毎日PDFを見てると目がバグる
司法書士という仕事をしていると、毎日のように目に飛び込んでくるのがPDFファイルだ。登記関係の添付書類や依頼者からの確認資料、役所からの通達まで、とにかくなんでもPDFで送られてくる。ひと昔前まではファックスだったが、今や「とりあえずPDFにして送っておきました」という流れが完全に定着している。でも、この「PDF漬けの毎日」が、じわじわと目と心をむしばむ原因になっているのを、どれだけの人が理解しているだろうか。
そもそもなんでこんなにPDFを開いてるのか
本来、PDFは「誰が見ても同じレイアウトで見える便利な形式」だったはずだ。しかし、便利さの裏で、我々司法書士の目と神経を確実に削ってくる。メールを開くと十中八九PDFが添付されており、「またか」と心の中で呟く。資料確認は印刷して保管しなければならない書類も多く、いちいちファイルを開いて中身を確認するのが本当に面倒くさい。しかも、ひとつの案件で10枚以上PDFが飛んでくることもザラだ。朝から晩までそれを繰り返すと、「目が死んでる」なんて軽い表現じゃ済まない疲労がたまる。
依頼者が送ってくる書類の八割がPDF
依頼者が「とりあえずこれを見てください」と送ってくる書類は、ほぼ例外なくPDFだ。中には写真を貼り付けたJPEG付きPDF、Googleドキュメントから印刷したものをスキャンしただけのPDF、そして手書き書類をスキャンして送ってくるPDFなど、バリエーションも地味に豊富。こちらとしては内容が確認できればいいのだが、読みにくいものほどPDF化されている現実に泣けてくる。特に高齢の依頼者から送られてくるPDFは、斜めにスキャンされていたり、ピントが合っていなかったりと、目に悪いことこの上ない。
PDFを印刷しない理由とできない事情
「だったら印刷すればいいじゃない」と思うかもしれない。でも現実はそんなに単純じゃない。うちのプリンターは事務所の片隅で唸りながら動いているが、紙代もインク代もバカにならない。しかも、印刷したところでファイルとして保存し直す必要がある書類も多く、二度手間になることが多い。結局、「開いて、確認して、また閉じる」を繰り返している方が時間のロスが少ないと感じてしまう。だが、それが積もり積もって目の疲れを加速させているのは言うまでもない。
画面を凝視するだけで眼精疲労が倍増する
年齢のせいなのか、PC画面を見る時間が長引くと明らかに目がかすむ。目薬を差しても一時しのぎに過ぎず、画面の明るさを下げたり、ブルーライトカットメガネを使ってみても、根本的な解決にはならない。しかもPDFって、開いた直後に文字がぼやけたり、ズームしてもカクカク動いたりして、地味にストレスがたまる。まるで拷問のような仕事道具を、ありがたがって使わなきゃいけない状況に、軽く絶望してしまうこともある。
拡大しても小さくて読めないあるある
細かい文字が潰れて見えないPDF、ありますよね。登記簿や図面、添付書類など、情報量が多いものほど文字が詰め込まれていて、拡大しないと読めない。拡大すればするほど全体が見えなくなって、スクロール地獄に突入する。しかも、読みやすくするためにズームしても、肝心な部分が端に隠れてたり、スクロールバーを操作するだけで肩が凝る。そうやってまた少しずつ視力が削れていく。
スマホで確認させる気ゼロの作り手
スマホで確認しようとした自分がバカだった。PDFを開くたび、ピンチインとピンチアウトの繰り返しで指がつる。しかも、どのPDFもやたらと重くて、表示に時間がかかる。そのうえ上下左右に動かすたびにページが飛んで、どこまで読んだかわからなくなる。明らかにパソコン前提で作られたファイルばかりで、外出中に確認するなんて無理ゲーだ。思わず「頼むからWordで送ってくれ」と言いたくなるが、言ったところで変わらないとわかっている自分が悲しい。
紙と違って記憶に残らないのも地味にきつい
不思議なもので、紙で読んだものは頭に残るのに、PDFで読んだ内容は右から左に抜けていく。ページの感覚も曖昧で、「あの辺に書いてあった気がする」という記憶の足場すら曖昧になる。紙だったらペラペラとめくって思い出せたのに、PDFだとどこをどう開いても記憶と繋がらない。この「読んだはずなのに覚えていない」という感覚が、自分の老化を突きつけてくるようで、精神的にもじわじわ効いてくる。
スクロールするたびに内容を忘れる現象
PDFをスクロールしながら読むと、読んだそばから内容が蒸発していくような感覚になる。たぶん、視線の移動と内容の記憶が一致しないからだと思う。紙の資料ならマーカーを引いた場所をなんとなく覚えているのに、PDFではマーカーすら引けない。紙の重みや質感が記憶を支えていたのだと気づく頃には、もう目も肩も限界を迎えている。
紙にメモしたい衝動との戦い
結局、PDFを見ながらノートにメモをとるという二重作業をしていることが多い。でもこの時点で、もう電子化の意味が薄れてる気もする。だったら最初から紙でくれた方がマシだと思いながら、今日もせっせと書き写す。時代に取り残された気分と、手書きの安心感の狭間で揺れ動く心。便利と不便が紙一重なことに、毎日苦笑いしてしまう。
付箋を貼れないPDFに苛立つ
昔ながらの紙の資料なら、ここ重要!と付箋を貼って目立たせることができた。でもPDFではそれができない。もちろん電子付箋の機能はあるが、操作が煩雑だったり、あとで見返すと付箋が表示されなかったりと、イライラすることが多い。結局、「見てた場所を忘れる」という事態に陥る。自分だけならまだしも、事務員さんに「このPDFの2ページ目の真ん中のところ…」と伝えるのも地味に難しい。
何回も同じ場所を探す不毛さ
「あれ、これ前に見たやつどこだっけ」と思ってPDFをまた開く。でも探しても探しても出てこない。ファイル名も似たようなのばかり、フォルダも深くなりすぎて自分で迷子になる始末。検索機能があるとはいえ、検索ワードを間違えればヒットしないし、うまくいっても該当箇所が小さな青枠で表示されるだけ。資料の山を掘り返す時間が、どれだけ業務効率を下げているか考えると、ため息しか出てこない。
検索機能が便利なようで不便
「Ctrl+Fで検索できるから便利」と言われるけど、そもそもキーワードを正確に覚えてないと引っかからない。そして引っかかっても、見たい文脈が載ってるとは限らない。紙ならパッと開いたページで感覚的に見つけられたものが、PDFだとやたらと無機質で情報のかけらを探すような気分になる。目と脳が一致しない、不協和音のようなストレスがある。
結局プリントアウトした方が早いと気づく瞬間
なんだかんだ言っても、最終的には「印刷した方が早い」となることが多い。インク代と紙代が気になっても、効率と確実性には代えられない。でもそうすると、また紙の山ができて、今度は整理に時間を取られるという負の連鎖が始まる。PDFのはずが紙に戻ってくるという皮肉な現実に、デジタル化って本当に進んでるのか?と毎回疑いたくなる。
目だけじゃなく心までやられていく
目の疲れは表面的だけど、実際は心にもじわじわ影響している。誰にも気づかれずに、ひとりで黙々とPDFを開いて確認して閉じて、を繰り返していると、ふとした瞬間に「俺、何やってるんだろう」と無力感に襲われる。業務上必要なのはわかっている。でも、それを誰もねぎらってくれない。目が死んでいるだけじゃなく、心まで少しずつ削られていくのを、誰にも見せられないのが一番つらい。