自分を責めすぎた日に心が崩れそうになった話

自分を責めすぎた日に心が崩れそうになった話

朝から何もかもがうまくいかない日がある

寝坊したわけでもない、遅刻したわけでもない。それでも朝の空気が重たくて、息苦しく感じる日がある。司法書士という職業柄、ミスは許されないという緊張感を常に抱えているが、それが自分をどんどん追い詰めてしまうことがある。この日は、そんなプレッシャーが一気に押し寄せてきた。自分で自分の心を締めつけていたのかもしれない。

いつものルーティンすら重く感じる朝

毎朝決まった時間に起きて、顔を洗って、コーヒーを淹れて、ネクタイを締める。そんな一連の動作がこの日は妙に億劫で、身体に鉛を巻き付けられたような感覚だった。コーヒーの香りも、普段のように心を落ち着かせてはくれなかった。事務所に向かう足取りもいつになく重たく、途中でUターンしたくなる気持ちを必死で抑えていた。

時計の針に急かされる自分

壁の時計を見るたびに、「早くしろ」と言われている気がして、余計に焦ってしまう。時間に遅れているわけじゃないのに、まるで自分だけが取り残されているような錯覚。焦る気持ちばかりが先走り、ミスを誘発するという悪循環に陥る。そんな日は、開始前からすでに気力を削がれてしまっている。

事務所のドアを開ける手が重たい

鍵を差し込み、ドアを開けるだけの行為が、なぜこんなにも辛いのか。小さな事務所の静けさが、いつもより孤独に感じられる。誰もいない空間に足を踏み入れた瞬間、「今日もひとりで頑張らなきゃいけないんだな」と改めて思い知らされる。朝のその一歩が、すでに試練なのだ。

ちょっとしたミスが心をざわつかせる

書類の漢字を一文字間違えただけで、冷や汗が止まらなくなった。訂正印を押せば済む話かもしれないけれど、「またやってしまった」という自己嫌悪がしつこく心に残る。お客さんが気づいたらどうしよう、信頼を失ったらどうしよう。そんな不安が頭を占領して、冷静さを奪っていく。

一文字の間違いで全てが崩れる感覚

司法書士の仕事は細部の正確性が命。だからこそ、小さなミスが全体の信頼を揺るがすような気がしてしまう。訂正印を押したあとも、その書類を見るたびに「ああ、俺はやっぱりダメだ」と心の声がささやいてくる。誰にも言われていないのに、自分で自分を断罪している。

お客さんの目線がいつもより刺さる気がする

その日は、お客さんのちょっとした沈黙や視線もすべて「不満」に感じてしまった。こちらが過敏になっているだけなのに、「何か不満があるのでは」「失礼なことをしたのでは」と考えすぎてしまう。接客においても、自己評価が低い状態では、うまくいかないことが多い。

自分にしか厳しくできない地味な罠

周囲の誰も責めていないのに、自分だけが自分を叱り続ける。これが続くと、何をしても達成感がなくなり、ただただ疲弊していく。完璧主義は武器でもあるが、それが刃となって自分を傷つける日もあるのだ。

「誰も責めてないのに自分で責める」のループ

責任感が強すぎると、失敗した自分を許すことができなくなる。特に私のように一人で事務所を回していると、「誰かに助けてもらう」選択肢がそもそもない。だから、責任も反省もすべて自分ひとりで背負い込んでしまう。こうした日が続くと、心の余白はどんどん削られていく。

高校球児時代の「根性」が今では毒になる

昔の自分なら耐えられた、もっとハードでもやれた。そんな感覚が未だに頭のどこかに残っていて、自分を追い込む。「疲れたなんて言うな」「弱音を吐くな」と、自分の中の昭和な精神論が顔を出す。その結果、倒れる寸前まで自分を酷使してしまう。

完璧じゃないと意味がないという思い込み

たとえ99点の仕事をしても、1点のミスがすべてを台無しにするような気がする。だからこそ、どんなに頑張っても満足できない。「これくらいでいいか」が言えないから、常に100点を目指して疲弊していく。この思い込みが、日々のストレスを何倍にもしているのだ。

事務員の一言が救いになることもある

そんな中でも、たった一言が気持ちを軽くしてくれることがある。事務員が差し出してくれたお茶に、「今日は暑いですね、無理しないでくださいね」と添えられていた。それだけで、「あ、自分はひとりじゃないんだ」と思えた。人の優しさに気づく余裕がない日ほど、それは沁みる。

「先生、お茶いれましたよ」の威力

ありきたりな日常の言葉でも、その日だけは涙が出そうになるほど心に響くことがある。声をかけてくれたこと、気にかけてくれたこと。それが「自分は責められてばかりじゃない」と教えてくれた。たった一杯のお茶が、どれほどありがたいものかを、あの日改めて知った。

余裕がないときの自分との付き合い方

責めるばかりじゃなく、時には自分を労わることも必要だ。人に優しくするように、自分にも少し優しくなってもいい。忙しさに追われてばかりいると、それを忘れてしまう。

書類の山の中で一息つく勇気

積み上がった書類の間から、ふと顔を上げて深呼吸するだけでも違う。外に出て缶コーヒーを買いに行くとか、椅子の上でストレッチするとか、そういった小さな行動がリズムを変えてくれる。ほんの数分でも、心に空気を入れ替えるだけで、意外とまた動けるようになる。

外に出て空を見上げるだけでも違う

昼休み、少しだけ事務所の外に出て空を見た。雲ひとつない空を見ていたら、自分の悩みが小さく思えた。「今日もうまくやらなきゃ」と力んでいた肩の力が、ほんの少し抜けた。大きな解決じゃなくていい。ただ「今」を少し軽くする工夫が、次の一歩をくれる。

それでも今日を終えるという達成感

どんなに心が削られても、ひとまず「今日が終わった」と思えたらそれで十分だ。ミスがあったとしても、泣きそうな時間があったとしても、何とか踏ん張って事務所を閉めた自分を、少しだけ誇りに思っていい。完璧じゃなくても、倒れずにここまで来たこと自体が、立派なことだ。

完璧じゃなくていい 続けてるだけで偉い

司法書士という仕事は、派手さもなければ感謝されることも少ない。それでも毎日向き合っている自分を、時には肯定してやりたい。疲れ果てた帰り道、ふと見たコンビニの灯りがやけにあたたかく感じた。「今日も一日、お疲れさま」。自分で自分に、そう言ってやりたくなった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。