朝の電話と消えた登記官
朝一番、事務所の電話が鳴った。受話器の向こうから聞こえてきたのは、いつも以上に焦った法務局の担当者の声だった。「昨日から登記官の水城が出勤していないんです」。
たしかに前日、固定資産の変更登記に関する相談で、彼にメールを送っていた。しかし返信はなかった。珍しいことだった。
一瞬、軽い風邪か何かかと思ったが、サトウさんが低い声で言った。「問題があるとしたら、最後の申請日です。あの日は妙な申請が一件入っていました」
サトウさんのため息と冷めたコーヒー
「こんな時に限ってブラックが薄いですね」サトウさんがため息をつきながら、コーヒーメーカーの前で腕を組んでいた。
こちらは朝から動揺気味だったが、彼女は冷静そのものだ。机の上には水城が最後に受理した登記申請の写しが置かれている。
依頼人は「堀内久雄」。しかし、その名前にどこか引っかかるものがあった。たしか以前にも同じような案件があったはずだ。
管轄法務局からの異常な連絡
「登記簿原本が紛失してるんです。あり得ないことですが……」。電話の声は震えていた。登記簿原本がなくなるなど、普通では考えられない。
その事実を告げられて、こちらも背筋が寒くなった。しかも紛失しているのは、例の「堀内」の土地に関するものだという。
「やれやれ、、、また厄介なことになりそうだな」と口をついた。こんな時に限って、司法書士が動く羽目になる。
登記申請はされていた
申請データは確かに受け付けられていた。しかも、電子申請ではなく、手渡しで提出されたと記録されている。
申請書の控えは、法務局のスキャナ記録と一致していたが、手書きの筆跡には違和感があった。まるで誰かが別人になりすまして書いたような、そんな不自然さだ。
しかも、申請に使われた印鑑が妙に新しい。「朱肉のにおいがまだ残ってる」とサトウさんが呟いた。
失踪当日の最終記録
防犯カメラの記録には、午後四時三十三分に水城が事務所を出る姿が映っていた。その手には、いつもの青いファイル。
しかしその後、彼は帰宅せず、携帯も通じないまま行方不明になっている。家族も事情を知らず、ただ心配しているだけだった。
「逃げた?」と訊くと、サトウさんは「消されたのかもしれませんね」と真顔で言った。やめてくれよ、コナンじゃあるまいし……。
鍵付きロッカーに残されたもの
法務局のロッカーには、水城の私物がほぼそのまま残っていた。しかし、例の堀内に関する案件だけが書類ごと抜け落ちていた。
唯一残されていたのは、小さなメモ帳の切れ端。「名義が変わる前に動け」。震えるような文字でそう記されていた。
「この筆跡、水城のものじゃありません」とサトウさんが断言した。どうやら、誰か別の人物がこの案件を動かしている。
申請人の正体に違和感
調査を進めていくうちに、「堀内久雄」という人物がすでに数年前に死亡していたことが判明した。
それなのに、なぜ彼の名で申請がされたのか。答えは一つしかない。「偽造」だ。しかし、そのレベルは尋常ではなかった。
死亡後の相続登記もされておらず、登記簿上ではまだ生きていることになっている。それを利用した詐欺の可能性が高まった。
古い筆跡と新しい認印
申請書の署名と、五年前に提出された資料の筆跡が一致していた。つまり、今回の偽造は過去の資料を元に再構成されたものだ。
「見事にやられましたね。まるでキャッツアイが古美術品を狙うみたい」とサトウさんがつぶやいた。そういうの、妙に説得力があるのが腹立つ。
印鑑の材質まで再現されていたのは、プロの犯行としか思えなかった。俺のような町の司法書士には荷が重い。
職員が語らない奇妙な沈黙
法務局の内部には、妙な空気が漂っていた。水城と特に親しかったという女性職員は「最近疲れているようだった」とだけ言った。
その目は何かを知っているようだったが、口を閉ざしたままだった。これ以上踏み込めば、こちらの業務にも支障が出る。
「やれやれ、、、これは深入りしない方がよさそうだな」と思いながらも、結局足を運んでしまうのが、俺の悪い癖だ。
古い登記簿の矛盾
別件で保管されていた古い登記簿には、堀内名義のままになっている土地が複数存在していた。
そのうちの一つに、不自然な空白があった。どうやら、申請された地番が実在する隣地と誤って記載された形跡がある。
その土地の所有者は現在、高齢の女性で、記憶も曖昧になっていたが「昔から堀内さんの土地だった」とだけ語った。
五年前の所有権移転との関連
さらに調べると、五年前に一度だけ堀内名義の土地が第三者へ移転されていた事実が出てきた。
しかしその申請は、ある司法書士によって直前に取り下げられている。調べると、なんとその人物、すでに免許を返納していた。
「完全に仕組まれてますね」とサトウさんが呟く。どこかで見たような、複雑なピースの連なりが徐々に形を成していく。
差し替えられた書類と封筒の謎
最後の手がかりとなったのは、水城の机に残されていた一通の封筒だった。中身はただの地図だったが、隅に不自然な折り目があった。
その折り目の下から出てきたのは、差し替えられた登記申請書の原本コピー。そこには正しい地番と、正規の所有者の署名があった。
つまり、水城は偽造申請を見抜いていた。そしてそれを止めようとして、姿を消したのだ。
やれやれ、、、俺が行くしかないのか
結局、俺が行動を起こすしかなかった。封筒の地図を手に、指示された住所へと向かう。
それは市街地から外れた古い倉庫。中には水城が倒れていたが、命に別状はなかった。ただ監禁されていただけらしい。
犯人は既に逃げた後だったが、水城の証言と資料によって、偽造申請の一味は後日逮捕された。
深夜の登記官宿舎
事件の後、水城は一時的に休職となったが、再び登記所に戻ってきた。彼の宿舎には今も鍵が二重にかけられているという。
「登記簿より、命の方が大事ですよ」と言ったのは彼の奥さんだった。確かにその通りだ。
サザエさんのようにのんびり生きていたら、こんな目には遭わなかったかもしれない。けど、まあそれも人生か。
隠された鍵と旧姓のメモ
事件の結末として明かされたのは、堀内という名前が実は偽名だったことだ。申請者は、旧姓を使って登記をごまかしていた。
そしてその偽名を使って、複数の土地の名義変更を計画していたという。完全に、組織的な犯行だった。
「俺の事務所にそんな大事件が舞い込むなんてな、、、やれやれ」と、俺は冷めたコーヒーを啜った。