倒れても誰も気づかない生活をしていることに気づいてしまった日
ある朝 起き上がれなかった
その日は、特に前触れもなくやってきた。前夜、疲れた体で帰宅し、夕食も摂らずに布団へ倒れ込んだ。それはいつものことだった。けれど、朝になっても体が重く、頭がガンガンする。気づけば時計の針はとっくに始業を過ぎていて、スマホの着信履歴には事務員からの不在着信がずらりと並んでいた。頭の中で「今日は無理だ」と繰り返しながら、ふと思った。「このまま俺が動けなくなっても、誰もすぐには気づかないんじゃないか?」と。
体は動かないのに電話は鳴り続ける
事務員からの電話も、取引先からの電話も、何度も鳴っては止まる。だけど、ベッドから体を起こす気力が湧いてこない。熱があるわけでもない。ただ、内臓が重く、腕や足も鉛のようだった。スマホの画面をぼんやり見つめながら、現実逃避するしかなかった。「まだ死んでないけど、生きてもいないみたいだな」そんな言葉が浮かんできた。
事務員がいなかったら本当に詰んでいた
うちの事務所は、事務員一人と僕だけで回している小さな司法書士事務所だ。たまたまその日、事務員が鍵を持ってきてくれていて、どうにか業務は回ったようだった。あとから「先生、大丈夫でした?」と聞かれた時、「寝坊」と苦笑いでごまかしたけれど、本当は倒れていた。もし事務員がいなかったら…と思うと、寒気がした。
誰かがいるありがたさを実感した瞬間
普段は愚痴ばかりこぼしてしまう相手だけど、その日は本当にありがたかった。人に頼れるって、こんなに救いになるんだなと痛感した。自分がいないと事務所は止まる。でも、その逆も然りで、彼女がいなければあの日、すべてが止まっていたかもしれない。孤独と責任、その両方に押しつぶされそうになった日だった。
そもそも 一人で働くということ
地方の司法書士事務所で一人親方としてやっていると、全部自分で背負いがちだ。顧客対応も、書類の確認も、登記の準備も、細かいトラブルの処理も全部。誰かに丸投げできる余裕もないし、引き継げる人もいない。だからこそ、自分が倒れたら終わりなのだという事実を、あの日強く感じた。仕事が回らないとかじゃなくて、そもそも誰も知らないうちにフェードアウトするかもしれないと思うと、ぞっとする。
自分が倒れたら誰が対応するのか
もし急に入院することになったら、登記は誰がやるのか。依頼者への連絡は?契約書の確認は?…考え出すとキリがない。特に司法書士の仕事は、期限が絡むことが多くて、少しの遅れが大きなトラブルに直結する。無断キャンセルで済まされる話じゃない。だけど一人で全部やっていると、その「もしもの時」の備えを、つい後回しにしてしまう。
お客さんは待ってくれないし 登記も止まらない
当たり前だけど、依頼者には僕の事情なんて関係ない。たとえ倒れていても、登記の期限は変わらないし、裁判所のスケジュールもずれない。以前、身内の不幸があったときでさえ、「今じゃないんだけど…」と、相談の電話がかかってきた。プロとはそういうものだと割り切ってはいる。でも、正直きつい。限界を感じる瞬間だ。
結局 最後は体力勝負という現実
年齢的にも、無理がきかなくなってきたのを感じる。20代の頃は寝ずに仕事もできたし、野球部で鍛えた体力が自慢だった。でも今は、肩も腰も痛いし、風邪も治りにくい。結局この仕事、最後は体力勝負なんだなとつくづく思う。しかも代わりがいないとなれば、倒れたらすべて終了。そんな危うい綱渡りをしているんだと、自分に言い聞かせている。
モテない男の孤独は笑い話じゃない
昔は「独身貴族」なんて言葉でごまかしていたけど、今となっては、ただの「ひとりぼっち」にすぎない。モテなかったのは今に始まったことじゃないし、別に結婚に憧れているわけでもない。でも、人と一緒に暮らしていたら、あの日も誰かが気づいてくれていたんだろうなと思うと、少しだけ寂しくなった。
頼る相手がいない現実を直視する日
結婚していなくても、恋人がいなくても、自分には仕事がある、事務所がある、と思ってきた。でも、いざというときに頼れる人が「業務上の関係者」だけって、やっぱりちょっと悲しい。同級生が「嫁がうるさくてさ~」と笑いながら話すのを聞いて、ちょっと羨ましくなることもある。人って、なんだかんだ言っても、誰かに気にかけられていたい生き物なのかもしれない。
同級生は家族に囲まれていた
地元に戻って開業したとき、あちこちで再会した同級生たちは、ほとんどが家庭を持っていた。子どもがいて、家を建てて、車を買い替えて…。そんな話を聞くたびに、「別の人生もあったのかもしれない」と思う。でも、自分には自分の道がある、とも思いたい。負け惜しみにしか聞こえないけど。
帰っても暗い部屋が待っているだけ
仕事が終わって帰ると、真っ暗な部屋。誰もいないリビング。温かい食事もなければ、「おかえり」の声もない。テレビだけが部屋の静けさを紛らわせる。でもその音が、逆に孤独を際立たせる日もある。こういう夜が、積もり積もって心をすり減らしていくのかもしれない。