誰にも言われないけどそれでもやっている
司法書士として、地方の小さな事務所を一人で切り盛りしていると、「よくやってるね」と誰かに言われることは、正直ほとんどありません。誰も見ていない場所で、書類を積み重ね、電話対応に追われ、役所とのやりとりに気を揉みながら、一日が終わっていく。自分なりに頑張っているつもりでも、その努力が誰かに届くことは滅多にありません。それでも、毎朝机に向かい、淡々と仕事をこなしている自分がいるのは、もはや習慣というより「諦め」に近い感情かもしれません。
がんばってるつもりでも評価はされない
仕事って結局、誰かに見られていないと評価されないものなんですよね。ミスをすればすぐに気づかれます。でも、地味な作業を正確に、誠実にこなしている日常は、誰の目にも止まりません。例えば、登記情報の確認作業や、クライアントとの事前説明に費やす時間。そういった影の部分ほど、仕事の質に直結しているのに、「ありがとう」も「助かったよ」もない。事務員さんにさえ「あれ?まだそれやってるんですか?」と軽く言われたときは、地味に傷つきました。
事務員の前では笑っているけど
事務所で一人雇っている事務員さんには、できるだけ弱音を見せないようにしています。「先生、忙しそうですね」と言われたら、「まあね」と笑って返す。でも本音を言えば、帰ってから抜け殻のようになっている日も多いんです。夕飯もろくに食べず、テレビも見ず、寝るだけの夜。誰にも相談できないし、聞かれてもないのに愚痴を言うわけにもいかない。笑顔でいるのは、職業柄の仮面みたいなもので、本当の顔はだいぶくたびれています。
先生って楽な仕事ですねって言われた日
ある日、お客さんに「先生って楽な仕事ですね。机に座ってパソコンカタカタしてるだけでしょ?」と言われたことがあります。その人に悪気はなかったんでしょう。でも、あの一言には結構こたえました。じゃあ、自分のやってることって、そんなふうにしか見えないのか?って。何年もかけて得た知識や経験を、まるで“ただの入力作業”みたいに言われると、情けないやら虚しいやら。笑って流したけれど、心の中では「じゃあ代わりにやってみてくれ」と思ってました。
自分で自分に言ってやるしかない
結局、「よくやってるね」って言ってくれる人がいないなら、自分で言うしかない。今日はよく頑張った、ちゃんと全部終わらせた、朝から何件も対応した。そうやって、誰も褒めてくれない分、自分が一番の応援団にならなきゃいけない。でもそれが一番難しい。自己肯定感なんて高くないし、むしろ失敗の方が記憶に残るタイプ。だけど、それでもやらなきゃいけない現実があるから、歯を食いしばって明日も出勤します。
誰も見てなくても机の前にいる
真冬の朝、事務所のストーブをつけて、ひとりでパソコンに向かうとき。外はまだ暗くて、誰も歩いていない。そんな中で書類を仕上げていくと、「何してるんだろうな」と思うことがあります。それでも、誰かの手続きを正しく終わらせるためには、この作業が必要なんです。誰が見ていなくても、自分がサボればそれだけ誰かが困る。そう思うと、休むわけにはいかない。それがこの仕事の責任であり、重さであり、誇りでもあります。
残業代もボーナスもないけれど
自営業だから当然だけど、残業代なんて出ません。夜まで働いても、日曜に事務所で作業しても、誰かにお金をもらえるわけじゃない。それでも、やらないと回らない。請求書の確認、月末の報告、取引先への返信…。それらを先延ばしにすると、後で自分が困ることは分かっているから、結局今日やるしかない。独立したときは自由だと思っていたけど、実際は「自由という名の責任」に縛られているだけなのかもしれません。
それでもやめないのはなぜか
何度も「もう辞めようかな」と思ったことがあります。特に、信頼していた依頼人から理不尽なことを言われたときや、役所とのやり取りで何時間も無駄にされたとき。でも、それでもやめなかったのは、自分がこの仕事にしかできない何かを、どこかで信じているからかもしれません。誰かの大切な手続きを、自分の手で無事に終わらせたときの安心感。それはお金では買えないし、「よくやってるね」と言われなくても、自分の中で響く小さな誇りです。
よくやってるよって誰かに言われたかった
本当は、誰かに言ってほしかった。「よくやってるね」「がんばってるね」「あなたがいてくれて助かってるよ」って。でも、そんな言葉は滅多に降ってきません。こっちがどれだけがんばっていても、周囲は案外気づかないし、気づいても言葉にしてくれない。だからこそ、たった一言が、たまらなく沁みるんです。
元野球部のノックのような日々
高校時代、野球部でひたすらノックを受けていたあの頃。誰かに見られるわけでもなく、地味な練習の繰り返し。でも、それが試合での守備力に直結するから、やる意味はありました。今の仕事も似ている気がします。毎日の地味な手続きや確認作業は、一見意味がないようで、確実に誰かの安心につながっている。評価はされなくても、自分の中での「いい仕事だった」という感覚が支えになってる。それだけで、なんとかやっていけてる気がします。
一球一球に全力で応えるような仕事
一通一通の郵便、一件一件の電話、それぞれに真剣に向き合う。まるで、一球一球ノックを受けるみたいに。その日何件も案件が重なって、気が遠くなりそうでも、ひとつずつ処理していくしかない。それを全部終えたときの疲労感と達成感は、試合後のグラウンドみたいな静けさがある。誰かに褒められたい気持ちももちろんあるけれど、それ以上に、「今日もちゃんと乗り切った」という実感が、自分を支えてくれているのかもしれません。
でも観客はいないグラウンド
違うのは、今の仕事には観客がいないってこと。拍手も歓声もなく、静かに終わる一日。でも、グラウンドには確かに立っている。誰のためでもなく、自分のためにノックを受け続けるように、今日もひとつひとつの案件に向き合っている。孤独ではあるけれど、それを寂しさとして飲み込めるようになったのも、大人になった証なのかもしれません。もし誰かが「よくやってるね」と言ってくれたら、その言葉を噛み締めて眠れる日が来ると信じています。