月末が来るたびに心が削られていく日々

月末が来るたびに心が削られていく日々

月末になると決まってやってくるもの

月末になると、決まって心がざわつく。通帳の残高、机の上に山積みの未処理書類、そして事務員の無言の圧力。いつからか、「月末」という言葉だけで胃が重くなるようになった。大げさかもしれないが、月末は小さな災害みたいなもので、毎月定期的に襲ってくる。何が辛いって、誰にも頼れないところ。責任の矢印はすべて自分に向いている。この事務所の売上も、ミスも、空気も、全部、私ひとりで背負っている。もう慣れたと思いたいけど、やっぱり心が削られる。

請求書の山が心を追い詰める

月末といえば、まず頭に浮かぶのが「請求書」。ひとつひとつは メッセージ ストリームでエラーが発生しました 再試行 あなた: html形式にしてコピペできる形で出力してください ダウンロードファイルにはしないでください。!DOCTYPE htmlからスタートしてhtmlを閉じるところまで書いてください。最後まで出力してください。 月末が来るたびに心が削られていく日々

月末になると決まってやってくるもの

月末になると、決まって心がざわつく。通帳の残高、机の上に山積みの未処理書類、そして事務員の無言の圧力。いつからか、「月末」という言葉だけで胃が重くなるようになった。大げさかもしれないが、月末は小さな災害みたいなもので、毎月定期的に襲ってくる。何が辛いって、誰にも頼れないところ。責任の矢印はすべて自分に向いている。この事務所の売上も、ミスも、空気も、全部、私ひとりで背負っている。もう慣れたと思いたいけど、やっぱり心が削られる。

請求書の山が心を追い詰める

月末といえば、まず頭に浮かぶのが「請求書」。ひとつひとつは何千円、何万円でも、それが10件、20件と積み重なると、もう気が滅入ってくる。作成するだけじゃない。誤字脱字があってはいけないし、相手先の締め日に合わせて送るタイミングも重要。もし間違えれば「この人は信用できない」と思われる。だから慎重にならざるを得ない。でも、時間がない。書類に囲まれた狭い机で、背中を丸めてひたすら請求書を打ち込んでいると、ふと「何やってんだ俺」と空しくなる瞬間がある。

未払いに怯える自分が情けない

請求書を出せば終わりじゃない。そこから「入金されるか」の不安が始まる。ちゃんと期日までに振り込まれるか、それとも「すみません、もう少し待ってください」の連絡が来るのか。大手と違って、うちのような小さな事務所にとっては、一件一件の入金が死活問題だ。実際、以前に3ヶ月滞納されたことがあって、その間の家賃や光熱費が心配で眠れなくなった。情けないけれど、口座残高を何度も確認する自分がいた。プロとして失格かもしれないけど、人間だから不安にはなる。

支払い確認が終わるまで眠れない夜

支払い期日が過ぎた翌朝は、パソコンを開く手が震える。オンラインバンキングで「入金なし」と出た瞬間のあの絶望感。コーヒーを入れても味がしない。いつからだろう、月末の翌日が一番眠れなくなったのは。何かトラブルがあったのか、ただのミスなのか、それとも……と考え始めると、脳が勝手にネガティブな想像を膨らませてしまう。結局、入金されたことが分かってやっと安心するけれど、それまでの精神的コストはとてつもなく高い。

事務所の空気がどんよりする理由

月末が近づくと、事務所全体が重たくなる。といっても、うちは私と事務員の二人だけ。でも、その空気は確実に変わる。私がピリピリしているのが伝わっているのだろう。静かなキーボードの音、時々ため息混じりの書類の音。ラジオもつけず、空気清浄機の唸る音だけが響く部屋で、二人して無言で作業を続ける。こんな状態で仕事の効率が上がるわけがないのに、それでも止まらない。まるでお通夜のような雰囲気に、我ながら辟易する。

事務員の溜息が何よりのプレッシャー

うちの事務員は真面目で丁寧な仕事をしてくれる。でも、彼女が月末になると時折こぼす「はあ……」というため息が、私には鋭く突き刺さる。たぶん、私の苛立ちを感じ取って、ストレスを抱えているのだろう。だけど、こちらも余裕がない。声をかけようにも、かける言葉が出てこない。前に一度、「今日はごめんね、雰囲気悪くて」と言ったことがある。彼女は笑って「大丈夫です」と言ってくれたけれど、私はその笑顔が逆に申し訳なかった。

たった一人の職員とのギクシャク

少人数の職場だからこそ、人間関係の微妙なズレがそのまま業務効率に響く。月末の数日間、私は無言で仕事をこなし、彼女も必要最低限のことしか話さない。気を遣ってくれているのは分かるし、私も意識して柔らかい言葉を使おうと努力している。けれど、心に余裕がない時に「優しさ」を出すのは本当に難しい。もっといい関係が築けるはずなのに、それができない自分にまた落ち込んでしまう。

売上はあるのに手元に残らない現実

通帳を見ると「入金あり」となっている日でも、心は晴れない。なぜなら、そこから「支払い」の嵐が始まるからだ。税金、家賃、保険料、事務所の備品……気づけば通帳の残高はスルスルと減っていく。売上がある=安心、とは限らないのだ。むしろ、入ってくるよりも出ていく金の方が早くて多いようにすら思える。収入はあっても、自由に使える金がほとんどない。それが、今の私のリアルだ。

税金や家賃がじわじわと首を締める

税理士さんから来る納税通知を見るたびに、ため息が出る。「仕方ないこと」と分かっていても、毎月のように支払いがあると本当にキツい。家賃も地方とはいえ、事務所兼自宅のスペースを確保している分、決して安くない。ひとりで稼ぎ、ひとりで守り、ひとりで払う。そんな状況で「経営者は自由でいいですね」なんて言われると、正直ぶん殴りたくなる時もある。

自由に使えるお金がないという虚無

「飲みにでも行こうか」「たまには旅行でも」と思ったこともある。でも、頭の中で即座に「いや、その前に税金が…」とブレーキがかかる。気がつけば、自分のために使うお金はほとんどゼロ。コンビニで弁当を買うだけでも少し罪悪感がある始末だ。節約が習慣になりすぎて、ちょっとした贅沢すら怖くなってきた。このままじゃ人間としてダメになるんじゃないかと本気で思うこともある。

趣味も恋も贅沢すぎる願いに思える

昔は草野球にも参加していた。バットを振って汗を流す時間が、何よりのストレス解消だった。でも、今はそんな余裕もない。道具も古くなり、ユニフォームも黄ばんでいる。恋?そんなの論外だ。そもそも異性と出会う機会すらないし、この生活スタイルで誰かと付き合えるとも思えない。そんな日々の中で「何のために働いているんだろう」と自問することが増えた。

それでも続けている理由をふと考える

ここまでネガティブなことばかり書いてきたけれど、それでも私は辞めていない。なぜか?と聞かれたら、たぶん「誰かのためになっている」と信じたいからだ。どれだけ大変でも、相談者の不安そうな顔が、帰りには少しほぐれている。そんな時、自分の存在が誰かの役に立った気がする。ほんの一瞬だけど、その一瞬があるから、また次の日も机に向かうことができる。

依頼者の「助かった」の一言で踏ん張れる

ある日、相続手続きで泣きそうになっていた女性から「先生がいてくれて本当によかった」と言われた。その言葉だけで、数日の疲れが吹き飛んだ。金銭的には大した報酬ではなかった。でも、あの一言には金には代えられない価値があった。士業というのは、結局「人」のためにある。そう思える瞬間がある限り、まだ私はやれる気がする。

誰かの役に立てる日があるから

全部が報われるわけじゃない。むしろ、報われない日の方が多い。でも、月に一度でも「やってよかった」と思える日がある。それだけで、もう少しだけ頑張ってみようと思える。人生なんてそんなもんだ、と割り切れるようになったのは、たぶん年の功かもしれない。

今日もまた机に向かうことを選んだ自分

月末、また今日も例によって心がざわつく。でも、それでも私は事務所に来て、机に向かい、パソコンを開く。逃げたっていいのかもしれない。でも、逃げないことを選んでしまう。たぶん私は、まだこの仕事を「嫌い」になりきれていない。そう思いながら、今日もまた請求書を1通、2通と打ち込んでいる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。