出会う時間がないまま夜が来る

出会う時間がないまま夜が来る

今日も誰とも話さず一日が終わった

事務所の鍵を閉めるとき、ふと気づく。「今日、誰と話したっけ?」。電話は鳴る。依頼者とのやりとり、役所との調整、税理士からの確認連絡。でも、そのどれもが業務であって、会話とは呼べない。人と会っているのに孤独。そんな感覚が日に日に強くなっていく。昔は人と話すのが好きだったはずなのに、気がつけば感情を交えた会話をする余裕がなくなっていた。

電話は鳴るけど心は鳴らない

着信音が鳴るたび、反射的に「何かトラブルか」と身構える。相談の電話、登記の確認、事務ミスの連絡。電話の相手は人間だけど、こっちは半分機械みたいな反応しかできない。心を動かす余裕なんてない。ただ処理して、返して、次に移る。それを繰り返す日々だ。

業務連絡に感情は挟めない

「お世話になっております」から始まり、「よろしくお願いいたします」で終わる定型文。そこに自分の気持ちを差し込む余地なんて、どこにもない。会話ではなく、手続きの一部としての言葉。本音はいつも、心のどこかに沈めたままだ。

名前しか知らない依頼者との距離感

何年も同じ地域で仕事をしていても、関係が深まることはない。登記が終われば「ありがとうございました」で終了。名前は覚えていても、顔と一致しないこともある。こちらから連絡することもなければ、相手から感謝の手紙が来るわけでもない。司法書士という仕事は、人の人生の節目に関わるはずなのに、どこか遠いままなのだ。

「出会い」の前に「余裕」がない

大切な人と出会いたい、なんて気持ちは正直ある。でも、その前に物理的にも精神的にも「余裕」がない。朝から晩までスケジュールが詰まり、仕事が終わればヘトヘト。誰かと話す気力も残っていない。

予定が詰まったスケジュール帳に空白はない

9時に打ち合わせ、10時にオンライン申請、11時には法務局へ。その合間に書類作成と電話対応。休憩は弁当をかきこむ15分だけ。これじゃあ、出会いを求める余地なんてない。出会い系アプリのプロフィール画面を開いたことはあるが、「何を書けばいいんだ?」とすぐに閉じた。

空白を埋めたくなるのは寂しさか義務感か

ふと空いた時間に予定を入れたくなるのは、もはやクセのようなものだ。「せっかくの空き時間だから」と、つい仕事を入れてしまう。自分でも、何と戦っているのか分からない。誰かと過ごす時間より、予定が詰まっていることで「安心」している気がする。矛盾しているけど、それが現実だ。

誰かと食べる夕飯はいつから減ったのか

かつては友人や同僚と外で飲むこともあった。でも今は、帰りに寄るコンビニと、事務所の電子レンジが相棒だ。食事中もスマホでニュースを見たり、メールを返したり。食べることすら仕事の延長になっている。

コンビニ弁当が僕の隣人になっている

カレー、唐揚げ弁当、たまにパスタ。選ぶ時間すら面倒で、同じものを手に取る。温め終わった弁当を片手に、誰もいない事務所に戻る帰り道は、やけに静かだ。食事は本来、誰かと楽しむものだったはずなのに、今ではただの「補給作業」になっている。

食べながら誰とも目を合わせない生活

昔、野球部の合宿では大皿のご飯を仲間と囲んだ。冗談を言い合いながら食べたあの時間が、どれほど貴重だったのか今になって分かる。今は誰とも目を合わせないまま、目の前の画面だけを見つめて食べている。食事の風景が変わったのは、生活そのものが変わってしまったからだ。

それでも明日も誰かの役に立つ

大切な人に出会う時間はないけれど、誰かの人生には関わっている。登記の仕事が終われば「助かりました」と言われることもある。淡々とした日々の中でも、意味のあることはきっとある。そう信じないとやっていられない。

人の人生に関わる仕事だからこそ

婚姻、相続、売買、会社設立。人生の節目に立ち会えるのが司法書士の仕事だ。感情は表に出さないけれど、ひとつひとつの手続きの裏には、必ず人のドラマがある。それを丁寧に扱うことが、自分なりの誠意だと思っている。

自分の人生にも少し優しくなりたい

他人の人生を支えるばかりで、自分の人生を置き去りにしてきた気がする。もう少し、自分の気持ちに正直になってもいいのかもしれない。会話をする余裕がないなら、せめて誰かの言葉を聞いてみよう。本を読む、ラジオを聴く、それでもいい。心のどこかが動く瞬間を、大切にしたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。