誰にも気づかれないガッツポーズの裏側
登記が無事に完了したとき、自分でも驚くほど控えめに、小さく手を握ってガッツポーズをしてしまう瞬間があります。誰も見ていない、誰にも言わない。たった一人の勝利宣言。もちろんそれは大げさなものではないし、書類を郵送して戻ってきた、法務局からの完了通知を見て「よし」と思うだけ。でも、この小さなガッツポーズには、書類のチェックや補正のやりとり、何度も見直した甲斐が詰まっている。報われた、というほどではないけど、「よかった」と思える数少ない瞬間です。
登記が完了しても誰も祝ってくれない現実
事務所で「登記終わりました」と口にしても、返ってくるのは「お疲れ様です」の一言だけ。正直、それで十分だと思っている自分もいるけれど、内心ではもう少し喜びを共有したい気持ちもある。でもこの仕事、成功して当たり前。ミスしたら大ごと。そんな空気だから、声を大にして「終わったー!」なんて言えるはずもない。試合に勝っても、ベンチでそっとガッツポーズする控え選手のような感じです。
達成感はあるけど喜びは一人分
誰に見られているわけでもなく、拍手があるわけでもなく、それでも登記が通った瞬間に感じる安堵感。緊張していたわけじゃないけれど、どこかで「戻ってきたらどうしよう」「何か抜けてたら」と心配していたからこそ、小さな喜びがじわっと湧いてくる。でも、それを誰かと分かち合うことはできない。だから机の下で拳を握る。小さなガッツポーズは、自己満足かもしれないけど、そんな満足があるからこそ続けられているのかもしれません。
「やったー」と言える空気じゃない事務所の静けさ
うちの事務所は基本的に静かです。事務員さんも必要以上に話さないし、私も用件以外は黙ってしまうタイプ。そんな中で、突然「やったー!」なんて叫んだら、それこそ空気が凍ります。だから、嬉しくても口に出せない。電話の向こうでお客様に「登記完了しました」と伝えても、淡々と「ありがとうございます」と返ってくるだけ。だからこそ、小さく心の中で「よし」とつぶやく。それが日常です。
仕事の中で数少ない“勝利”の瞬間
この仕事、やって当たり前、間違えたら一発アウト。そんなプレッシャーの中で、無事に一つの案件を終えられるということは、ほんのわずかながらも「勝利」だと私は思っています。派手じゃなくていい、地味でも確実な勝利。誰も見てなくても、自分の中では誇っていい。そんな瞬間があるから、次の仕事にも向かっていけるのです。
地味すぎるけど確かな成果
司法書士の仕事は、そもそもが目立たない。表舞台に出ることもなければ、大々的な賞賛を受けることもない。けれど、登記という法律上の重みある手続きにおいて、失敗せずに完了させるということは、本当にすごいことなのだと思う。誰にでもできるわけじゃない。だからこそ、その成果は小さなガッツポーズに値する。どんなに地味でも、やり遂げたという事実は変わらない。
野球で言えば送りバントの成功みたいなもん
昔、野球部だったころ、送りバントが決まった瞬間、ベンチから「ナイス犠打!」と小さな拍手が起こるのが妙に嬉しかった。でも、それってホームランみたいな派手さはない。ただ地味にチームのためになるプレー。登記もそんな感じです。派手な契約じゃなくていい。ただ一件一件、確実に処理して、次の仕事につなげる。それを自分で「よし」と認めてやることが、モチベーションになるのです。
派手さはないけど無視できない達成感
たまに「こんな仕事、誰でもできるんじゃないか」と思うときもあります。でも、そう思って気を抜いた瞬間に限って、ケアレスミスをするんです。登記完了の通知が来たときに「ああ、よかった。間違ってなかった」と思えること。それがどれほど貴重で、安心できることか。地味だけど、侮れない。だから今日もまた、そっと拳を握ってガッツポーズです。
事務員さんのリアクションはだいたいゼロ
うちの事務所は、ありがたいことに有能な事務員さんがひとりいてくれる。でも、登記完了に対するリアクションはほぼゼロです。お互いに「終わって当たり前」と思っているのか、ただ単に無関心なのか、それはわからない。でも、その無反応もまた、仕事が日常になっている証拠かもしれません。
「お疲れ様です」以上はなかなか出てこない
登記完了を報告しても、「お疲れ様です」で会話終了。それ以上は広がらない。特に感謝されるわけでもなく、驚かれるわけでもなく。「あ、終わったんですね。はい、次はこちらです」と、すぐ次の書類が回ってくる。まあ、それが仕事なのだと思います。でも人間ですから、たまには「おお、早かったですね!」なんて言われると、単純に嬉しかったりもするんですけどね。
それでもミスがないことは信頼の証
事務員さんが無反応でも、それは私に対する信頼の表れでもあるのかもしれません。「この人ならちゃんとやってくれるだろう」という前提があるからこその淡白な対応。そう思えば少しは気が楽になる。逆に、毎回心配そうに「本当に大丈夫ですか?」なんて聞かれたら、それはそれで疲れますから。信頼されているからこそ、あっさりしたやりとりで済む。そう捉えるようにしています。
心の中では少しだけ期待している一言
でも本音を言えば、やっぱり少しだけでも反応がほしい。「さすがです」とか「仕事早いですね」とか、一言でいいから。それだけで、ガッツポーズも少し大きくなる気がする。でも、それを期待するのは甘えかもしれません。だからこそ、小さなガッツポーズを、自分で自分に贈って終わりにするのです。
ガッツポーズの理由を誰にも言えない
そもそも、なぜガッツポーズをしたのか説明しても、共感されるとは限らない。たとえば「法務局のオンライン申請が一発で通って嬉しかった」と言っても、「ふーん」で終わるのがオチ。だから言わない。言わなくていい。でも自分だけは、その価値を知っている。自分だけが知っている自分へのご褒美。そんな瞬間があるから、続けていけるんです。
言ったところで「はあ…」で終わる悲しさ
例えば飲みの席で「いやー、今日の登記、補正もなく一発通過でね」と話しても、たぶん「へえ、すごいね(よくわからんけど)」という反応が返ってくるのがオチです。そもそも、何がすごいのか伝えるのも難しい。だから言わない。登記が無事終わったということは、自分の中だけで誇らしく思って終わり。人に伝える必要なんて、ないんです。
だからこそ自分で自分を褒めるしかない
誰も気づかないなら、自分で自分を褒めるしかありません。「よし、よくやった」と心の中で言ってあげる。それが次につながる。毎回ではないにしても、たまには自分の手にした結果を、自分でちゃんと認めてあげること。それがモチベーションの維持には欠かせないと思っています。
夜のコンビニで買うプリンがちょっとご褒美
仕事が終わって、帰り道にふらっと寄るコンビニ。そこで買うプリンやシュークリームが、ちょっとしたご褒美です。登記完了した日の小さな儀式みたいなもの。誰にも言わず、誰にも見せず、それでも「今日はよくやった」と思いながら甘いものを一口。そんな小さな喜びが、また明日も頑張ろうという気持ちにつながっていくのです。