誰にでもなれると思っていた司法書士
司法書士の資格を取ったとき、正直言って「これで一生食っていける」と思っていました。苦しい受験勉強を乗り越えた自分に、ようやく報われる日が来たと。地方に戻り、地元で事務所を開業した頃は、期待に胸を膨らませていました。でも、現実はそんなに甘くなかったんです。思い描いていた“安定”や“信頼”といった言葉は、実務の雑務にあっさり飲み込まれてしまいました。今思えば、あの頃の自分に一度声をかけてやりたいです。「理想の仕事は理想のままでいてくれ」と。
資格さえあれば食えると信じていた二十代
大学卒業後、地元に戻る選択をしたのは両親の介護がきっかけでした。でも「地方で士業なんて、むしろ独占市場で有利じゃないか」と軽く考えていた節もあります。資格さえあれば、いくらでも仕事はある。そう思っていました。ところが、開業初月に来た電話はゼロ。ポスティングのチラシも、周囲の無関心の中でただ散っていくだけ。焦って市役所の無料相談に通い詰めたのも、今では笑える思い出です。理屈では食えます、でも実際は、人と人との信頼がなければ何も始まりません。
なぜか増えていく“予想外の仕事”
司法書士って、登記だけやってると思われがちです。確かにそれが中心ですけど、実際には「なんでも屋」になりがちな現場があります。例えば、成年後見に関する相談のはずが、最終的には家庭内のごたごたの調整役。あるいは、相続の依頼を受けたと思ったら、遺品整理やお仏壇の引き取りまで聞かれる始末。断ることもできますが、田舎だと「冷たい先生」と言われかねない。そんな空気の中で、気づけば本来の業務以外の比重が重くなっていきます。
名刺は立派でも生活は平凡
名刺には「代表司法書士」と書いてあります。でも、朝起きてゴミ出しをして、カップ麺をすすりながらメールを開く日常は、どこにでもある“ただの人”です。お客様の前では丁寧に対応しますが、電話を切ったあとに机に突っ伏すことも珍しくありません。豪邸に住んでいるわけでも、高級車に乗っているわけでもなく、夕飯は近所のスーパーの割引弁当。誤解されやすいですが、司法書士って派手さとは無縁の、地味で堅実な仕事です。
事務所に流れる静寂がつらい
開業して数年が経つと、だいたいの仕事はルーティンになります。でもそのぶん、変化がない時間も増えていきます。一番つらいのは、事務所に誰も来ない日。カレンダーだけが進んでいって、自分だけ取り残されたような気分になる。静寂は集中の味方にもなるけど、孤独を深める敵にもなるのです。
一人事務所に事務員一人の重み
うちの事務所には、事務員さんがひとりいます。ありがたい存在です。ただ、それだけにプレッシャーもあります。自分の稼ぎが、その人の生活にも直結している。その責任の重さは、開業当初には想像もしませんでした。「今日は静かですね」と事務員さんが笑っても、心の中では「仕事がないだけなんだよな」と冷えていく。そんな日が、何度もありました。
話し相手がいない日のほうが多い
司法書士の仕事って、案外“黙っている時間”が長いです。書類作成に集中しているときはいいんですが、合間の空白時間がじわじわと効いてきます。特に独身だと、家に帰っても誰とも話さない。誰かに愚痴を聞いてほしくても、その「誰か」がいない。気づけば、コンビニの店員さんとの「ありがとうございます」だけが、唯一の会話だった日もありました。
電話が鳴ると逆に構えてしまう
昔は「電話が鳴らない」と不安でした。でも今は「電話が鳴ると構えてしまう」。なぜなら、たいていトラブルだからです。登記ミス、相続人の連絡不通、期限直前の相談……普通の相談はメールで来て、電話はたいてい急ぎの“火消し”。だからこそ、着信音が鳴ると一瞬体が固まる。わかっていても、慣れません。怖いのは、対応できる余裕がない自分に気づいてしまうことです。
モテないし結婚もできていない現実
これはもう開き直るしかありませんが、女性には本当にモテません。合コンも婚活も、どこかで「士業ってすごそう」と言われるけど、それだけ。事務所にこもって人と話さず、休日も予定がなく、忙しいふりをしているうちに、気づけば四十代半ば。名刺には肩書きがあるのに、家には誰もいない。そんな現実が、重くのしかかります。
仕事が忙しいのを言い訳にしてきた
「今は仕事が大事だから」――よく言ってました。恋愛や結婚を後回しにしてきたのは、自分の選択。でもそれが気づけば逃げ道になっていて、孤独をごまかす理由にもなっていた気がします。気がついたときには、同世代の友人たちは子どもの運動会や家のローンの話をしていて、自分だけがぽつんと取り残されているような気持ちになりました。
元野球部でも話題にならない年齢
昔は野球部で、それなりに活躍もしていました。でも今となっては、そんな話をしても「へえ、そうなんですね」で終わります。運動していた話も、健康診断の数値に勝てない年齢になりました。バットを握っていた頃の自信も、今は登記簿をめくる手の震えに変わっていく。過去の栄光は、今の孤独にはあまり効きません。
人の幸せをサポートするが自分は独り
相続や登記、後見業務。人の人生に深く関わる仕事です。感謝されることもある。でも、そのたびに「自分の人生はどうなんだろう」と立ち止まってしまう。依頼者の幸せをサポートする一方で、自分の生活は静まり返ったまま。それでも、不思議とこの仕事を嫌いになれないのは、きっとどこかで“誰かの役に立てた”という実感が、少しずつ自分を救っているからかもしれません。
それでもこの仕事を辞めない理由
ネガティブなことばかり書いてきましたが、それでもこの仕事を辞めたいと思ったことは、実は一度もありません。辛さもありますが、それ以上に“続けてきた意味”がじわじわと染み込んでいるのを感じます。誰かの人生に寄り添い、誰かの不安を少しでも軽くする。その役割が、自分の存在を支えてくれているのです。
感謝される瞬間が確かにある
忘れられないのは、あるおばあさんの相続登記の手続きが終わったあと、深々と頭を下げて「これで安心して眠れます」と言ってくれたこと。その言葉だけで、数ヶ月の苦労が報われるような気がしました。報酬よりも、笑顔よりも、その「安心した」という一言が、今も自分の心の支えになっています。
過去の自分に後悔はあっても誇りはある
あのときもっと稼げる道を選べばよかったとか、都会に出ていたらどうなっていたかとか、正直、後悔がないと言えばウソになります。でも、この町でこの事務所で、地味に働いてきた時間には、胸を張れます。誰に評価されなくても、自分だけは知っている。きっと、ふつうの司法書士にも誇りはあるのです。
誰かにとっての“ふつう”が支えになる
立派じゃなくても、特別じゃなくても、ふつうでいい。ふつうの司法書士が、ふつうにそこにいる。それだけで、誰かの不安が和らいだり、誰かの勇気につながったりする。そんな存在であれたらいいなと思っています。そして、この記事を読んだ誰かが、「自分もふつうでいいんだ」と思ってくれたら、それが一番の救いです。