相手の気持ちが分からないまま過ぎていく日々

相手の気持ちが分からないまま過ぎていく日々

言葉にされない気持ちが怖い

司法書士として人と接する機会は多いものの、相手が何を考えているのか分からないまま話が終わることがよくある。特に、相手が何も言わないときの沈黙が一番こたえる。こちらは一生懸命やっているつもりでも、相手の顔色をうかがっているだけで本音に辿り着けない。怖いのは、あとから「本当は不満だった」と言われる瞬間。なんでそのとき言ってくれなかったのかと、悔しさと自責の念でいっぱいになる。だからこそ、「分かってあげられなかった」ことが重くのしかかる。

なぜこんなに気を遣ってばかりなのか

たとえば、登記の相談で来た高齢の依頼者が、こちらの説明に何度も首を傾げる。質問はないかと聞いても「分かりました」と言われるだけ。その日の夜、布団に入ってから「あれは分かってなかったんじゃないか」と急に不安になる。こういうことが積み重なると、必要以上に気を遣うようになる。言葉よりも表情や雰囲気を読み取ろうとしてしまう。でも、それが当たっている保証はない。ただただ疲弊するだけだ。

顔色を読むのも下手だし疲れる

正直に言うと、自分は人の表情を読むのが得意ではない。学生時代、野球部では仲間の機嫌なんて気にせず過ごしていた。上下関係と声の大きさでなんとなく察していた環境だった。でも、社会に出てからはそうはいかない。穏やかな表情の裏に怒りが潜んでいたり、無言の中に失望があることもある。そんなの、どうやって見抜けというのか。分からないからこそ、余計に気を遣って空回りする。なんとも消耗戦だ。

察しないことで怒られる理不尽

以前、事務員さんが書類の整理をしていたときに、こちらが声をかけたら「いま忙しいの分かりませんか」と言われたことがあった。いや、それなら先に言ってくれよと思ったが、言い返せずに黙って引き下がった。こういう「察して当然」な空気が本当に苦手だ。察することを美徳とする文化の中で、察せない自分が悪いとされる。たった一言あればすべて済むのに。そう思いながら、今日もまた誰かの沈黙におびえる。

事務所内の空気にも戸惑う

たった二人の小さな事務所。それでも空気は読めないと怖い場所になる。事務員さんが無言で仕事しているとき、何か機嫌を損ねたのではないかと不安になる。いや、たぶんそんなことはないのだろう。でも「たぶん」が確信に変わることはない。小さな沈黙が、心の中でどんどん大きくなる。こんな小さな場所でも、相手の気持ちが読めないことがストレスになるとは思っていなかった。

事務員さんの沈黙に毎回ドキッとする

先日、こちらが少し忙しくてイライラしていたとき、事務員さんが何も言わずに必要な書類を出してくれた。その無言に、なぜか背筋がぞくっとした。怒ってる?嫌われた?何か不満でも?—そんなことばかり考えてしまう。実際は単に忙しくて余裕がなかっただけかもしれない。でも、毎回ドキッとする。そのドキドキが、業務のパフォーマンスにも影響してくるから困ったものだ。

自分が何かしたのかと必要以上に考える

「自意識過剰かもしれない」と思いつつも、自分が何かしたせいで空気が悪くなってるのではと疑ってしまう。休憩中に会話が少なかっただけでも、気になって仕事が手につかなくなる。昔の自分なら気にせず突っ走っていたのに、今は逆に気にしすぎて動けなくなる。どうしてこんなに繊細になってしまったのか。年齢を重ねて、人の感情に敏感になったというより、「傷つくのが怖い」だけなのかもしれない。

でもやっぱり理由がわからないこともある

結局のところ、いくら考えても分からないものは分からない。原因があるようでない、ないようである空気の中で、自分だけが振り回されている気がする。思い切って「何かありましたか?」と聞いたら、「別に」と返されたこともある。その「別に」がいちばん怖い。ほんと、察するのは難しい。そして察せなかったことを、いつまでも引きずってしまう自分もまた、面倒くさい存在なのだろう。

依頼者の本音が見えない苦しさ

依頼者とのやり取りでも、こちらが勝手に気を回して空回りすることが多い。登記の説明をしても「はいはい」と返されるだけだと、本当に理解してもらえているのか分からず不安になる。質問が少ない人ほど、本当は分かっていないのではと疑ってしまう。だけど、聞かれない限りこちらから突っ込んで聞くのも難しい。下手をすれば「失礼な先生」になってしまう。

「言わない」けど「期待している」空気

ある日、相談だけのつもりで来所された方が、「結局こちらで全部やってくれると思っていた」と言い出した。いや、契約もしていないし、必要書類も出されていない。それでも「何も言わなかったけど、そっちが察して動くと思ってた」と言われたときは、本当にきつかった。「相手の期待」に気づかないまま、それを裏切ってしまった形になった。言ってくれたらよかったのに、と言いたいけれど、言えない気持ちも分かる。それがまた苦しい。

プロらしさと共感力のあいだで揺れる

司法書士としての専門性を保ちながら、依頼者の気持ちにも寄り添いたい。でも、それは思っている以上に難しい。法律の説明はどうしても堅くなるし、情に流されすぎてもいけない。仕事としての距離感と、人としての温かさ。そのバランスが分からなくて、自分の中で葛藤する。相手の気持ちが分からないとき、自分が冷たい人間に思えてしまうことさえある。

言葉で聞く勇気を持つことの難しさ

最近ようやく、「分からないときは、素直に聞いていい」と思えるようになってきた。でも、実際に聞くのはまだ怖い。「そんなことも分からないのか」と思われたらどうしよう。「そんなつもりじゃなかったのに」と誤解されたらどうしよう。そんな不安が先に立つ。結局、「聞ける勇気」がいちばん足りないのかもしれない。だけど、それを乗り越えたときに、少しだけ楽になる気がしている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。