静かな依頼の言葉に胸がざわついた朝
その朝は、いつものようにコーヒーを片手に事務所に入り、パソコンを立ち上げた。事務員が出勤する前の、あの静かな時間がいちばん落ち着く。依頼者からのメールを確認していると、一通だけやたらと丁寧な文面の相続登記の相談が目にとまった。「母のためにも、きちんと終わらせたいのです」と結ばれていた。その一文に、なぜだか胸がざわついた。内容はシンプル、だけど、どこか切実さがにじんでいた。
その一言が刺さった理由
正直なところ、日々の業務の多くは「淡々」としている。淡々と登記簿を確認し、淡々と申請書を作る。感情を出す暇などないし、感情を出したところで誰も喜ばない。でもその日は違った。その文面から伝わってきた「母のために」という言葉に、自分でも気づかないうちに心が動いたのだ。何年やっても、こういう瞬間にだけ、心がチクリと痛む。
普段の業務に潜む無感情とのギャップ
毎日毎日、誰かの相続、誰かの登記。でも、正直言ってしまえば「誰か」が誰かであるかなんて考えていられない。効率よくこなさなきゃ回らないし、感情移入なんてしていたら身がもたない。でも、この仕事は結局「人の人生」を扱ってるんだと、そのとき改めて感じさせられた。機械的な処理の中にも、誰かの思いが紛れ込んでいることを、忘れてはいけなかった。
自分が感情を抱いてはいけないと思っていた
司法書士という仕事柄、感情を交えることを避けてきた。業務に私情を挟むなと先輩から言われて育ってきたし、自分でもそれが正しいと思っていた。でも、「母のために」と書かれた一言に、勝手に自分の母親の顔が浮かんでしまった。亡くなった母にしてやれなかったこと、もっと話を聞いてあげればよかったという後悔が、ふと心の隙間からあふれ出した。
これでやっと母の思いが報われましたの一言
依頼の手続きを終え、無事に登記が完了したあと、依頼者から届いたお礼のメールには、こう書かれていた。「これでやっと母の思いが報われました。本当にありがとうございました」と。たった一文。でもそれは、自分がこの仕事を続けてきた中で、もっとも報われた瞬間だった。誰かの“報われた”に、自分の仕事が関われたことが、ただただ嬉しかった。
依頼人の声に含まれていたもの
その依頼者は、最初の相談からずっと、母親の遺志に従って丁寧に手続きを進めたいと話していた。細かいことまで確認し、間違いのないようにと何度もメールを送ってきた。面倒くさいと感じる人もいるかもしれない。でも、彼の中には「母の人生をきちんと終わらせてあげたい」という真摯な思いがあった。それがこちらにも伝わっていた。
母を想う気持ちと手続きの重み
手続きというのは、ただの書類のやりとりでは終わらないことがある。特に相続関係は、親との関係、兄弟との関係、思い出、後悔――いろんな感情が混ざっている。だからこそ、書類が完成し、登記が完了することが「一区切り」になる。依頼者にとっての節目に、自分の作業が関われることに、少しだけ誇りを感じた。
形式を超えて伝わる想いの正体
普段は形式に追われ、印鑑の押し忘れや記載ミスを防ぐことに必死だ。でも、今回のように「想い」がしっかりとある依頼は、仕事以上の何かが伝わってくる。登記完了の通知を送ったあとの「ありがとうございます」が、ただの礼儀ではなく、本心からの言葉だとわかるとき、やっぱりこの仕事には意味があると感じる。
業務の裏にある人生の重さ
司法書士の仕事は、外から見ると事務作業の延長のように思われることも多い。でも実際には、相談者の「人生の節目」に関わる仕事だ。相続、売買、会社設立、それぞれの裏にドラマがある。毎日がしんどい、忙しい、間違えられない。でも、誰かの人生の節目に立ち会っているんだという重さを、忘れちゃいけないと思う。
登記や相続は心を扱っているのかもしれない
書類には感情はない。でも、書類の向こうには感情がある。悲しみや喜び、悔しさや安堵、そういうものが、依頼者の言葉や表情に滲んでいる。仕事に追われていると、ついそれを見落としがちになるけれど、本当はそこを丁寧に扱うことが、司法書士の役割なのかもしれない。
データと感情のあいだで揺れる日常
Excelと法務局サイトを行き来する毎日のなかで、人の感情を拾い上げるのは難しい。でも、データを扱う自分の背中を押してくれるのは、やっぱり「ありがとう」や「これで安心できました」という一言だったりする。感情と効率のバランスは難しい。だけど、どちらかだけではこの仕事は続けられない。
効率と誠実のバランスをどう取るか
すべての依頼に同じ熱量で向き合うのは無理がある。だけど、「誰にとっても大事なこと」という意識を持ち続けることはできると思っている。時間をかけすぎても依頼者に負担になるし、早ければいいというものでもない。効率と誠実、そのどちらもを意識して、今日も黙々とキーボードを叩く。
母親の存在が心に重なる瞬間
依頼者の言葉が、自分の母親を思い出させたのは不思議だった。田舎で一人暮らしをしていた母。亡くなる前、何度か「お前の仕事、大変だろうけど無理するなよ」と言ってくれたことがある。あのとき、もっと話しておけばよかった、もっと近くにいてあげればよかった。今さら後悔しても仕方ないけれど、そういう思いは今も胸にある。
独身の自分が思い出した昔の家族
結婚もしないまま、司法書士として生きてきた。忙しさにかまけて、人付き合いも減っていった。友人たちは家族を持ち、子育てに追われている。自分にはそういう人生はなかったけれど、それでも、ふとした瞬間に「家族ってなんだろう」と考えることがある。母の思いが報われたと聞いて、昔の自分が少しだけ報われた気がした。
母への感謝と後悔が交差する
仕事に追われる日々の中で、ふと母のことを思い出すことがある。あのとき送ってくれたおにぎり、電話での何気ない会話。それが今になって、やけに大切な思い出になっている。感謝している。でも同時に、あのときもっと…という後悔もある。依頼者の「母の思いが報われた」という言葉は、そんな自分を責めすぎなくてもいいのかもしれない、そう思わせてくれた。
司法書士も人間です
士業だからといって、いつも冷静沈着でいられるわけじゃない。疲れているときもあるし、心が折れそうな日もある。でも、そんなときにこそ、依頼者の何気ない一言が支えになることがある。自分の感情を出しすぎないことも大事だけど、たまには揺らいでもいいんじゃないか。司法書士だって、結局はただの人間なのだから。