倒れたら終わりな仕事をいつまで続けるのか
一人で抱える仕事の重さと終わらない不安
司法書士という職業は「個人商店」そのものだ。体一つで食べていけるが、その体が動かなくなったら、すべてがストップする。私は45歳、地方で小さな事務所を構えている。事務員を一人雇っているが、書類作成や登記業務の細かな部分までは任せきれない。結局、自分で動くしかない毎日が続いている。倒れたら、依頼者への連絡も止まるし、期限もすべてアウト。そんな「もしも」を考えるたび、眠れなくなる。
何かあったら全部止まるという恐怖
数年前、風邪をこじらせて寝込んだことがあった。高熱で動けず、頭も回らない。だけど携帯は鳴り続けるし、書類は机の上で山になっていく。事務員も気を利かせてくれるが、「これはどうしたら…?」の連続。ついに這うようにして事務所に顔を出した。倒れたら本当に全部止まる。病気ひとつで、依頼人との信頼が崩れかねない。そのとき、心の中で「これ、ずっと続けられるのか?」と初めて疑問が浮かんだ。
病院のベッドで考えたこと
過労で入院した知り合いの司法書士がいる。「無理が効かない年齢になった」と言っていたが、それを他人事として聞いていた自分が恥ずかしい。いざ病院のベッドに横たわる立場になれば、初めて見える景色がある。「あの案件、どうなったかな」「あのお客さん、困ってないかな」と仕事のことばかり浮かぶ。なのに体はまったく動かない。仕事への責任感と、自分の体を犠牲にする矛盾に気づくのは、いつも遅い。
事務員がいても安心できない現実
ありがたいことに、事務員の子はよく働いてくれている。ただ、私が不在の間にすべてを任せられるかというと、そうではない。登記の判断、書類の最終チェック、関係者との調整……やっぱり「最後のところ」は自分がやらなきゃと抱え込んでしまう。彼女に悪いと思いながらも、「任せた後にミスがあったら」という不安のほうが勝ってしまう。結果として、私は休めないし、倒れたら終わる構図から逃れられない。
代わりがいないことのリスク
自分だけがすべてを知っていて、自分しかできないという状態は、裏を返せば非常に脆い。それに気づいてはいるが、つい「今は自分が頑張ればなんとかなる」と思ってしまう。だけど、それは短期的な考え方にすぎない。長く働くつもりなら、どこかで「代わりがきく仕組み」を作っておかないといけない。そうでないと、いずれ倒れたとき、すべてが崩れてしまう。
仕事を任せられないという性格
昔からの性格で、「自分でやったほうが早い」と思ってしまう。元野球部時代、チームプレーも経験してきたはずなのに、社会に出たら一人でなんとかしようとする癖が抜けない。特にこの業界では、責任が重いからこそ人に任せるのが怖い。でも結局、自分一人の時間と体力には限界がある。自分の首を自分で絞めている状態に、気づきながらも変えられずにいる。
引き継ぎを考えるだけで憂鬱になる
業務の引き継ぎ……考えただけで気が重くなる。どこに何があって、どの依頼者がどういう状況か、頭の中にはあるけれど、それを整理して伝える時間がないし、面倒だし、正直やりたくない。でも、もし急に倒れたら、誰がそれを引き継げるのか。身近な誰かに迷惑をかけるのが目に見えているのに、それでも「今は忙しいから」と先延ばしにしてしまう自分がいる。
誰かに教える余裕もないという矛盾
「人に教えれば自分も楽になるよ」と言われたことがある。確かにその通りだと思う。でも、その「教える時間」がないのだ。日々、時間に追われるなかで、人に説明する余裕も心のゆとりもない。だから結局、自分で全部抱え込んでしまう。教えないから任せられない、任せられないから自分が潰れる、という負のスパイラルにハマっている。これはもう、仕組みを変えるしかない。
生活も仕事も自分中心に回っている怖さ
自分が動ける限り、なんとかなってしまうのが一番怖い。誰も止めてくれないし、頑張れば頑張るほど仕事が増えていく。気づけば生活も仕事も全部、自分を中心に回っていて、それが普通になってしまっている。でも、普通って案外もろい。ひとつ歯車が狂えば、何もかも止まる。それが「自分の体調ひとつ」だったりするんだから、本当に恐ろしい。
休日の緊急連絡が頭から離れない
休日にふとスマホを見る。着信履歴、LINE、メール……何も来ていないのに、なんだか落ち着かない。気持ちが常に「何かあったらどうしよう」に支配されている。まるでずっとランナーがスタートラインで待機しているような状態。気が休まらない。これじゃ休みの日も心が休まらず、気づけば365日フル稼働。そんな生活、正直もう限界が近い。
倒れたときに頼れる人がいない
親も高齢、兄弟も遠方、友人は家庭持ち。いざというとき、連絡できる相手がすぐに思い浮かばない。独身の気楽さは確かにあるけど、支えがない現実は地味にキツい。何かトラブルが起きたとき、「誰かに頼ろう」という発想が出てこない。そんなとき、「このままでいいのか?」という孤独感が襲ってくる。人に頼れない働き方のままで、本当にいいのだろうか。
そもそもプライベートって何だったっけ
最近「趣味ってなんですか?」と聞かれて、答えに詰まった。元野球部だから野球観戦は好きだけど、試合をゆっくり観る時間なんてない。旅行? 無理。デート? もっと無理。気づけば、プライベートという言葉がただの幻想になっている。そんな自分にふと「何のために働いているんだっけ?」と問いかける瞬間がある。でも答えはまだ出ていない。
元気なうちに考えておくべきこと
まだ体が動くうちに、備えておかないといけないことは山ほどある。今さら大きな改革なんてできないかもしれないが、小さなことからでも始めないと、未来の自分が本当に困る。後回しにしてきた分、これから少しずつでも向き合っていくしかない。倒れる前に、今の自分を少しでも軽くしておくことが、生き延びる鍵なのかもしれない。
業務の棚卸しは未来の自分を助ける
まずやるべきは、業務の棚卸し。何をどの順でやっているのか、どこに情報があるのか、書き出すだけでも違う。整理整頓が苦手な自分にとっては骨が折れる作業だが、やっておけば未来の自分が助かる。特に期限付きの案件や、進行中の仕事を一覧にしておくことで、万一のときに誰かが対応しやすくなる。小さな手間が、大きな安心につながる。
「任せる」の練習を少しずつ始める
全部いきなり任せるのは無理だ。でも、ひとつずつでも「これはお願いできるかも」という項目を見つけて任せてみる。最初は不安で、つい手を出したくなるけど、ぐっと我慢するのも練習だと思っている。小さな任せを繰り返していけば、やがては「自分がいなくても動く」部分が少しずつ増えてくる。そうなれば、倒れる怖さも少しは減るだろう。
続けられる体制と辞められる仕組み
ずっと続けるつもりで働いてきたけど、最近は「やめどき」についても考えるようになった。続けるには体力も気力も必要で、それが尽きたときにパタッと終わるのは避けたい。続けるための体制と、辞めるための仕組み。その両方を整えておくことで、ようやく「逃げ道」が見えてくる。そんな準備が、今の自分には一番必要なのかもしれない。