恋人より書類を信じた男が見失ったもの

恋人より書類を信じた男が見失ったもの

書類は裏切らないと信じていた

「書類は嘘をつかない」。それが僕の信条だった。恋人との関係がうまくいかず、感情の起伏に振り回されていた20代の頃、安心できるのは決裁済の書類だけだった。決められた形式、決められた印鑑、登記情報がきっちりと並ぶあの整然とした世界に、僕は救われていたのかもしれない。少なくとも、書類は僕の言うことを無視しないし、勝手にいなくなったりしない。愛情に振り回されるより、書類に囲まれている方が楽だった。それが間違いだと気づいたのは、ずっと後の話だ。

恋に傷つき仕事に逃げたあの頃

大学時代、同じゼミの彼女と付き合っていた。正義感の強い彼女に惹かれていたけれど、僕が司法書士試験に集中し始めた頃から、どこかすれ違っていった。連絡は減り、会話は義務のようになり、最終的には「書類の方が大事なんだね」と言われて終わった。言い返せなかった。確かにその頃、彼女より登記簿を前にする時間の方が多かったから。傷ついたのは確かだけど、それよりも、「書類の方が自分を必要としてくれる」と思っていた自分の考え方に、今になってぞっとする。

机の上にだけ残った安心感

失恋した夜、泣きながら帰った事務所で、僕は一人書類の整理をした。手を動かしているうちは気が紛れる気がして、夜が明けるまで登記原因証明情報とにらめっこしていた。寂しさや虚しさはあったけど、書類だけは黙ってそこにいてくれる。乱れることもなく、提出期限までに出せばきちんと結果を返してくれる。その「安心感」に、どれだけ助けられてきたか分からない。でも同時に、そこに人の温もりはなかった。書類は確かに裏切らないけど、寄り添ってもくれない。

印鑑の重みとぬくもりの錯覚

印鑑を押すたびに、「これでひとつ仕事が完了した」と小さな達成感を得る。その感覚に、いつしか“充実感”を錯覚していた。でも、ある日、仕事終わりに事務員が「先生、最近ちょっと疲れてますよ」と声をかけてくれたとき、急に胸が詰まった。印鑑の重みと、誰かの声の重みって、まったく違うんだと気づいた瞬間だった。物理的な重みじゃない、心の重さだ。書類に押すハンコは確かに大事だけど、人とのやりとりの中にこそ、僕が求めていた何かがあったのかもしれない。

司法書士という選択に後悔はないけれど

この仕事を選んだこと自体に後悔はない。法的な整合性を保ち、人の権利や財産を守る。それは誇りを持てる仕事だ。ただ、全てをそれに賭けてしまったような気もしている。結婚もせず、恋愛からも距離を置き、ただ黙々と書類と向き合う毎日。クライアントには「先生」と呼ばれるけれど、家に帰れば誰もいない。年を重ねるごとに、そのギャップがしんどくなる瞬間がある。でも、こうして振り返ることで、少しでも誰かの共感に繋がれば、それもまた意味があるのかもしれない。

本当は誰かに認められたかった

思い返せば、誰かに「すごいね」とか「頑張ってるね」と言われたかっただけなのかもしれない。だから勉強に打ち込み、司法書士になって、自分なりに努力してきた。でも、肩書きや資格では埋まらないものがある。それを埋めてくれるのは、他人との温かなやりとりだったり、予想外の一言だったりする。事務員がくれた差し入れのおにぎりが妙に嬉しかったりするあの感じ。書類では満たせない何かを、人との関係の中で少しずつ取り戻していく必要があるのかもしれない。

元野球部でも空振りばかりの人間関係

学生時代は野球部で、割と社交的な方だった。グラウンドでは仲間と声を掛け合い、ミスしても励まし合った。でも社会に出てからの“人間関係”は、そんなにわかりやすくなかった。誘いに乗りそびれたり、言葉の選び方を間違えたりして、何度も空振りした。特に女性との関係では、打席に立つ前にベンチ入りすら拒まれた感覚だ。だから仕事に逃げたというより、仕事しか残らなかったのかもしれない。少しずつでも、自分の不器用さを笑い飛ばせるようになりたい。

事務所のドアが閉まる音が一番静か

一日の仕事が終わり、最後にドアを閉める音。それが一番「静けさ」を感じる瞬間かもしれない。表面的には片付いたデスクと整ったファイル。でも心の中はザラザラしていたりする。書類の整理はできても、心の整理はうまくいかない。そんな夜、無音の中でふと「このままでいいのか」と思ってしまう。たまに飲みに誘われても断ってしまう自分に、さらに自己嫌悪するループ。けれど、そうした一つ一つの積み重ねが、今の僕なんだとも思う。

仕事はきちんとこなす、それでも埋まらないもの

司法書士としての仕事には誠実に向き合っている。クライアントの信頼も得られているとは思う。けれど、ふとした瞬間に、心にポッカリと穴があいていることに気づく。書類は完璧に処理しても、何かが足りない。その「足りない何か」は、もしかすると、書類の向こう側にいる“人の感情”なのかもしれない。ただ成果物を出すだけではなく、寄り添い、安心を与える。そんな仕事がしたいと思い始めている。

書類はミスなく仕上がっても心には穴があく

たとえば、完璧に準備した登記申請が受理されると、「よし」と思う。でも、そのあとの虚無感が強い日もある。目的を果たしたはずなのに、何かが残らない。成果としての達成感と、心の充足感は別物なんだと、最近やっと気づいた。便利で正確な書類も、人との温かな会話も、どちらか一方だけでは片手落ち。書類の正確さを守ることは当然として、それだけで心まで満たそうとするのは、ちょっと酷だったのかもしれない。

ミスしない毎日よりも語り合う夜がほしい

仕事が完璧に終わる日は、それはそれで嬉しい。でも、どこか味気ない。書類にミスがなかったとしても、誰とも話さず一日が終わると、やっぱり寂しい。たまには、誰かと愚痴を言い合いながら飲みに行きたい。ミスを恐れて縮こまるよりも、語り合って笑える夜の方が、人間らしいんじゃないかと思う。たとえその会話がとりとめもなくても、「自分を出せる時間」があるだけで、心の奥が少しあたたかくなる。

事務員さんは今日も淡々と優秀だ

うちの事務員は本当に頼りになる。僕がどんなに落ち込んでいても、冷静に処理を進めてくれる。正直、精神的には彼女の方がよっぽど大人だと思うこともしばしばある。僕がどれだけ書類とにらめっこしていても、彼女は少し離れた距離感でそっと支えてくれている。派手ではないけれど、その存在はとても大きい。人との関わりを諦めたくなる日もあるけれど、こういう誰かがそばにいてくれるから、何とか踏ん張れているのかもしれない。

先生って呼ばれるけど中身は普通の男

司法書士という肩書きで呼ばれることに、最初は誇らしさもあった。でも今では「先生」と言われるたびに、少し気恥ずかしい気持ちになる。自分自身は全然“先生”らしい人間じゃない。朝はギリギリに起きてコンビニで朝ごはんを買い、昼はカップラーメンで済ませる。夜は誰とも喋らず、テレビを見ながら寝落ちする。そんな生活の中で、書類だけが“自分を必要としてくれている”ような錯覚に陥る。だけど本当は、もっと人としての温度が欲しい。

愚痴をこぼせる相手が職場にいない現実

事務員さんには迷惑をかけたくないし、クライアントには当然言えない。そうなると、自分の弱音や愚痴を吐く相手がいない。だからこうして、文章にすることが唯一のガス抜きになっている。飲みに行けばいいじゃないかと言われても、誰かを誘う勇気もない。同業者同士で集まっても、仕事の話ばかり。心の奥を打ち明けられる場所がないまま、大人になってしまったんだと思う。せめてこの記事が、誰かの心に届けばいいと願っている。

書類を愛しすぎた僕たちへ

恋人より書類の方が裏切らない。そう思ってきたけど、それはただ、人間関係の難しさから逃げていただけだった。書類は確かに信頼できる。でも、人生に必要なのは信頼だけじゃない。笑い合える瞬間や、肩を並べて歩く時間。書類にそれを求めたって無理な話だ。この記事を読んでくれた誰かが、少しでも「自分だけじゃないんだ」と思ってくれたら、それが僕にとっての“人との繋がり”の第一歩かもしれない。

誰かと生きることを諦めないでいい

過去にうまくいかなかった恋愛や、人間関係の失敗があっても、それで全てを閉ざす必要はない。僕も、少しずつだけど人と向き合う勇気を持ち始めている。完璧じゃなくてもいい。話が下手でも、緊張しても、それでも人と関わろうとすることに意味がある。書類のように、フォーマット通りじゃないからこそ、人との関係は面白いのかもしれない。書類の山を超えて、誰かとの“日常”に手を伸ばしても、遅くはないと思う。

信頼できるのは書類だけじゃないと気づいた日

ある日、ミスをしたとき、事務員さんが笑って「大丈夫ですよ、先生でもミスするんですね」って言ってくれた。その一言が、不思議と心に沁みた。完璧じゃなくても、信じてもらえる。それって、書類よりもあたたかくて強い信頼なんだと知った。信じられるのは書類だけじゃない。人も、きっと信じられる。そう思えたことが、僕にとって大きな一歩だった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓