年に一度のよくやってますねが欲しくて仕事をしている

年に一度のよくやってますねが欲しくて仕事をしている

がんばってるのに誰も気づかないという日常

終わらない書類の山と静かな孤独

がんばって当然という空気

朝9時、誰もいない事務所に入ると、机の上には昨日のままの登記書類と、法務局から戻ってきた書留が無造作に積まれていた。
「また不備か……」とつぶやいて、コートも脱がずに内容確認。見れば、添付書類の一部に押印漏れ。
原因はこちらではない。依頼者の不注意。でも、それを指摘したところで、「そこまで見てくれると思った」と返されるのがオチだ。
がんばってるのに、それが当然とされる世界。司法書士ってのは、サザエさんで言えば波平ポジションかもしれない。怒られる役回りは多いのに、ほめられる場面は一向に来ない。

「褒め言葉」がどこかへ消えた職場

「よくやってますね」――その一言に、どれだけ救われるか。
でも、それをかけてくれる人はいない。
唯一、事務所のサトウさんがたまに「先生、それ今日中にやらないと燃えますよ」と言うだけ。たぶんそれ、褒め言葉じゃない。

モチベーションはどこからやってくるのか

それでも朝は来る

それでも人は目覚ましで目を覚まし、パンをかじり、出勤する。
モチベーションなんて、とうの昔に干からびてる。それでも書類は待ってくれない。
まるで「怪盗カゲロウ」が予告状を送りつけてきたかのような納期スケジュール。
昨日受けた依頼が、なぜか今日の午前中までに処理されることを期待されている。どこかの探偵漫画なら、時を止めてでも片づけるんだろうが、こっちは現実だ。

たまに来るご依頼者のひと言が救い

「先生、すごく丁寧にやってくれてありがとうございます」
1年に1回くらい、そんな神のような言葉をかけてくれる人がいる。
その一言で、3ヶ月は生きられる。単純だけど、それが人間だ。いや、少なくとも俺はそうだ。

年に一度でいいからほしい一言

がんばりの見返りは賞与よりも言葉

報われなさが心をすり減らす

報酬?それもまあ大事だが、金では埋まらない溝がある。
報われたいのは心。できれば、サトウさんにでもいいから言ってほしい。
「先生、よくがんばってますね」って。年に一度でいいから。

「よくやってますね」で立ち上がれる日もある

その一言で立ち上がれる人間もいる。
その一言で、次の登記もがんばれる人間もいる。
世の中は、そういう言葉がなさすぎる。
「やれやれ、、、」と、ため息をつく自分をなだめながら、またパソコンに向き直る。

サトウさんの毒舌と優しさのバランス

「先生、働きすぎです」…これが最高の褒め言葉

「先生、また机で寝てました?」
朝、サトウさんにそう言われる。
その言い方は冷たいようで、心配のにじんだ優しさでもある。
それが、今のところ唯一の「労い」だ。

感謝を伝えるスキルは持ち合わせていない

自分も人に感謝を伝えるのが下手だ。
だからこそ、「言葉の価値」は身に染みる。
たった一言の重みを、司法書士という仕事を通じて、何度も知った。
そして今日もまた、何も言われないまま、誰にも褒められず、俺はペンを走らせる。

褒められなさすぎて捻くれていく大人たち

なぜ日本人は労いが下手なのか

がんばりを無視する文化の弊害

礼を言わない、感謝を伝えない、評価しない。
それが「普通」とされてしまうこの業界。
でも、本当にそれでいいのか?
がんばった結果、評価されるのは当然じゃないのか?

労いを口にするには勇気がいる

「先生、よくやってますね」と言うだけのことが、どうしてこんなに難しいのか。
労いを口にすることは、弱さでも媚びでもない。
それは、たぶん一種の勇気だ。

誰かの「一言」が人生を変えるかもしれない

無言より不器用な一言のほうがあたたかい

完璧じゃなくていい。不器用でもいい。
「がんばってますね」の一言で、世界がちょっとだけ色づく。
それを知ってるから、俺は今日も、誰かにかける言葉を忘れないようにしたい。

年に一度の魔法があれば、人は耐えられる

今日も、また誰にも何も言われないまま日が暮れる。
でも、年に一度、その魔法のような一言があれば、人は耐えられる。
俺も、誰かにそう言えるように生きたい。
やれやれ、、、それが一番難しいんだけどさ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓