朝の電話と気だるい書類
朝9時ちょうど、コーヒーを淹れようとした瞬間に電話が鳴った。旧式の黒電話が「ジリリリ」と鳴る事務所で、俺は相変わらずの寝ぐせ頭で受話器を取った。
「土地の登記について相談がある」と、少し年配の男の声。相続の話かと思いきや、開口一番「昭和58年の登記簿にある名義を調べてほしい」と言われた。まるで時代劇の依頼だ。
無愛想なサトウさんと一通の封筒
隣の席ではサトウさんが、無言で封筒を机に置いていった。今日も相変わらずの塩対応。中にはコピーされた古い登記簿が入っていた。
「この案件、ちょっと気持ち悪いですよ。名義人の名、ネットで引っかからないです」サトウさんが言うときは、たいてい何かある。
妙に古い登記簿の写し
写しは昭和58年のもので、地番と地目が手書きで記されていた。名義人の欄にある「阿久根政夫」という名前だけが妙に浮いている。
抹消の記録もなければ、相続の形跡もない。売買や贈与でもなさそうだ。いわゆる「止まった登記簿」だった。
登記名義に残る違和感
名義の欄の筆跡は楷書でしっかりしていたが、委任状の文言がどれも曖昧だった。昭和の時代らしいと言えばそうなのだが、どこか意図的に曖昧にしている印象もある。
俺は過去の事例ファイルを引っ張り出し、似たようなパターンがないかを探し始めた。
抹消されていない過去の所有者
昭和58年から一度も登記の変更がないのに、依頼人はその土地に建物を建て、固定資産税まで払っているという。
「それ、よくあるけど――でも妙ですね」と俺が言うと、サトウさんが「その人、誰かになりすましてたんじゃないですか?」と小さくつぶやいた。
訂正印のない申請書副本
副本を見ても訂正印が一切ない。昭和の登記でそれはむしろ珍しい。ミスも訂正もない完璧な書類。それは逆に「作られたもの」のような印象を強める。
怪盗キッドが変装で残す完璧な痕跡のように、誰かが意図して残した「偽の真実」なのかもしれない。
現地調査はいつも泥まみれ
土地は町外れの田んぼの隅にあった。境界杭は一部が欠け、地積図と若干ずれているようにも見える。草に埋もれた境界を掘り起こし、俺は泥まみれになった。
「司法書士って探偵業と紙一重だな」と思いながら、掘った杭のそばに、折れた表札のような木片を見つけた。
雑草の奥に眠る古い境界杭
杭の隣に落ちていた板には「阿久根」の文字。間違いない。昔はこの家があったのだ。そして今は、完全に跡形もない。
失われた過去の住人が、まるで登記簿の中にだけ存在しているようだった。
元所有者の名は町から消えていた
役所で住民票を確認すると、「阿久根政夫」の名前はすでに消えていた。除票もなし、転居記録もなし。まるで最初から存在しなかったように。
「やれやれ、、、」と、俺はつい口から漏れてしまった。こういうのは一番厄介だ。
関係者が語らない過去
近隣の古老に話を聞いても、「ああ、そんな名前の人、いたかなあ」というばかり。まるで集団健忘のように、町全体が阿久根を忘れている。
その違和感に、俺の中で一つの仮説が浮かび上がってきた。
司法書士会で聞いた古参の名
会合の席で古参の司法書士に聞いてみた。「阿久根政夫?それ、昔の裁判所書記官だったよ。失踪届出したって噂があったな」――その言葉で、ピースが一つはまった。
失踪宣告と登記の空白。それが意味するのは「偽装された相続」だ。
遺族が語った「失踪宣告」の真相
政夫の甥にあたる人物が、失踪を出して土地を相続しようとしたが、途中で発覚し、行政処分を受けたという。
その後の記録は残っていない。だが、登記簿にはいまだに政夫の名だけが残り続けている。
サトウさんの鋭い視点
事務所に戻ると、サトウさんがパソコン画面を見せてきた。「昭和58年の登記、申請者が同一人物で、別の土地にもありました」。
どうやら政夫はその頃、いくつかの土地を複数名義で動かしていたらしい。目的は不明だが、単なる相続対策ではなさそうだ。
登記簿の「余白」が語るもの
書かれていないこと、それがこの事件の本質だった。誰が登記を止めたのか、なぜ誰も訂正しなかったのか。それこそが物語を語っていた。
俺たち司法書士は、文字の向こうにあるものを見る仕事なのかもしれない。
昭和の事件簿に残る一致
旧家の放火事件の記録を調べると、そこにも阿久根政夫の名前があった。偶然か、はたまたすべてが連動していたのか。
いずれにせよ、登記簿の裏には、失われた「人間の歴史」が埋まっている。
真実は登記簿の裏にあった
依頼人にすべてを報告すると、彼は静かに「知りたかったのは、その人がいた証です」とだけ言った。
法的にはどうしようもないが、彼の中では一区切りがついたようだった。
一筆の付言が事件を動かす
俺は報告書にこう書いた。「本件は、名義人の記憶を後世に伝えることに意義がある」と。たまには、そんな言い回しも悪くない。
サトウさんが「センチですね」と呟いたが、どこか嬉しそうに見えた。
証書を前にした沈黙
最後に封印された証書を前に、俺は黙って座っていた。事件は解決したわけではない。ただ、静かに蓋をされたのだ。
まるで名探偵コナンが最後に口をつぐむように、語られない真実もある。登記簿が全てを語るわけではないのだ。
サトウさんのひと言で幕を引く
「登記簿って、人生の断片ですね」サトウさんがぽつりと呟いた。まるでルパン三世の不二子みたいな台詞に、俺は少しだけ笑った。
「やれやれ、、、そうかもな」俺は天井を見上げた。今日もまた、登記簿の向こう側に眠る誰かの人生に触れた気がした。
塩対応にも愛はあるのか
事務所の片隅で、サトウさんが俺のコーヒーにミルクを足してくれていた。口では何も言わないが、それが答えなんだろう。
俺は静かに、コーヒーを一口すすった。苦みの奥に、ほんの少しだけ甘さがあった。
僕はただ、登記簿を見ている
世間は登記簿をただの書類と思っている。でも、俺にとっては物語の始まりだ。今日もまた、誰かの過去を紐解く一日が始まる。
それが俺の仕事であり、少しだけ誇れることでもある。