頼られることに救われる日もある

頼られることに救われる日もある

ひとりで抱え込む日々の中で

司法書士として地方で事務所を開いて十数年。忙しさに追われながらも「なんとかやってきた」という気持ちと、「誰にも分かってもらえない」という孤独感が、いつも心の奥に残っています。書類の山に埋もれても、電話は鳴り続け、誰かが頼ってくる。だけど、時には「もう十分頑張ってるのに」と心の中で叫びたくなることもあるんです。誰かに弱音を吐くこともできず、気づけば「一人で抱え込むのが当たり前」になっていました。

忙しいのに誰にもわかってもらえない

「暇そうでいいですね」——そんな何気ない一言に、心がぐしゃっと潰れるような感覚になる日があります。表から見れば、パソコンの前で座っているだけに見えるかもしれない。でも、頭の中では依頼者の意図を読み取り、期限との戦いをしている。仕事が終わる時間なんて決まってないし、誰かが困っている限り、こちらも止まれない。それでも「司法書士って楽でしょ?」なんて言われると、「もう説明するのも面倒だ」と、どこか自分自身を閉ざしてしまう自分がいます。

電話対応の裏で山積みの書類

電話が鳴れば即対応、それがこの仕事の性。でも、手元には未処理の登記申請や契約書のチェックが何十件も並んでいる。電話の向こうでは「急ぎなんですけど」と言われ、心の中で「こっちだって急ぎだ」とつぶやく。事務員さんがいてくれても、全体を把握して判断できるのは自分だけ。昔の野球部時代のように、声を掛け合って動けるチームプレーが恋しくなることもあります。今は一人きりのマウンドで、ひたすら投げ続けているような気分です。

「暇そうですね」と言われた時の絶望

一度、知人から「最近暇でしょ?」と言われた時、本気で泣きそうになったことがあります。たしかに、見た目には誰も来所しておらず、静かな時間だったかもしれない。でも、そのとき私の頭の中では登記の変更ミスがないか、依頼者の想いが漏れていないか、ぐるぐると考えが巡っていた。身体よりも、心がずっと動いている仕事です。だからこそ、その無理解が辛い。理解されないことが、こんなにも孤独だとは思いませんでした。

誰かの期待が重く感じることもある

「先生にお願いしたいんです」と言われるたびに、うれしさと同時にプレッシャーも感じてしまいます。頼られるのはありがたい。だけど、いつの間にか「失敗できない」「完璧に応えなきゃ」という気持ちに押し潰されそうになる。私だって、間違えることもあるし、疲れて判断力が鈍ることだってある。それでも依頼者にとっては一発勝負。その責任の重さが、ときに肩にのしかかって息苦しくなることもあるんです。

「先生にお願いしたいんです」の言葉が重荷に

ありがたいはずのその一言が、疲れた心には毒にもなる。以前、睡眠不足のまま対応した案件で、ギリギリの判断を迫られたことがありました。なんとかミスは避けられたけれど、「もう二度とこんな綱渡りはしたくない」と心底思いました。でも、次の日も別の方に同じ言葉をかけられて、また背筋が伸びる。断る勇気がないから引き受けるけど、引き受けた責任に押しつぶされそうになる。そんな毎日の繰り返しです。

逃げ出したくなる日もあるけど

ときどき本気で、すべてを放り出してしまいたくなる日もあります。こんなに一人で抱えて、誰のために頑張っているのか分からなくなる。だけど、不思議と辞められないのは、自分の中に「誰かの役に立ちたい」という気持ちがまだ残っているからなのかもしれません。逃げてもいいんだと思いつつ、逃げない選択をしてしまう。そんな弱くて情けない自分も、受け入れるしかないのでしょう。

それでも「頼ってくれる人」がいる

たとえボロボロになっていても、誰かが「先生にお願いしたくて」と言ってくれる。それは、日々の疲れや報われなさを、一瞬だけ吹き飛ばしてくれる言葉です。小さな事務所に来てくれる人がいる。遠くから電話をかけてくれる人がいる。その「頼られている実感」こそが、今の私にとって最後の支えになっているのかもしれません。そう、救われているのは、実は私のほうなのです。

些細な一言に救われる夜

「ありがとう、助かりました」——その一言にどれだけ救われてきたか分かりません。ある日、深夜まで残って作業した登記が無事完了し、依頼者からメールが届きました。「こんなに親身になってくれて感謝しかありません」と書かれていた一文を、何度も何度も読み返しました。誰も見ていなくても、自分の仕事はちゃんと誰かに届いている。そんな実感が、夜の静けさとともにじわじわと胸に広がっていったんです。

「ありがとうございます」にこっそり泣く

いつからか、「ありがとう」と言われるたびに涙が出そうになるようになりました。年齢のせいか、感情の処理が下手になったのかもしれません。ある日、相続登記のご依頼で、依頼者が「本当に助かりました」と深々と頭を下げてくれたとき、私のほうが「ありがとうございます」と返しながら目頭が熱くなりました。誰かの役に立てた実感。それが、自分がまだ必要とされているという証明になるのです。

疲れ切った帰り道に思い出す笑顔

くたくたになって事務所を出る帰り道、ふと依頼者の笑顔が浮かぶ瞬間があります。その笑顔があるだけで、今日一日の苦労が報われるような気がする。全員が感謝してくれるわけじゃないし、理不尽なクレームを受ける日もある。でも、たった一人でも「頼ってよかった」と思ってくれたなら、それだけでこの仕事を続ける理由になる。そんな風に思える日が、時々訪れるからこそ、また明日もがんばれるんです。

誰かの支えになる実感が自分を支える

結局、人は誰かに必要とされることで、自分の存在意義を感じるのかもしれません。司法書士という仕事は目立たないけれど、困ったときには必ず思い出される。そんなポジションにいるからこそ、責任も重い。でもそのぶん、役に立てたときの充実感はひとしおです。私自身、依頼者の言葉に励まされてここまで来られました。つまり、私が誰かを支えているようで、実は支えられている。そんな関係性の中で、毎日を生きているのだと思います。

自分の役目が見えた瞬間

昔、初めて相続の相談を受けたとき、不安でたまりませんでした。でも、丁寧に話を聞いて、できる限りの説明をし、手続きが終わったときに「先生がいてくれて本当に良かった」と言ってもらえた。あのとき初めて、「自分には役割がある」と感じました。それまでは、ただ食べていくための仕事だったけど、それ以降は「誰かのために存在する」という気持ちに変わりました。小さな役目でも、それが誰かの支えになるなら十分です。

「頼ってくれてありがとう」と心の中でつぶやく

ふとした瞬間、依頼者に対して心の中でこうつぶやくことがあります。「頼ってくれてありがとう」と。きっと、相手はそんなふうに思われているなんて気づかない。でも、私は本当に感謝しているんです。疲れていても、気持ちが沈んでいても、その一件一件が、自分を前へと進ませてくれる。そう思えるようになったのは、何度も何度も、「もう限界かもしれない」と思いながらも、それでも続けてきた日々があったからです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。