのかな」と思われることもある。逆に淡々としすぎると「冷たい」と言われる。ちょうど良い塩梅というのが本当に難しい。元野球部時代のように、「黙って結果で示す」では伝わらない世界。サービス業としての感覚を持ちつつ、専門職としての線も保つ——そんな綱渡りの毎日に、正直疲れてしまう。
ミスがないほど逆に怖がられる矛盾
たまに、「この人、完璧すぎて逆に信用できない」というようなことを言われる。もちろん完璧ではないが、それなりに神経を使って仕事をしてきた結果だ。でも、ミスがないことが「裏がある」と思われるというのは、やるせないものがある。じゃあ、どこかでミスしておいた方がいいのか? そんなわけにはいかない。矛盾を抱えたまま、今日もまた、自分のやり方を疑いながら机に向かっている。
事務員との関係にも潜む綻び
たった一人の事務員との関係も、時にヒリつく。こちらは「ただの確認」のつもりでも、相手にとっては「責められた」と感じることがある。お互いに忙しいと、気遣いが雑になり、言葉がトゲを持ってしまう。修復はできるが、時間がかかる。日々の業務でいっぱいいっぱいになっている中、そうした微細な人間関係の調整にまで気を配る余裕など、実のところない。
ちょっとした指摘が信頼の溝を生む
以前、「この書類、控えの順番が違うよ」と軽く伝えたつもりが、事務員の態度が急に冷たくなったことがあった。後で聞けば、「ミスを責められた」と感じていたらしい。自分では何でもないことのように思っていても、言い方やタイミングで、相手の受け取り方は大きく変わる。それを実感して以来、注意の仕方にも気を使うようになった。だけど、疲れていると、やっぱりまた同じことをやってしまう。
謝ったつもりが逆効果になる日
ある日、ミスをしてしまった事務員に「大丈夫、気にしないで」と伝えた。しかしその言葉が、「本当は怒ってるのに我慢してる」と受け取られてしまったようだった。気づいたときには、明らかに距離ができていた。謝るというのもまた、難しい技術だ。優しさのつもりが、逆に「距離を取られた」と感じさせることもある。優しくするって、どういうことなんだろう。自分でもわからなくなる。