夢の中でしか話せない相手がいる

夢の中でしか話せない相手がいる

なぜか忘れた頃に夢に出てくる元同僚

特に思い出そうとしたわけでもないのに、ふと夢に出てくる人がいる。先日の夜、数年前に辞めていった事務員の女性が夢に出てきた。別に恋愛感情があったわけでもないし、最後の別れもそこまで印象的だったわけでもない。それでも、彼女の柔らかい話し方と、少し気を遣いながらも笑っていた表情が妙にリアルで、朝起きた時に「あれ、なんだったんだろう」と考えてしまった。普段は一人事務所の中で、誰かと世間話をする余裕なんてないし、そもそも話し相手もいない。だからこそ、ああいう夢を見るのかもしれない。

現実ではもう関わることのない人なのに

辞めてからは一度も連絡をとっていないし、こちらから連絡をする理由もなかった。お互い、少しぎくしゃくした空気のまま、あっさりと別れてしまった。あの頃の私は、とにかく業務に追われて余裕がなく、事務員の小さな気遣いや疲れた表情にも気づいてやれなかった。夢の中で彼女と話していた内容は他愛もない日常のことだったが、なぜかその何気ない会話が心に刺さった。たった数分の夢なのに、現実の自分がどれほど無機質な日々を過ごしているのかを浮き彫りにされたようだった。

何気ない会話の夢がやたらリアルだった

夢の中では、私はコーヒーを淹れていて、彼女が「今日は寒いですね」とか言っていた気がする。もう記憶はぼやけてるけど、事務所の空気がどこか穏やかだった。実際にはそんな空気感をつくる余裕もなかったし、どちらかというとバタバタしてピリついた時間ばかりだったように思う。それでも夢の中では、自分も彼女も少しだけ優しくなれていて、「こういう関係でいられたらよかったのかな」なんて、目覚めた後に思ったりもした。後悔とは違うけれど、どこか引っかかる。

夢から覚めた朝の妙なモヤモヤ

朝起きた瞬間、なんだかすっきりしなかった。夢なんて所詮、無意識の雑な編集で作られた映像だと思っていたのに、今回の夢はやけに感情に触れてきた。枕元のスマホを見ても、彼女からの連絡が来ているわけではないし、現実には何も変わっていない。ただ、自分の中で何かがざわついたまま、いつものルーティンに押し流されていった。夢と現実の境目がにじんだような感覚は、思いのほか一日中尾を引いた。

自分の中で整理がついていないのかもしれない

もしかすると、心のどこかでまだ引っかかっていたのかもしれない。あの別れ方が正しかったのかとか、もっとちゃんと感謝の言葉を伝えるべきだったのかとか、そんなことを今さら悔やんでも遅いのに、夢の中でそれが浮かび上がってしまう。普段はそんなこと考えもしないのに、夢という形で無意識が持ち出してくる。それだけで、自分が思っている以上に、あの出来事が心に残っていたのだと気づかされる。

夢に出てくるのはまだ何かが残っている証拠か

誰かが夢に出てくるのは、完全に心が整理されていない証拠だと聞いたことがある。忘れたつもりでも、まだ何かが残っているのだろう。彼女の存在が恋しいわけではない。ただ、言葉にできなかった感情が残っている。それはきっと、忙しさの中で飲み込んでしまったものだ。日々の業務に流されて、感情の処理が後回しになるのは司法書士という仕事の常だと思っていたが、それでも心には積もっていくものがある。

人間関係はいつもきれいに終われるわけじゃない

人間関係は、本当に難しい。ちゃんと謝れなかったこと、言葉を濁したままにしたこと、そんな曖昧なままの別れが後を引く。仕事柄、多くの人の人生の節目に立ち会うが、他人の契約書や登記の処理はきれいに終わっても、自分の感情の整理はなかなかそうはいかない。夢で再会することでしか、整理できないことがあるとしたら、なんとも皮肉だ。

心の中にひっかかり続けるやりとり

あの時、彼女が言いかけてやめた言葉がある。それが気になっていたのかもしれない。「先生って、もっと話せばきっと…」みたいな曖昧な言葉。あのときは忙しさにかまけて流してしまったけれど、今思えば、何かを伝えようとしていたのかもしれない。気づけなかった、あるいは気づかないふりをした自分がいた。

もう一度話したいと思っても現実では無理

今さら連絡をとる理由も勇気もない。たとえ再会できたとしても、どんな顔をしていいかわからない。仕事上での関係以上にはなれなかったし、これから先も交わることはない。それでも、夢の中でなら自然と話せるというのは、なんともやるせない話だ。人との関係には期限があるのだと、こういう時に痛感する。

あの時ちゃんと伝えておけばよかった

忙しさを言い訳にして、伝えるべき言葉を飲み込んできた。でもそれは、相手のためではなく、自分が傷つかないためだったかもしれない。別れ際に「ありがとう」とか、「ごめん」とか、そういう一言が言えたら、夢にまで見なくて済んだのかもしれない。

でもそれができないのが人間関係の難しさ

感謝も謝罪も、頭ではわかっているのに、それを言葉にするのは本当に難しい。特に男同士や、仕事の上下関係があると、余計に言葉が重くなる。自分が元野球部だからというのもあるかもしれない。黙って背中で語る、みたいな美学がどこかに染みついている。でも、それでは伝わらないこともあるのだ。

仕事に追われる日々の中で押し込めた感情

司法書士の仕事は、誰かの人生に深く関わることが多い。そのたびに「ミスは許されない」と自分に言い聞かせ、感情は脇に置いて進めていく。でも、それを何年も続けていくと、感情の置き場所がわからなくなる。そんなとき、夢がその置き場所になってしまうのだろうか。

感情を棚上げにするのが癖になっていた

人に頼られたり、期待されたりすることが多いと、「自分のことは後回しにしなきゃ」と思ってしまう。でもそれを続けると、だんだんと自分の感情に鈍くなる。気づけば、誰かと話したいという気持ちすら忘れてしまう。そうやって無理に抑え込んだ感情が、夢というかたちで出てきたのかもしれない。

忙しさは逃げ場所にもなる

「忙しい」という言葉は、ある意味で便利だ。心を開かなくてもいいし、誰かと向き合わなくても済む。でも、それを繰り返していると、ふと立ち止まった瞬間に、とてつもない空虚さが襲ってくる。夢に出てきたあの人の笑顔は、その空虚さを突いてくるようだった。

「大人だから」と我慢してきたことの行き場

大人になるって、我慢の積み重ねだと思っていた。でも、我慢した先に本当に自分が望んでいた未来があるのかは、誰にもわからない。だからせめて、夢の中だけでも、あの時言えなかったことを語り合いたかったのかもしれない。

司法書士という仕事の中にある孤独

司法書士という仕事は、人との関わりが多いように見えて、実はとても孤独だ。依頼人は一時的な関係だし、仲間同士で腹を割って話すような場も少ない。黙々と処理をこなす日々の中で、自分自身の孤独に気づかないふりをしているのかもしれない。

信頼されても、心を預ける相手ではない

依頼人には信頼される。でも、それはあくまで「専門家」としての信頼であって、心の中までは踏み込んでこないし、こちらも踏み込まれたくない。そうしているうちに、本音を言える相手がどんどんいなくなる。それに気づいたときには、もう夢の中でしか誰かと心を通わせることができなくなっているのかもしれない。

ひとりで判断し、ひとりで責任を背負う

この仕事は、結局最後は自分で決めなければいけないし、ミスがあれば自分の責任になる。それが怖いからこそ慎重になるし、誰にも頼らずに進めようとする。でも、いつからか「誰にも頼らない」ことが「誰にも頼れない」になっていたように思う。

誰かとただ雑談したい日もある

特に理由もなく、ただ「今日は疲れましたね」とか、「この書類、ややこしいですよね」って言える誰かが欲しい。それだけで少し救われる気がするのに、今の事務所にはその余白がない。

それが夢の中の会話で満たされてしまうとき

現実に満たされない心を、夢が少しだけ慰めてくれることがある。だけど、それが何度も続くようなら、きっと現実のほうを変える努力をしないといけないのだと思う。夢の中だけで生きていくには、この仕事はあまりに現実的すぎる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。