印鑑を押すたび心が少しずつすり減っていく

印鑑を押すたび心が少しずつすり減っていく

印鑑を押すたび心が少しずつすり減っていく

毎日繰り返される押印という作業の虚しさ

司法書士の仕事というと、法的な判断や手続きのプロというイメージを持たれる方も多いかもしれない。しかし、実際の日常はというと…その大半が「判を押す作業」だったりする。朝から晩まで、数十件に及ぶ書類に目を通し、確認し、押印する。これは仕事の一部として当然なのだが、それが毎日となると話は変わってくる。心の中に何かがたまっていく。いや、正確には「削れていく」感覚に近い。

朝一番に待っているのは書類の山

事務所に入って電気をつけた瞬間、目に飛び込んでくるのは昨日仕上がらなかった書類の山。机の上に無造作に積み上がったそれらを見て、最初に出てくるのは「はあ…」という深いため息。モチベーションよりも先に疲労感が押し寄せる。朝のコーヒーも効かなくなってきた。もう慣れたはずなのに、どうしてこんなに気持ちが重たいのか。

判子が先か、気持ちが後か

気づけば、書類の内容をじっくり読むよりも、まず印鑑を手に取っている。いや、本当はそんな順序じゃいけないのは分かってる。でも、毎日のこととなると効率を求めてしまう。「とりあえず押しとこうか」そんな気持ちになってしまうことがある。でもその瞬間、自分の仕事に対する誇りがどこか遠くへ行ってしまう気がして、また少しだけ心がざらつく。

誰のための書類か分からなくなる瞬間

登記の申請書類や契約関係の書類、一つひとつは確かに誰かの人生や事業に関わる大切なもののはず。でも毎日何十件も処理していると、正直その「重み」が感覚として薄れてしまうことがある。依頼人の顔も思い出せないまま押す印鑑。そのとき、ふと「これって誰のための仕事だったっけ?」という疑問がよぎる。自分の感情が置き去りになっていく。

事務的な作業に感情が乗らない

昔はもっと、ひとつひとつの案件に気持ちを込めていた。書類を見るたびに依頼人の背景を思い浮かべ、必要なら何度でも確認し、丁寧に仕事をしていた。でも今は、時間に追われ、業務に追われる毎日。仕事の質を落とさないようにとは思っているが、どうしても「作業」としてしか捉えられない日もある。

笑って印鑑を押す元気なんてもうない

「今日も一日頑張ろう」なんて、正直ここ数年言ったことがない。朝のスタートからもう疲れているのだ。判子を押すとき、誰かが見ていたら「ロボットかよ」と突っ込まれそうな無表情。手は動いているのに、心はそこにない。そんな自分が情けなくて、また余計にしんどくなる。

何十件の登記書類を処理しても誰にも気づかれない

良い仕事をした日でも、誰かに褒められるわけでもない。登記が完了しても、依頼人から連絡が来ることは稀だし、感謝の言葉を聞けるわけでもない。むしろ、何かミスがあったときだけ問い合わせが来る。それってちょっと切ないよなあ、と思う。ちゃんとやってるのに。

心が削れていく感覚の正体

「心が削れる」という表現は大げさに聞こえるかもしれない。でも本当にそう感じる日がある。仕事としての意義や意味を見失いかけたとき、それはただの「作業」になる。そして作業に感情は不要だ。感情が不要な時間が続くと、人間はどうなるのか。僕はその答えを、今まさに体感している。

自分がただの作業員に思えてくる

司法書士という肩書きのはずなのに、やっていることはまるで工場のライン作業のようだ。内容を確認して、押す、確認して、押す。その繰り返し。法律知識も経験も要らないんじゃないかとすら思えてくる。気がつけば、誰でもできることをしているような虚無感に包まれる。

印鑑を押すだけの一日が積もる疲労

一日中座りっぱなしで、手首がじんわりと痛む。でもそれ以上に、頭が重い。気持ちが重い。判子を押すだけなのに、どうしてこんなに疲れるんだろう。たぶん「無の時間」が多すぎるのだ。無表情、無感情、無反応。感覚が鈍くなっていく自分に、時折ゾッとする。

司法書士なのに判子係になっていないか

大学で法律を学び、実務をこなしてきて、試験に合格してやっと得た資格。それが今や「印鑑係」になっている現実。それが仕事の一部であることは否定しない。でも、こんなはずじゃなかったという気持ちはずっと心の中にくすぶっている。だからこそ、心がすり減るのかもしれない。

同じように頑張っている司法書士さんへ

きっと似たような思いを抱えている司法書士さんは多いはずだ。華やかさとは程遠い日常。誰にも気づかれない努力。ミスの許されない重圧。それでも続けているあなたを、僕はすごいと思う。僕も、なんとか踏ん張っている。だからこそ、こんな風に吐き出す場が必要だった。

誰かのために働いていることを忘れないで

目の前の書類の向こう側には、ちゃんと「人」がいる。その人たちが無事に手続きを終えて、日常に戻れるようにするのが、僕たちの役目だ。判子を押すという行為には、そんな意味があるんだと、時々でも思い出せればいい。心がすり減っても、ゼロにはならないように。

心がすり減る前に、少し手を止めてもいい

忙しい日々のなかで立ち止まるのは難しい。でも、無理に続けても潰れてしまっては意味がない。少しの休息、ちょっとした雑談、ほんの少しの気分転換。それだけで、また判子を押す手に、少しだけ気持ちが戻るかもしれない。無理せず、ゆっくりで、いい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓