明細に刻まれた幻の名前
朝の静けさと一通のメール
いつものように事務所に早く来て、まだ誰も来ていない室内でコーヒーを啜る。窓の外では蝉が容赦なく鳴いていて、暑くなりそうな一日を予感させた。そんな静けさを破ったのは、事務用PCに届いた一通のメールだった。
知らない名前が記された報酬明細
そのメールには、先日完了した相続登記の報酬明細が添付されていた。だが、依頼人の欄には見覚えのない名前が記されていた。「あれ? こんな人、依頼人だったっけ……?」私はコーヒーを置き、ファイル棚を漁り始めた。
サトウさんの冷たい一言
出勤してきたサトウさんに、私はその明細を見せた。「シンドウさん、これ確認しました? この人、確か記録にはいませんでしたよ」彼女は眉ひとつ動かさず淡々と言う。やれやれ、、、今日も朝から地雷を踏んだ気分だ。
登記記録に存在しない依頼人
確かに、法務局のデータベースを確認してもその人物の名前は出てこなかった。私は一層眉をひそめた。報酬明細にだけ存在し、他には痕跡すらない人物。まるでルパン三世に出てくる幻のターゲットのようだ。
消えた書類と不審な来訪者
そうこうしているうちに、依頼人と名乗る男性が事務所にやってきた。だが提出すべき書類が一部抜けていた。「紛失しました」と彼はしれっと言う。こちらの質問にも要領を得ず、怪しさだけが残った。
手帳に残された謎のイニシャル
事件は急展開を見せた。私のデスクにある古い手帳の片隅に、いつの間にか「M・K」のイニシャルが記されていた。誰かが書き込んだ形跡もない。もしや、報酬明細に記された名前と一致するのでは?
やれやれ、、、どうせまた面倒な案件だろ
私は一度、椅子にもたれて天井を見上げた。こういう妙な事件に限って、あとから面倒が噴き出してくる。まるで波平の一本毛のように、どこかで必ず引っかかる。そんな嫌な予感が的中するのも時間の問題だった。
元野球部の感覚が呼び起こした違和感
ファイルの中に、紙の厚みが微妙に違う一枚を見つけた。手触りで分かるこの違和感。こういうとき、昔キャッチャーをしていた勘が働く。何気なく裏返すと、そこにあったのは、報酬明細とは違う筆跡の委任状だった。
判子のズレが示した矛盾
判子の押し方が不自然だった。普通、印影はきちんと中央に来るよう気をつけるものだが、それは少し傾いていた。しかも、実在しない人物の名前が書かれていた委任状。私はようやく、これが偽造であると確信した。
税理士事務所に仕掛けられた罠
調査の結果、その名前は依頼人の親戚を名乗る者が税理士に伝えた架空の人物であった。つまり、税理士側が善意で処理したデータをもとに、我々の明細が組まれていたのだ。完全に誰かにハメられた。
サザエさんの家計簿よりも複雑な関係図
依頼人と名乗った男は、実は亡くなった被相続人の息子ではなく、遠縁の知人だった。しかも、その関係を隠すために架空の名義を使っていたのだ。まるでサザエさん一家の家系図を逆さまにしたような混乱だ。
サトウさんの推理が導く真相
「この人、印鑑登録証明書の番号が別件のものと一致してます」サトウさんが冷静に告げた。さすがだ。彼女の指摘をもとに調査を進めると、複数の登記案件に同じ人物の偽名が使われていたことが判明した。
報酬明細にだけ存在した架空の人物
偽名は過去の登記書類に使われ、わずかな金銭の動きを隠すためにだけ存在していた。報酬明細にしか現れない名前。それは、家族の争いを避けるための、切なくもずる賢いトリックだった。
遺産相続と隠された家族の物語
結局、その人物は亡くなった被相続人の元恋人であり、密かに残された子どもへの遺産分与を隠すための架空名義だった。だが、真相を知った正当な相続人たちは、その気持ちを理解し、問題にはしなかった。
悲しい偽名が守ろうとしたもの
その偽名は、誰かの「存在をなかったことにしないため」に作られたものだった。登記簿には残らなくても、名前がそこに記されたことで、確かに一人の人生が証明されたように思えた。
そして今日もまた机に山積みの書類
事件が終わっても、机の上は変わらず書類の山だった。サトウさんは何も言わずシュレッダーに向かい、私はコーヒーを入れ直す。やれやれ、、、次はどんな依頼が来るのやら。肩をすくめつつ、またキーボードを叩き始めた。