ペンを回しても答えは出ないけどそれでも手を止められなかった

ペンを回しても答えは出ないけどそれでも手を止められなかった

考えるふりをしていた午後のこと

事務所の机に座って、目の前には書類の山。けれど手にしていたのはシャープペン一本。何かを考えているようで、実際にはペンをくるくると回しているだけだった。昔からこの癖がある。考えがまとまらないとき、集中したいとき、いや、むしろ現実から目を逸らしたいときに、指先だけが器用に動いている。思えば、この仕事をしていて「考える時間」は多いけれど、そのほとんどが悩みに近い。

書類の山と向き合いながらペンだけが動いていた

目の前にあるのは、遺産分割協議書や登記申請書。それなりに重要な書類のはずなのに、集中できない。理由はわかっていた。依頼人とのやり取りで少し気疲れしたのだ。相手は悪くない、むしろ真剣に相談してくれていた。ただ、自分の中で「正しい回答」を出すプレッシャーが重くのしかかってくる。そして、何か考えをまとめようとしても、頭ではなく手元のペンばかりが動いていた。

思考停止とペン回しの関係

一見、考えているように見えて実は思考停止していることがある。ペンを回すことで「自分は今、集中してる」と錯覚しているのかもしれない。でも実際は、考えるふりをして逃げているだけなのだろう。これは学生時代のテスト前にもよくあった。「やらなきゃいけない」とわかっているのに、シャーペンをくるくる回して終わる。まさか40代になっても、同じことをしてるとは思わなかった。

手は動いても頭は止まってることがある

何かをしていると安心する。特に仕事中、ただ黙って机に向かっているよりも、ペンを回していれば「働いてる感」が出る。でも、肝心の判断や決断は止まったまま。そんな状態が日常になっている。効率よく進めるには、一度ペンを止めて真正面から悩みに向き合うべきなのに、怖くてそれができない。だからまた、無意識にペンを回してしまう。自分の中では、逃げ道のようなものだ。

なぜか止まらないこの癖に気づいたとき

ある日、事務員さんに「先生、ペン回すの得意ですね」と言われた。笑いながらの一言だったが、妙に胸に引っかかった。自分では無意識のうちにやっていたことだ。人から見て「癖」と認識されるレベルになっていたとは。そこから少しずつ、自分の仕草に目を向けるようになった。そして気づいたのだ。ペンを回しているとき、私は何も決められていない。

昔から考えるときは手を動かしていた

高校時代の野球部でもそうだった。作戦会議中、他の部員が真剣に話している横で、私はグローブの紐を触ったり、シャーペンを回していた。怒られることもあったが、自分では「手を動かすことで集中してる」と思っていた。しかしそれは集中ではなく、不安や迷いを誤魔化す手段だったのかもしれない。大人になった今でも、根本は変わっていないのだと痛感する。

野球部のミーティング中にも回してた

監督が厳しく方針を語る中、私はひたすらペンをくるくる。内心では「自分の役割って何だろう」とモヤモヤしていた。チームの中での存在意義を見失うと、考えるのが怖くなって、つい手先に意識を逃していた。司法書士という立場も、似たようなものだ。事務所という小さな「チーム」の中で、自分の存在意義を確認できないと、同じようにペンに逃げる。悲しいくらいに習慣になっていた。

ペン回しは癖か逃避か

人は皆、何かしらの逃げ方を持っているのだろう。煙草だったり、スマホだったり、誰かとの会話だったり。私の場合、それがペン回しだったというだけ。けれど癖がここまで根付くということは、それだけ逃げたい現実があるということでもある。書類の山、人間関係、そして将来の不安。向き合いたくないことが多すぎて、私は今日もペンを回してしまうのだ。

司法書士になってから増えた手癖

思い返せば、この癖は年々ひどくなっている。資格を取った頃よりも、今のほうがよくペンを回している。責任が増えたからか、ひとり事務所だからか、あるいは年齢のせいか。とにかく、考えても仕方ないことで悩む時間が多くなった。そしてその時間を「何かやっている風」に見せるため、私は今日も手を止めない。誰に見られているわけでもないのに、不思議な話だ。

悩む時間が長くなるほどペンはよく回る

ペン回しの時間が増える日は、決まって重たい案件がある。特に相続や後見の案件では、誰の言葉を信じるか、どこまで介入するか、答えが一つではない。責任の重さを感じるからこそ、無意識にペンがくるくると回る。悩んでいる時間=仕事の一部、と自分に言い訳しながら。でも本当はただ、結論を出すのが怖いのだ。間違えたくないから、決めきれない。それが本音かもしれない。

考えすぎると動作でごまかす

昔からそうだった。小さなミスが怖くて、なかなか手を出せない。チェックリストを何度も確認して、それでも不安になる。その間、指先は何かをいじっている。癖で落ち着こうとするのだろうけど、実際にはごまかしているだけ。自分の不安を。誰にも見られてないのに、人の目を気にしてる自分がいる。自分を許せないから、癖に逃げる。そんなループに入り込んでいる気がする。

相談も多いが自分の人生は置き去り

依頼者の人生に寄り添うのが仕事。だけどそのぶん、自分の人生を考える余裕は少ない。休日も電話が鳴れば対応するし、書類の締切に追われれば寝不足になる。そうして日々が過ぎていく中で、「自分はどう生きたいのか」を考える時間がどんどん減っていく。そんなときに、ペンだけはくるくると回っている。まるで「立ち止まってる時間くらいは許してくれ」と訴えているように。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓