仕事が終わらない夜にふと立ち止まる
事務所の電気を消したのは午後9時を回った頃だった。机の上にはまだ未処理の書類が何件も積まれていたけれど、目も脳も働かなくなっていた。ふと時計を見上げて、ため息をつく。今日も終わらなかったなと思いながら、スーツの上着に手を通した。最近、こういう夜が増えている。忙しいことはありがたいと言い聞かせても、心がついてこない日もあるのが正直なところだ。
書類は山積み メールは未読
依頼人からの書類、銀行からの照会、法務局への提出資料。どれも急ぎだと言われて、どれも後回しになっている。メールは朝に一括で確認するようにしているが、今日は一通も開けていなかった。通知の数が増えていくのが、プレッシャーになっている。結局、処理が追いつかないまま「残業は明日に持ち越し」という名の自己欺瞞で、毎日を繰り返している。
それでも帰らなければならない現実
お腹が空いたな、と思ってもコンビニの冷たい弁当を想像して気が重くなる。食べたくないけど、食べないと持たない。帰宅しても誰もいない家だ。テレビはつけない。静かすぎる部屋の中で、たまに自分の足音がやけに響くときがある。疲れているのに、眠れない。それが積み重なっていく。
自分だけが取り残されているような感覚
昔の同級生たちは家族を持って、休日は子どもの野球の試合に出かけていると聞く。こちらはといえば、仕事に追われる日々。誰かと笑い合うことも、誰かに頼ることもないまま一週間が終わっていく。SNSを開けば、楽しそうな投稿ばかりが目に入る。画面を閉じた後、ふと「自分は何をやってるんだろうな」とつぶやいてしまう。
ため息交じりの帰り道に届いた通知
事務所の鍵を閉め、駐車場までの道をとぼとぼ歩いていたときだった。ポケットの中のスマートフォンが震えた。何気なく取り出して画面を見ると、メッセージアプリの通知がひとつ。「誰からだろう」と思いながら開いたその一文が、思いがけず胸を打った。
スマホの光が心に刺さる瞬間
普段なら通知なんて気にも留めないのに、その日はなぜか立ち止まって読んでしまった。「先生がいてくれて、本当に助かりました」。それだけの短いメッセージだった。名前を見てもすぐに思い出せなかったけれど、文面に嘘はないように感じた。
期待なんてしていなかった
正直、感謝されたいと思ってこの仕事をやっているわけではない。そう自分では言い聞かせてきた。でも、現実は「ありがとう」と言われる機会なんて滅多にない。むしろ、トラブルがあれば責められ、手続きが遅れれば叱られることの方が多い。そんな日々のなかで、不意に届いた「ありがとう」は、思っていた以上に心に沁みた。
でもその一文だけで涙が出そうになった
車の中でメッセージを何度も読み返した。誰かの力になれたんだと、はじめて実感できた気がした。言葉って、こんなにも支えになるんだなと、その時はじめて知った。情けない話だが、少し涙ぐんでしまった。たった一言なのに、それだけで今夜はなんとか眠れそうだと思えた。
内容はたわいもない感謝の言葉だった
メッセージの送り主は、数週間前に相続手続きを依頼された方だった。対面は一度きりで、それも長く話した記憶はない。でも、何か心に残るやり取りがあったのかもしれない。こちらが覚えていないような些細な親切が、相手にとっては大きな救いになっていたのだとすれば、それだけで少し報われた気がする。
先生がいてくれて助かりましたの一言
普段は「先生」なんて呼ばれても、どこか他人事のように感じていた。責任ばかりが重くのしかかり、名ばかりの信頼のようにも思えていた。でも、その一文にだけは重みがあった。「いてくれて助かった」という言葉は、存在そのものを肯定してくれる。役に立ったという実感は、何よりの救いだった。
顔もすぐには思い出せなかった
メッセージの主の顔を、すぐには思い出せなかったことが少し恥ずかしかった。だが、それもまた事実。数多くの案件の中で、人の顔や言葉が埋もれてしまうことはよくある。でも、相手がこちらを覚えていてくれて、気持ちを伝えてくれたこと。それが何よりの贈り物だった。
けれど確かに誰かの役には立っていた
自分の存在価値を疑ってしまう日々の中で、「誰かの役に立てた」という事実は、大きな意味を持つ。直接的な報酬でも、評価でもなく、ただ純粋な感謝。それは金額に換算できないほど価値のあるものだった。だからこそ、もう少しだけ、明日もやってみようと思えた。
司法書士という仕事に迷う夜はある
士業というのは華やかなものだと誤解されがちだ。けれど現実は孤独と紙との闘い。誰に褒められることもなく、淡々とした日々の繰り返しだ。正直、このままでいいのかと悩む夜は何度もある。やりがいを感じる瞬間より、空虚さに押しつぶされそうなときの方が多い。
自分の価値を感じられない日々
忙しさに流されていると、自分が何のために働いているのか分からなくなる。ただ生活のために働いているだけのように思えてしまう。誰にも相談できず、ただ孤独に机に向かい、ミスをしないように、怒られないように、と気を張って過ごす毎日。そんな日々に、自分の存在価値を見失いそうになる。
何のためにやっているのか分からなくなる
この仕事を志したときの気持ちを、今でも思い出そうとするが、正直、思い出せないこともある。食べていくため、親に心配をかけないため、世間体のため…そんな理由が浮かんでは消えていく。気づけば、原点がどこだったかさえ曖昧になっていた。
それでも続けてきた自分を否定しきれない
それでも、どこかで踏みとどまっている自分がいる。たとえ意味が見えなくても、投げ出さなかった自分を、完全には否定できない。弱さも愚かさも抱えながら、それでも目の前の書類を一枚一枚処理してきた。完璧ではないけれど、逃げ出さなかった。それだけは、認めてやりたい。
あの一通が教えてくれたこと
あの夜のたった一通のメッセージが、心の支えになった。大げさかもしれないが、続ける理由になったと言ってもいい。毎日がしんどくても、誰かにとっては必要な存在になれているかもしれない。その可能性がある限り、今日も書類の山に向き合う意味はあると思える。
全員に届かなくても誰かには届いている
この仕事は目立たないし、感謝されることも少ない。でも、誰かひとりの生活を支えることができたなら、それだけで十分なのかもしれない。全員に伝わらなくても、誰かに伝わればそれでいい。その一人が、夜に「ありがとう」と送ってくれるような人だったなら、それ以上は望まない。
報われる瞬間は唐突にやってくる
感謝されることは、あらかじめ予定されているわけじゃない。偶然、不意に訪れる。その唐突さにこそ、価値がある。期待せずに続けることの難しさはあるけれど、だからこそ、報われたときの喜びも大きい。その喜びを、忘れずにいたい。
だから少しずつでも続けていこうと思う
誰かの一通が、どこかの誰かを救うように。今度は自分も、誰かに「ありがとう」を届けられる人間になりたい。少しずつでもいいから、腐らずに続けていこう。明日もまた、同じような書類の山が待っているけれど、今夜は、ほんの少しだけ心が軽い。