朝イチで鳴るFAXに今日の運命を左右される
朝、事務所のドアを開けるとまず目に飛び込んでくるのが、FAXの機械から垂れ下がった紙の列。たいてい「至急」や「大至急」と書かれていて、寝起きの頭には刺激が強すぎる。こっちはまだコーヒーも口にしてないというのに、相手は一方的に「今日中でお願い」とくる。急ぎの案件に限ってFAXで送られてくるのは、もはやこの業界のあるあるだろう。メールでいいじゃないか、と思っても、相手が「昔からの慣習」で済ませてしまう。こういうとき、こちらの運命はもう朝のFAXに握られているといっても過言ではない。
メールじゃダメなんでしょうかという心の声
メールという便利な手段があるのに、なぜFAXにこだわるのか。以前、ある不動産会社から「至急の件」として届いたFAXは、内容もほぼ「確認お願い」の一言。PDFで送れば一瞬の話だ。メールなら検索も転送も簡単なのに、FAXは出力してハンコ押してファイルして……と、手間ばかり増える。こんな時代錯誤なやり取りに振り回されていると、「自分は昭和に取り残されたのか」と自問したくなる。しかも相手からの返信は遅いという矛盾付き。急ぎなんじゃなかったのか?
至急の割に返信は翌日でいいらしい謎
一度、「至急お願いします」と太字で書かれたFAXに対し、昼過ぎに返答を出したことがある。すると翌日、のんびりした声で「ありがとうございます、また確認します」と電話がかかってきた。拍子抜けもいいところだ。急ぎならすぐ確認するのが筋じゃないのか。結局、相手の「急ぎ」はこっちの「今すぐ対応してね」とは意味が違う。急ぎという言葉の定義が、業界や会社でバラバラすぎて混乱することが多い。
なぜFAXは急ぎの仮面をかぶってやってくるのか
なぜ急ぎの用件に限ってFAXなのか考えてみたが、「とにかく確実に見てほしいから」という理由が多いようだ。メールは埋もれるけどFAXなら目につく、という理屈。確かに、メールボックスは毎日大量の通知で溢れていて、見逃すリスクはゼロじゃない。でも、だからといってFAXが最善かといえば疑問が残る。実際、読みにくい字で書かれていたり、紙詰まりで途中までしか届いてなかったり……。それでもFAXを選ぶのは、相手が「間違いなく見てくれるだろう」と信じているからだ。いや、信じるんじゃなくて、押し付けてるだけなのかもしれない。
デジタル化って言葉はどこへ行った
法務局も電子申請が進んでいる時代に、なぜFAXだけは現役バリバリなのか。本来なら業界全体が「ペーパーレス」へ舵を切っているはずだが、現場ではその波が届いていないことも多い。特に地方ではなおさら。こちらとしても、本当は全てデジタルで管理したい。でも相手がFAXしか使えない場合、選択肢がない。気が付けば、机の上には紙の山。時代が進んでも、FAXだけはしぶとく居座っている。
クラウドで共有しましょうと言っても伝わらない
「Googleドライブにアップしておきますね」と言うと、「そういうのは苦手で……」と返される。若い世代には信じられないかもしれないが、こういうやり取りは今でも日常茶飯事だ。FAXなら相手がパソコンに詳しくなくても扱えるという点で、いまだに“万能ツール”扱いなのだ。こちらがどれだけ便利な仕組みを整えても、相手が使えなければ意味がない。しかも、説明してもわかってもらえないと、気まずくなってしまう。結局、最終的にはFAXに戻るのだ。
FAXに頼る相手先との距離感と温度差
都会と地方、若手とベテラン。そのあいだには、デジタルに対する温度差がある。都会の事務所とやり取りしていると、ほぼメールやクラウドで完結するのに、地元の取引先は依然としてFAXが主流。書類を受け取ってすぐハンコを押して送り返す、というアナログなやり方が根付いている。FAXで送ってこられると、こちらも紙で対応せざるを得ず、結果的に「紙文化」から抜け出せない悪循環が生まれている。
「PDFは苦手でね」にもう返す言葉がない
何度かPDFファイルでのやり取りを提案したが、「PDFってどう開けばいいんですかね」と真顔で聞かれたこともある。驚くべきことに、パソコンにAdobe Readerが入っていない人もいるのだ。PDFが読めない人にとっては、FAXのほうが確実で安心らしい。もはや文化の違いと言ってもいいレベル。そう言われると、こちらとしては何も言い返せなくなる。ただただ疲労感が残る。
紙に書いたものをスキャンしてFAXする謎作業
一度、相手が「データは苦手だから手書きでいいです」と言うので、手書きの書類を作って、それをスキャンしてFAXで送り返したことがある。効率の悪さに目眩がした。しかもそのFAXが届かないというトラブルまで発生し、結局郵送する羽目になった。FAXとはいったい何のためにあるのか。スムーズに進むどころか、かえって手間と時間がかかってしまう場面も多い。
結局また紙の山が増える午後
午後になると、FAXで届いた書類たちがデスクに積み重なっていく。すべて「急ぎ」であり「重要」と書かれているが、実際に本当に急いでいる案件はその一部だけだ。紙でくるというだけで、優先度を上げざるを得なくなる。物理的に目に見える分、無視できない。それがFAXの厄介なところで、精神的にもプレッシャーがかかってしまう。優先順位を判断するのがどんどん難しくなってくる。
急ぎだからといって優先できるわけじゃない
業務には順番がある。「急ぎ」と書かれていても、他の案件をすっ飛ばして対応するわけにはいかないのが現実だ。以前、FAXで「至急」と書かれた案件に対応しようとしたが、前の案件の関係者に事情を話しても「そっちの都合でしょ」と冷たく言われた。それはそうだ、全員にとって自分の案件が一番大事だ。FAXで来ようがメールで来ようが、その順番は変えられないのだ。
後回しにできない“紙圧”のプレッシャー
紙で目の前にあると、人はそれを無視できなくなる。メールは「未読」のまま置いておけるが、FAXの紙は「ここにあるからすぐに見ろ」と言わんばかりに目に入ってくる。後回しにすると罪悪感が湧いてくるのもFAXの厄介さだ。デスクの上の“紙圧”が、自分の判断を狂わせてしまう感覚すらある。精神衛生上よくないと感じつつ、また今日も「とりあえずFAXのやつから片付けるか」となってしまう。
事務員さんの「またFAXです」にため息
事務所で働く事務員さんも、FAXにはうんざりしている様子だ。「またFAX来てます」と渡されるたび、二人で「なんでこんなにFAX多いんですかね……」と嘆くのが日課になっている。FAXの仕分け、確認、ファイル……全部アナログ。人件費も手間もかかる。誰の得にもなっていないのではと思うのに、今日もまた紙が届く。
共有も複製も不便なのに手放せない現実
FAXは誰かと共有するのが本当に面倒だ。いちいちコピーを取って、スキャンして、メール添付して……という手順を踏む必要がある。その時間で別の仕事ができたんじゃないか、と悔しくなる。クラウドならリンク一つで済むのに。でも相手がFAXを望む限り、こちらも抗えない。効率を犠牲にしても、関係を保つためにFAXを使い続ける。その構図がなんとも切ない。
手書きの走り書きメモが命取りになる瞬間
FAXで届く書類には、手書きでメモが書かれていることが多い。それが読めない。読めなかったせいで、登記に必要な書類を間違えて作ってしまったこともある。相手は「ちゃんと書いたんですけどね」と悪びれない。結局こちらがフォローするしかない。読みにくい字が命取りになる。それもまたFAXの恐ろしさだ。
FAXは人の雑さを露呈させる道具かもしれない
メールは一度見直すことができる。でもFAXは手書きが多く、ミスや誤字脱字もそのまま届く。そこにはその人の性格や仕事の丁寧さが如実に表れる。雑な人はとことん雑。そういうFAXを見て、こちらのやる気も下がってしまう。FAXは、単なる情報伝達手段である以上に、人の本性を暴く装置かもしれない。
FAX文化が残るのは、結局こっちの都合もある
散々文句を言ってきたが、実を言えば自分もときどきFAXを使ってしまう。「あの人はFAXしかダメだから」とか、「印鑑が必要なやりとりだから」とか、理由はいろいろあるが、言い訳に近い。完全にFAXを手放せないのは、自分自身も変化を避けているからかもしれない。そう思うと、少しだけ胸が痛む。
自分だって時々FAX使ってることを思い出してしまう
新人の司法書士に「FAXってもう使わないですよね」と言われたとき、何も言い返せなかった。そう言っておきながら、今日もまた一通FAXを送っている。FAXを使ってしまう理由は「相手がそうだから」というのが大半だけど、それを許容しているのは自分でもある。変えられるところから変えていくしかないんだろう。
本当は相手のせいばかりじゃないのかもしれない
FAXに文句を言いたくなるけれど、よく考えるとそれを容認しているのは自分だ。便利さより安心感を選んできた結果が、今のFAX文化の温存なのだろう。変わらない相手を責める前に、自分のスタンスを見直す必要がある。愚痴ばかり言ってても何も変わらない。そう、わかってはいるけど、なかなか難しい。
変わらないものに囲まれて変われることを探す
FAXはきっと、すぐにはなくならない。でも、それに付き合いすぎて自分の心が摩耗していくのも避けたい。だからこそ、自分の中でできる小さな変化を探している。たとえば朝のコーヒーを少しだけいい豆に変えてみるとか、FAXを開く前に深呼吸してから見るようにするとか。そんなささやかなことで、少しだけ心が軽くなる気がする。
FAXの音に負けない自分なりの朝の儀式
毎朝、事務所に入ってまずするのは、FAXチェック……ではなく、窓を開けることにしている。朝の空気を吸って、「今日も頑張るか」と思えるかどうかで、FAXの紙にも向き合う気持ちが変わる。どんなにFAXがうんざりでも、自分の気持ちを整えてから対応する。それが、少しでも気分よく働くための「朝の儀式」だ。