誰かの言葉が胸に残る日がある
司法書士という職業は、感情を押し殺して書類と向き合う時間が大半だ。ミスが許されない。期限は絶対。人の生死や財産に関わる仕事だからこそ、日々の緊張感は高い。でも、そうやって常に緊張し続けていると、ふと気が緩んだときに心が折れそうになる瞬間がある。そんなある日、僕は一本のメッセージに救われた。それは何でもない一言。でも、それが胸に染みて、涙が出た。
見えない疲れが心を蝕む
毎日、朝から晩まで机に向かって書類をさばく。登記の申請、契約書の確認、電話対応、郵送手配。事務員さんは一人だから、彼女の負担を減らそうと気を使っているつもりだけど、気づけば自分の皿が山盛りになっている。昼食を取るのも忘れて、ふと時計を見ると午後2時。胃がキリキリ痛んで、背中が重くなる。疲れていることすら、自分で気づかないくらい、鈍くなっていたのだと思う。
忙しさに飲まれていた数週間
特にその数週間はひどかった。相続登記の依頼が重なり、何人もの依頼人と面談をこなし、家庭裁判所への提出書類も抱えていた。加えて、ちょっとしたミスがあり、依頼者から厳しい言葉をもらった。自分の責任だと思って何も言い返さなかったけれど、その夜は何も食べられなかった。夢の中でも仕事をしていた。体じゃなくて、心が擦り減っていくのを感じた。
ふと手が止まった瞬間の空白
その日も朝からひたすら書類と向き合っていた。ふと、書類を綴じる手が止まった。時計の針は午後3時。小さな換気扇の音がやけに響いていた。誰もいない静かな事務所で、ふと「何のために頑張ってるんだろう」と考えてしまった。その瞬間、頭の中が真っ白になって、書類の文字が読めなくなった。ああ、限界かもしれない、と心の奥で小さくつぶやいた。
人の優しさに気づくのはいつも遅い
そのとき、スマホに通知が入った。旧知の友人からのLINEだった。彼とは大学時代、野球部で共に汗を流した仲だ。年に数回やりとりするだけの関係。でも、その彼がくれた一言が、思いもよらず心に突き刺さった。優しさというのは、余裕がないときほど、痛いほど沁みるものだとそのとき初めて実感した。
つい強がってしまうのはなぜか
僕は昔から、人に弱みを見せるのが苦手だった。野球部でも、怪我をしても我慢して、声を上げずに練習を続けていた。社会に出ても同じだ。司法書士という立場もあるのか、「弱音を吐いたら負け」みたいな感覚が染みついていた。でも、それは単なる思い込みだった。誰かに頼ってもいい。泣いてもいい。そう思えるようになったのは、あの午後のおかげだった。
頼ることが苦手な自分
仕事で行き詰まっても、つい「自分でやらなきゃ」と背負い込んでしまう。事務員さんにも本音はなかなか言えない。情けない姿は見せたくないと思ってしまう。でも実際には、そんなに無理しても誰も褒めてくれないし、報われるとも限らない。ただ、自分を追い込んでいくだけだった。それでも、誰にも弱音を吐けずにいた。
言葉を受け取る覚悟がなかった
人の優しさを真正面から受け取るって、実はとても怖いことだ。裏があるんじゃないかとか、情けないと思われたらどうしようとか、いろんな不安がよぎる。でも、本当は、ただ素直に「ありがとう」と言えばいいだけなのだ。あの午後、友人の「大丈夫か?無理してないか?」という一言が、どれだけ救いになったか。受け取る覚悟があれば、世界は少し優しくなる。
午後に届いた言葉の重み
そのLINEには、たった一言しか書かれていなかった。「最近どう?」とだけ。でも、その言葉に、僕の心はふっと緩んだ。「ああ、誰かが気にかけてくれている」と思った瞬間、急に涙がこぼれた。何日ぶりかにちゃんと泣けた気がした。感情って、こんなに溢れるんだなと、そのとき初めて思った。
たった一行のLINEが胸を突く
メッセージの内容はごくシンプルで、返事すら一瞬迷ったくらいだった。「ああ、元気だよ」と適当に返そうとしたけど、結局、「ちょっと疲れてるかも」と本音を書いた。すると、「俺も似たようなもんだよ」「今度飲もう」と返ってきた。そのやりとりだけで、何かがすっと軽くなった。言葉ってすごい。ほんの数文字で、心の重りが外れることもあるんだ。
「無理しすぎないでね」の一言
続けて届いた「無理しすぎないでね」の一文に、もうこらえきれなかった。その日初めて、事務所の椅子に深くもたれ、目を閉じた。誰かが、僕のことをちゃんと見ていてくれる。それだけで、頑張ってきたことが報われた気がした。まるで、自分の存在を肯定されたような気分だった。そんな一言が、どれだけの力になるか、あの午後に知った。
救いは言葉の中にあった
人は、誰かの言葉に救われることがある。それは、理屈でも論理でもなく、ただ心に届く何かだ。司法書士という仕事の中では、つい感情を排除しがちだけど、やっぱり人間だ。言葉に傷つきもするし、癒されもする。自分も、誰かをそんなふうに支えられるような存在でありたい。そう思えたのが、あの午後の一番の収穫だった。
司法書士として生きる意味を考える
誰かの言葉に救われた午後を経て、司法書士としての仕事に向き合う姿勢も少し変わった気がする。書類の向こうに人がいる。その人の不安や葛藤に寄り添うには、まず自分が人として健やかでいることが大事だ。強がらなくていい。誰かに頼っていい。そして、誰かの言葉に素直に涙を流してもいい。そういう当たり前のことを、ようやく受け入れられるようになった。
感情を殺すことが仕事じゃない
法律やルールに基づいて冷静に判断することは大事だ。でも、それだけじゃ人の心は救えない。感情を持ったままで、専門家として支えることもできるはずだ。むしろ、感情を閉じ込めてばかりいたら、いつか自分自身が壊れてしまう。司法書士として、人として、もっと柔らかく、もっとあたたかくありたい。あの午後に流れた涙は、そのための第一歩だったのかもしれない。