ミスを引きずる夜の帰り道がやけに長く感じた日

ミスを引きずる夜の帰り道がやけに長く感じた日

なぜか今日は足取りが重い

仕事を終えて帰路につく時間。いつもなら「ああ今日も終わった」と思えるのに、今日は違った。胸の中に鉛のように沈むミスの感覚がずっと残っている。些細な確認不足で、登記の提出先に間違った書類を送ってしまったのだ。修正できる内容ではあったが、相手先に余計な手間をかけさせてしまったこと、自分の確認の甘さにただただ情けなさが募る。誰にも責められなかった分、余計に自分で自分を責めていた。田舎道を歩く足取りは、いつもよりもずっと遅く、街灯の下にできる影も、どこか心細く見えた。

たった一つのミスが一日を壊す

ミスというのは、一瞬の油断から生まれる。今回もそうだった。いつもどおりの業務の中で、何度も見ている書式。手慣れたつもりで油断していたのだろう。ダブルチェックを怠った自分が悪い。だが、一度のミスがその日のすべてを塗りつぶしてしまうほどの破壊力を持つとは、何度経験しても慣れるものではない。依頼人にはすぐに謝罪と再提出の連絡をしたが、内心は「信頼を失ってしまったかもしれない」という不安でいっぱいだった。

「確認したはず」が通用しない世界

司法書士という仕事は、「うっかり」では済まされない世界だ。しかも、確認した「つもり」では通用しない。確実にやったという裏付けと、自信が求められる。だからこそ、「確認したはずなんですけど…」などと言う自分の言葉が、何よりも自分自身を刺す。「はず」は、責任放棄の言い訳にしか聞こえないことを、もう何度も味わってきた。

時間が巻き戻せたらと願う瞬間

帰り道、ふと歩みを止めて、空を見上げてしまう。もう暗くなった空の下で、今日の朝に戻れたらどんなにいいだろうと思う。もしあの時、ほんの数秒、書類を見直していたら。もしもう一度だけ確認していたら——。でも現実は、時間が巻き戻ることなどない。だからせめてこの後悔を、次のミスを防ぐための痛みとして心に刻むしかないのだ。

帰り道で自分を責める癖

誰に教えられたわけでもないのに、昔からずっとそうだった。野球部の頃から、自分のミスで負けた試合は、家までの帰り道が地獄だった。誰にも責められないのに、自分の中で「お前のせいだ」と声が響いていた。それが癖になったのだろう。今も変わらず、誰に言われたわけでもないのに、自分を追い込んでしまう。

歩くほどに後悔が増える

田舎の夜道は静かだ。その静けさが、思考の声を大きくする。歩くたびに、あの瞬間の判断が頭をよぎり、後悔が重なる。「あそこで気づけたはずだ」「いや、焦っていたのが悪い」「そもそも朝から集中できてなかった」——こんな風に自分を責める思考が、歩幅とともに膨らんでいく。自宅に着く頃には、身体よりも心がぐったりしている。

同じ過ちを繰り返さないために

ただ、自分を責めるだけでは意味がない。それを次に活かす工夫をしなければ、ただの自己嫌悪で終わってしまう。今回のミスの原因をメモに残す。朝のルーティンを見直す。チェックリストを更新する。ほんの小さな積み重ねだが、それでも「同じことは繰り返さない」と自分に誓うことが、次への一歩になるのだと思う。

誰かに話せたら少しは楽なんだろうけど

事務員さんに愚痴をこぼすわけにもいかない。彼女は彼女で業務に集中しているし、いちいちこちらの感情まで受け止めていられないだろう。かといって友人に電話する気にもなれない。40を過ぎると、何でもかんでも「自分で処理すべきこと」という感覚が強くなる。だからこそ、余計に孤独だ。ひとりで黙って反省し、ひとりで解決する。それが今の自分の「正解」だと信じてしまっている。

事務員にすら言えない本音

「ああ今日ちょっとやらかしました…」と軽く笑って言えたら、少しは気が楽になるかもしれない。でも、そういう軽口が苦手だ。自分のミスを「軽く」扱うことが、無責任に思えてしまうのだ。昔から真面目すぎるところがあるのかもしれない。事務員さんは「気にしすぎですよ」と言ってくれるだろう。でも、自分の中では許せない。だから結局、何も言えずに沈黙を選んでしまう。

「しっかりしてますね」と言われる違和感

たまに「先生はしっかりしてますね」と言われる。でも、それは表面だけの話だ。内側はいつもぐちゃぐちゃだし、不安と反省でいっぱいだ。そう言われるたびに、「いや、そんなことないですよ」と口では言いつつも、どこか虚しさを感じてしまう。本当にしっかりしていたら、こんなに帰り道で落ち込んだりしてないはずなのに。

孤独な責任感と付き合う術

司法書士という仕事は、間違いなく「孤独な責任感」との戦いだと思う。誰かが助けてくれるわけではない。すべての責任が自分にかかってくる。それを重いと感じるか、誇りに思うかは、その日の気分次第かもしれない。今日のような日は、重い。でも、だからといって逃げるわけにもいかない。だからこそ、自分との付き合い方を学ぶことが、長く続ける秘訣になるのかもしれない。

ミスしても誰も叱ってくれない現実

若い頃は、ミスをすれば上司に怒鳴られた。悔しくて、でもその怒鳴り声が、ある意味で「救い」だったのかもしれない。今は誰も怒ってくれない。黙って自分で後始末をして、黙って反省して、黙って次の仕事に向かうだけ。誰も叱ってくれないというのは、こんなにも孤独なんだと、しみじみ思う。

一人事務所経営者の厳しさ

責任も、プレッシャーも、すべて一人で背負う。それが地方の小さな事務所を経営するということだ。自由もある。だけど自由には代償がある。自分の弱さを誰にも見せられない。誰にも頼れない。たった一人で全てを抱えることの重さに、時折、潰されそうになる。

自分で自分を裁いてしまう夜

夜になると、反省がやたらとリアルになる。昼間の失敗が、寝る直前になって映像のように蘇ってくる。あの瞬間の表情、言葉、雰囲気。そのたびに「ダメだな、自分」と裁いてしまう。自分に厳しいのはいいことなのかもしれないが、時には緩める術も身につけないと、心が持たないのかもしれない。

明日も変わらない日々だけど

明日もまた朝が来て、いつもどおりの仕事が始まる。誰に褒められるでもなく、誰に労われるでもなく、それでも仕事は続く。そんな日々に意味があるのか、ふと疑問に思うこともある。でも、たぶんそれでもいいのだろう。続けること自体に意味がある——そう信じるしかない日もある。

それでも仕事を続ける理由

辞めたいと思う日もある。でも、やっぱりやめられない。自分が関わった登記が誰かの人生の一部になる。そう思うと、この仕事はやっぱり価値があると思える。誰かの役に立っている。そう信じられるから、ミスして落ち込んでも、また明日も机に向かうのだ。

誰かの役に立っていると信じたい

面と向かって感謝されることは少ない。だけど、書類がきちんと処理され、滞りなく登記が完了する。その先には、確実に誰かの安心がある。その見えない安心をつくるのが、自分の仕事だと思っている。だから、今日のミスも、無駄にはしない。次こそは誰にも迷惑をかけないように、また一歩進もうと思う。

昔の自分に見せたい背中

野球部で怒られてばかりだったあの頃の自分。悔し涙をこらえて走っていたあの頃の自分に、今の自分の背中を見せたい。たしかに、かっこ悪い日もある。ミスもするし、弱さもある。でも、逃げずに前を向く姿勢だけは、今も昔も変わってない。だから、今日も歩いて帰る。少し遠回りでも、自分の足でしっかりと。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。