本当に困ったときそばにいたのは誰だったか

本当に困ったときそばにいたのは誰だったか

助けが必要なときに見えてくるもの

「誰も助けてくれない」と思っていたときに限って、ふと差し出された手に救われることがあります。司法書士という職業柄、人から相談されることは多くても、自分が困ったときに頼れる相手は少ない。そんなときにこそ見えてくるのが、人との関係の本質です。人間関係なんて、普段は表面的に流れているようでいて、本当に必要なときにしか試されないものだと実感します。

「大丈夫ですか?」の一言が身に染みる瞬間

ある年の確定申告の時期、書類の山に埋もれてパンク寸前だった日がありました。朝から電話は鳴りっぱなしで、役所まわりと依頼人対応に追われ、昼飯も取れず。そんな中、事務所に戻ると、いつも通りに座っていた事務員さんが「先生、大丈夫ですか?」とポツリ。たった一言でしたが、心に染みました。まるで「ちゃんと見てるよ」と言ってもらったようで、涙が出そうでした。

声をかけてくれたのは家族でも友人でもなかった

こういうとき、昔の友人や家族の顔を思い出すものですが、不思議と誰も浮かびませんでした。実家も遠く、連絡もろくに取っていない。友人とはSNSで繋がっているだけで、日々のやり取りはなし。そんな中で声をかけてくれたのは、普段業務のことしか話さない事務員さんでした。結局、日々の小さなやり取りが、人の関係を育てていたんだと実感しました。

期待していた人ほど案外いない現実

一番困ったときに、助けてくれるのはいつもの仲間…なんて思っていた自分が、ちょっと恥ずかしくなりました。昔の野球部の仲間からも、飲みの誘いはあっても「元気?」の一言もない。期待していたぶん、ショックは大きかったですね。自分がどれだけ思い込んでいたか、現実はシンプルでした。近くにいて、日々自分を見てくれている人こそが、本当の意味での“そばにいた人”だったのです。

忙しさのなかで見失っていた大切な存在

書類の山、期限との戦い、次から次へと来る相談。そんな中で「人のありがたさ」なんて忘れていました。振り返ってみると、事務員さんがこまめに備品を補充してくれていたこと、手が回らなかった郵便を代わりに出してくれていたこと。その一つひとつが、積もって自分を支えてくれていた。見落としていたんです、あまりにも身近すぎて。

自分が誰かを頼ることの難しさ

人に頼るのは、正直苦手です。司法書士という立場上、「自分でやって当然」「自分が責任を取らないと」という意識が強く、それがかえって人を遠ざけていたのかもしれません。頼るどころか、弱みを見せることすら怖かった。だからこそ、何も言わずに支えてくれる人の存在が、余計に沁みるんです。あのとき、ようやく「ありがとう」が言えた気がしました。

事務員さんの何気ない気配りに救われた日

ある日、ふとデスクに小さな栄養ドリンクが置いてあったんです。誰が置いたかは明白で、言葉もなく。でもそれがもう、何よりも効きました。効率とか給料とか関係なく、「気にかけてもらっている」と思えることが、どれだけの支えになるか。あの日の小さな気配りが、今もずっと胸に残っています。きっと、忘れることはないでしょう。

孤独と向き合う司法書士という仕事

司法書士という仕事は、ある意味“孤独”を前提にした仕事です。法律の専門家として、冷静に判断し、事務的に処理することが求められます。でも、人間ってそこまでドライにできていないんですよね。書類の山を片付けながら、誰にも言えないストレスを抱える夜もあります。誰かに聞いてほしいけど、誰にも頼れない。それが、この仕事の現実です。

頼られるけれど、自分は頼れない

「先生、さすがですね」と言われても、それが褒め言葉に聞こえないときがあります。責任が重くなるだけで、心の余裕はどんどん削られていく。誰かのために動いているはずが、自分の居場所がなくなっていく感覚。頼られる立場だからこそ、誰にも弱音を吐けない。それが続くと、どこかで壊れてしまいそうになるんです。

「専門家なんだから」のプレッシャー

「プロなんだから」「ミスしないでくださいね」そう言われるたびに、心のどこかが締め付けられるような感覚になります。完璧でなければならないという幻想が、日常を息苦しくする。たとえば登記ミスなんて起こしたら、それだけで信頼を失う。そんな緊張感の中で、「大丈夫ですか」と声をかけてくれる人がいるだけで救われるんです。

本音を吐き出す場がない日々

SNSでは愚痴れない、友人にも話せない、家族にも心配かけたくない。結局、本音を出す場がないまま、ストレスだけが溜まっていく。飲みに行く元気もないし、かといって一人で抱えるにも限界がある。そんなとき、ふと「今日は疲れましたね」と言ってくれる人がいるだけで、心の荷物が少し軽くなるものです。

独身男性地方暮らしの限界ライン

独身で地方に住んでいると、日常会話すら減っていきます。仕事の話以外、誰とも話さない日もある。ふとしたときに感じるのは、静寂ではなく“空洞”。別に誰かと暮らしたいわけじゃないけれど、誰かと心を通わせたい。そんなささやかな願いが、日々の忙しさに飲み込まれて、どんどん奥に追いやられていく。それが一番きついですね。

人肌恋しいが、出会いもない

モテない自分を笑い話にすることもありますが、笑って済ませられない夜もあります。アプリを試しても会話が続かないし、飲み会に行っても仕事の話しかできない。自分を飾らずに話せる相手が欲しいだけなのに、それがこんなに難しいとは思いませんでした。事務員さんと雑談をする時間が、実は一番人間らしい瞬間だったりします。

モテない自分にすら優しかった人

恋愛感情とかではなく、「この人は、俺が“人として”扱われていると感じる数少ない存在なんだ」と思えたとき、少しだけ涙が出そうになりました。世間話をしながらも、ちゃんとこちらの状態を察してくれている感じがある。誰にも期待されていないような気分のときに、その存在がどれだけ心の支えになったか。きっとあの優しさに、俺はずっと救われてきたのだと思います。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。