書士会の集まりって誰のためにあるのか
年に何度かやってくる「書士会の集まり」。表向きは情報交換の場、ネットワーキングの場とされているが、正直、あの雰囲気がどうも肌に合わない。会場に足を踏み入れた瞬間から広がる独特の空気、ぎこちない笑顔と沈黙が入り混じる会話に、なぜか毎回肩がこる。もちろん全員が悪いわけじゃない。でも、あの時間を過ごすたび、「これは誰のための場なんだろう?」と疑問が消えない。
建前の交流と本音の孤独
話す内容はほとんどが建前。業務の調子や最近の案件の傾向などを無難に語り合い、深く踏み込んだ話になることはない。周囲の表情は笑っていても、心の中は誰もがバリアを張っている感じがする。私は元野球部で、当時は声を張り上げて本音をぶつけ合っていたけれど、ここではそういう空気は皆無だ。お互いを知るというより、無難にやり過ごすのが目的になってしまっているように感じる。
名刺交換だけで終わる時間
初めての集まりでは、名刺交換をして終わり。名刺を渡した瞬間だけは会話が弾むように見えるが、その後は話題も続かず、名刺が溜まっていくだけ。私はファイルにきれいに保管しているが、その中の半数以上とはそれっきりだ。事務所の状況や業務内容に興味を持ってくれる人もいるが、深い関係にはならない。この表面的な付き合いが、正直苦手なのだ。
表情だけ笑って心はうんざり
会場では自然と笑顔を作るが、心の中では「早く終わらないかな」と何度も思っている。立ち話で誰かが熱心に業務の展望を語っていても、頭の中では今日の書類の進み具合や、明日の予定のことでいっぱい。場に馴染めないというより、自分の関心がそこにないのだ。そう考えると、無理して笑っている自分がさらに疲れてしまう。
地方ならではの“距離感”
地方で書士をしていると、誰がどこの案件を担当しているか、どんな付き合いがあるかがだいたい見えてくる。だからこそ妙な気を遣う。会うたびに「最近あそこの件どうなった?」などと話しかけられ、踏み込んでほしくない部分にも土足で入られる感覚がある。お互いを知りすぎているからこそ、安心感よりも気疲れが先に立つ。
顔見知りなのに深く関われない関係
顔は何度も合わせていても、腹を割って話す相手ではない。その奇妙な距離感が、なんとも居心地が悪い。たとえるなら、中学時代にクラスが違って、よく知らないけど名前だけ知っている同級生と飲みに行くような感覚だ。仲が良いわけでもない、でも無視もできない。その微妙な関係性が、どうにもやりにくい。
地元意識が生む気疲れ
「あの人は○○高校出身で、××さんと親戚だよ」なんて情報が飛び交うのが地方の特徴だ。だからこそ、妙に気を使って言葉を選ぶ必要がある。うっかり本音を漏らせば、別の場で「○○さんがこんなこと言ってたよ」と伝わってしまう。これは大げさではなく、実際に私も一度やらかしたことがあり、その後しばらく腫れ物扱いされた。
正直言って参加する意味がわからない
会の目的は理解している。業界の動向を知る、仲間とのつながりを作る、新人を育てるなど、建前としては立派だ。でも実際に参加してみると、そうした目的が果たされているとは思えないことが多い。情報共有というよりも、顔を出すことが目的化している。義務のように感じるその時間に、私は疑問を抱かざるを得ない。
情報共有?それって必要?
書士会で話題になるのは、制度改正の動きや管轄ごとの対応の違いなどだが、正直ネットで十分知ることができる内容ばかり。むしろ有益なのは、SNSでつながった同業者が発信している実務の工夫や失敗談だったりする。わざわざ会合のために業務を止めて、足を運ぶ必要が本当にあるのかと思う。
役立つ話より噂話の方が多い現実
集まりでは、制度の話よりも「○○先生の事務所は最近うまくいってないらしい」などの噂話が主役になることもある。もちろん興味がないわけではない。でも、そんな話に時間を使うより、自分の仕事を一つでも片づけたい。しかも、噂に尾ひれがついて、後日自分が話題の中心になっていたこともあって、ますます信頼できなくなった。
若手が得られるものは本当にあるのか
新人司法書士にとって、書士会は“成長の場”とされているが、実際には新人が話しやすい雰囲気ではない。先輩たちの会話には入りづらく、挨拶だけして端っこでスマホを見ている姿もよく見かける。私自身もそうだった。もっと実践的なアドバイスが飛び交う場であれば違ったかもしれないが、現実は少し寂しい。
一人事務所にはただの負担
うちは事務員が一人だけの小さな事務所。自分が会合に出ると、その間は事務員にすべてを任せることになる。電話も来客もこなしてくれるが、明らかに負荷は大きい。私が不在の間にお客様が来たら、それだけで印象が悪くなることもあるし、何かトラブルがあったときにすぐ対応できないリスクもある。そう思うと、書士会の集まりは業務の足かせにすらなっている。
事務員一人きりで留守番
私の事務員はとても頑張ってくれているが、それでも一人で電話応対と窓口対応をこなすのは負担が大きい。特に繁忙期に重なると、書士会に出るたびに「今日もひとりでごめんな」と謝ることになる。本人は笑って「大丈夫ですよ」と言ってくれるが、私自身の気が重くなる。事務所を留守にするたびに、申し訳なさと不安が募っていく。
「すみません先生は外出で…」の重み
お客様が来たときに事務員が言う「先生は外出中です」の一言には、意外と重みがある。特に初めての相談者には「この事務所はちゃんと対応してくれるのか?」という印象を与えてしまうことがある。あとからフォローしても、最初の印象は覆しにくい。書士会で顔を出すより、一人ひとりのお客様にしっかり対応する方が、よっぽど大事じゃないかと思ってしまう。
お客様対応のしわ寄せ
事務所に戻ると、対応漏れのメモがいくつも残されていることがある。至急の登記依頼や、重要な相談もあったりする。ああ、あの時間がなければすぐ動けたのに。そう思うことが何度もあった。書士会に出るたびに、何かしら業務に支障が出る。誰のための時間だったのかと、自問することになる。
行かない選択肢もあっていい
結局のところ、書士会に「必ず参加しなければならない」というルールはない。でも実際には、行かないと陰で何か言われそうだとか、付き合いが悪いと思われそうだとか、妙なプレッシャーがある。でも私は思う。無理して出席して、自分も事務所もすり減らすくらいなら、行かないという選択肢もあっていいと。
無理に合わせることが本当に正解か
みんなと同じようにふるまうことが正義とは限らない。私のように、一人で地道にやっている司法書士もいれば、チームを組んで事務所を拡大している人もいる。やり方も、価値観も違って当然。書士会のあり方も、多様であるべきではないか。私はもう、自分のスタイルを崩してまで合わせるのはやめようと決めた。
“自分のペース”を守る勇気
元野球部だった自分は、昔は「チームワークがすべて」と思っていた。でも司法書士の仕事は、時に“個”が問われる。自分の責任で決断し、自分の時間を守ることが信頼につながる世界だ。だからこそ、無理に集まりに合わせるより、自分のペースでしっかり仕事をこなす方が、長く続けていけると思っている。
孤立と自由のバランス
まったく人と関わらないのは危険だ。情報や支援を得られずに孤立する可能性もある。でも、その一方で、常に人と群れることで自分らしさを失ってしまう危険もある。孤立を恐れすぎず、かといって孤高を気取ることもなく、自分にとってちょうどいいバランスを見つける。それが今の私の課題であり、目標でもある。