戸籍が語る初恋の終わり

戸籍が語る初恋の終わり

事務所に届いた一通の依頼状

午前10時。郵便受けから無造作に取り出した茶封筒に、どこか既視感を覚えた。文字の癖、宛名の丁寧さ、そして何よりも名前。差出人の欄に、20年以上音沙汰のなかった「アキホ」の文字があった。まさか、と思いながら封を開けた俺の手はわずかに震えていた。

封筒の差出人に見覚えがあった

高校の卒業式以来だった。初恋相手といっても、告白することもなく、ただ淡い記憶の中にしまったままだった女の子だ。なぜ今さら俺に依頼を?手紙にはこう記されていた。「戸籍謄本の取得をお願いしたい」と。

戸籍謄本という依頼内容の妙

依頼内容は一見、単純だった。亡き母の戸籍をたどり、相続の確認をしたいとのこと。だが、アキホの名前を見た途端、それがただの仕事には思えなかった。俺の頭の中には、あの日の彼女の笑顔が、まるでサザエさんのエンディングのように回り始めていた。

サトウさんの冷たい推理

「過去の女、ですか?」と、サトウさんは顔も上げずに冷静に言った。まるで刑事コロンボのような鋭さで、俺の動揺を見抜いたようだった。彼女が入力しているキーボードの音が、やけに大きく響いた。

不自然な本籍地と記載内容

届いた戸籍を確認していくと、妙なことに気づいた。アキホの母の本籍が、5年前に突然変更されていたのだ。それも、見知らぬ県の山奥の町へ。しかもその直後に婚姻と離婚の記載が入っている。だが、相手の名前が消されていた。

初恋相手の現在地

俺は彼女がなぜこれを自分に頼んだのかを考えた。単なる依頼なら、他の司法書士でも良かったはずだ。だが、彼女は俺を選んだ。それはつまり、「覚えていてほしかった」のだろうか。そういうのが一番タチが悪い。やれやれ、、、俺は机に突っ伏した。

戸籍から浮かび上がる違和感

戸籍には、通常書かれないはずの「改製原戸籍に準ず」という注記があった。これはつまり、何かを意図的に見えにくくしている証拠だ。戸籍というのは法律上の事実を記録するものだが、そこに人の感情が入り込む隙はない——はずだった。

消された婚姻記録

「この欄、おかしいですね」と、サトウさんが指さしたのは婚姻の欄。相手の氏名が塗りつぶされていた。正確には“消除”されていたのだが、理由の記載がなかった。これは法的にあってはならない処理。誰かが、意図的にやった可能性がある。

謄本の裏に隠された小さな文字

役所から送られてきた写しの裏側に、鉛筆でうっすらと「カトウ」と読める文字が書かれていた。これはかつての夫の名前ではないか。だが、戸籍には一切その人物の記録はない。「司法書士さんも知らない裏技ですよ」と誰かが囁いているような錯覚すら覚えた。

昔の友人が語った真実

同級生のヨシダに電話してみると、「アキホ?ああ、あいつ、遺産絡みで揉めてたって噂があったな」とのこと。どうやらアキホは、母の死後に不正な手続きで戸籍の記録を操作しようとしていた。俺は戸籍法の注記の意味を再確認することにした。

戸籍法の穴をつくトリック

戸籍の“訂正申出”という制度がある。本来は誤記を直すための制度だが、稀にその制度を使って過去を“なかったこと”にする事例もある。もちろん違法だが、役所がそれに気づかなければ表に出ることはない。今回はまさにそのケースだった。

「司法書士さんも知らない裏技ですよ」

役所の担当者がぽろりと漏らした。「実はご本人が“筆跡が違う”と申し出て、旧夫の名が削除されたんです。でも、正直言って証拠は曖昧で、、、」つまり、アキホ自身が戸籍を操作した。俺が手を貸さなくて良かった。

サトウさんの反撃

「これ、完全に遺産目的ですね」とサトウさんはきっぱり言った。まるでコナンくんのような決め台詞だった。アキホは母の遺産を一人で相続するために、戸籍上の他の相続人を“消した”のだ。戸籍に記録されない相続人、それが彼女の計算だった。

眠る戸籍と動く人間

戸籍は紙の上の世界だ。そこには感情も血の温度もない。だが、その記録を“どう残すか”で、人間の欲望や過去の記憶が浮かび上がってくる。初恋の思い出すら、そんな利害の上に重なってくるとはな。

最後に動いたのは僕だった

結局、俺は依頼を断った。だが、その代わりにアキホ宛てに一通の手紙を書いた。「もう君のことは、戸籍の外に置いておくよ」とだけ書いて。封はせず、引き出しにしまったままだ。出すことはない。たぶん、これでいいんだろう。

役所の片隅で拾った端緒

今回の件で、戸籍の“限界”を見た気がした。記録は真実を写すが、すべてを語るわけじゃない。逆に、書かれていない空白の部分にこそ、本当の物語があるのかもしれない。それは恋も、人生も同じだ。

静かな結末とコーヒーの苦さ

コーヒーを啜りながら、ふと思い出した。「そういえば、卒業式のあと、何か言いかけてたよな……」タイミングの悪さは昔からだ。やれやれ、、、こんな俺に司法書士なんて肩書きは、少し荷が重いのかもしれない。

戸籍が示すのは感情ではない

戸籍は事実を記録する帳面だ。だが、人の感情はその欄外で泣き、笑い、すれ違う。アキホの本当の気持ちはもう分からない。でも、それでいい。少なくとも俺は、今この場所で誰かのために正しい記録を守っている。それが、俺の役割だ。

戸籍の中でだけ生き続ける恋

彼女の名前の横に、もう空欄はなかった。誰かの妻として、誰かの娘として、戸籍上の“役割”を全うしている。でも俺の中には、あの春の日の制服姿のまま、彼女が生きている。戸籍には書かれない、忘れられない“気持ち”として。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓