お疲れさまの一言がないまま終わる一日
今日も誰からも「お疲れさま」と言われることなく、事務所の机を片付けた。依頼者にも、事務員にも、通りすがりの誰かにも。もちろんそれが当然だとは思っている。けれど、たまにふと、誰かに労ってもらいたい気持ちが顔を出す。まるで、飲み干したコーヒーのカップに気づかず、何もないのに口をつけてしまったときのような、そんな空虚な気分になる夜がある。
静かに終わる仕事と沈黙の帰り道
夕方、最後の電話が終わり、FAXの確認をしてファイルを片付ける。事務員もさっさと帰ってしまったあと、ひとり静かな事務所に残される。シャッターを閉め、電気を消し、外に出ると、そこにはもう誰もいない。夜道を歩いて帰る途中、誰かとすれ違っても、互いに無言のまま足早に通り過ぎるだけ。イヤホンをつけていても、結局は流れてくるのも誰かの声であって、僕に語りかけてくれるわけじゃない。
家に帰っても誰も待っていない
自宅に着いても、部屋の中は静まり返っている。玄関のドアを開けても、誰かの「おかえり」は当然ない。夕食はコンビニの弁当、冷蔵庫の中は寂しく、テレビをつけても誰かの生活音が流れているだけで、こちらの現実とは無縁の世界。こんな生活を「気楽」と言う人もいるが、僕にとってはもう長すぎる「ひとりの時間」だ。
テレビの音が唯一の会話
食事中につけているテレビのバラエティ番組が、唯一の会話相手みたいになってしまった。芸人が「お疲れさま〜!」と叫んでいるのを聞いて、思わず苦笑いする。僕宛てじゃないとわかっていても、それでも耳に入るだけで少し救われるのはなぜだろう。もう何年も、誰かに真正面から「今日も頑張ったね」と言われていないのに。
ねぎらいの言葉が心を支えることもある
たった一言の「お疲れさま」が、どれほど大きな支えになるか。司法書士という仕事は、基本的に感謝されることも少ない。無事に登記が終わって当たり前。手続きに問題が起きたら責任はすべてこちらにくる。そんな日々の中で、誰かの優しいひと言が、どれほどの意味を持つかを、僕らはなかなか口にしない。
「大げさ」と笑う人にはわからない重み
ある友人に「そんなの気にしすぎじゃない?」と笑われたことがある。彼は家庭もあって、帰れば子どもが「パパおつかれ〜」と駆け寄ってくるらしい。僕は黙ってうなずくだけだったが、内心では「そのひと言がほしくて仕方ない日もあるんだ」と思っていた。誰かに認められたいという感情を、「弱さ」と片付けてはいけない。
一言が救いになる夜もある
以前、登記が無事終わったあとに「先生もお疲れさまでしたね」とぽつりと言ってくれたお客様がいた。短い言葉だったけれど、その日は不思議と疲れが和らいだ。言葉の力は侮れない。あれから何年も経つが、その言葉だけは今も胸に残っている。たった一言で救われる夜が、確かにあるのだ。
事務員には言わないし言われない関係性
うちの事務員さんとは、もう5年の付き合いになるが、「お疲れさま」と言い合った記憶はあまりない。別に仲が悪いわけではない。むしろ、仕事としての距離感はちょうどいい。でもその分、感情のやり取りが極端に少ない。言葉を交わすのは主に業務連絡。それでいいのか、いい加減よくないのか、最近よくわからなくなる。
淡々とした距離感が心地いいときもある
変に気を遣われるよりは、黙々と仕事をこなす関係のほうが楽なときもある。感情が絡むと、面倒になることも多いし、何よりこちらも不器用だから気の利いたことが言えない。でも、ふとした瞬間に「この人が辞めたら、自分はどうなるんだろう」と不安になる。それだけ信頼している証拠なのだろう。
でも本音では少しだけ期待している
たとえば年末の仕事納めのとき、「今年もお疲れさまでした」と事務員が言ってくれたことがあった。そのとき、自分でも驚くほど嬉しかった。やっぱり言葉って、どれだけ普段なくても、いざもらうと沁みるんだなと実感した。だからこそ、普段何も言われない日々の無言が余計に重たく感じてしまうのかもしれない。
お互い口下手なだけだと信じたい
もしかしたら、事務員も僕に対して何か言いたいことがあるのかもしれない。でも、お互い口下手だから、それが出てこない。そう思うと、無理に求めるのも違う気がして、結局また今日も「お疲れさま」のないまま仕事を終える。そして、自分自身にそっと「今日もよく頑張った」と声をかけるのだ。
自分で自分にお疲れさまと言う習慣
ある日、あまりにも虚しくなって、帰り際に思わず自分に「お疲れさま」と言ってみた。誰もいない事務所でぽつりと呟いたその声が、やけに響いて、自分で自分に笑ってしまった。でも、案外悪くなかった。それ以来、毎日とはいかないけれど、時々、意識して自分にねぎらいの言葉をかけるようになった。
誰も言ってくれないなら自分で言う
世の中、すべてが思い通りにいくわけじゃない。人に期待してがっかりするくらいなら、最初から自分で満たしてしまえばいい。たとえば「今日も頑張ったな」と自分に言うだけで、気持ちが少し整う。なんなら、小さなご褒美でも用意しておけば、明日もまた乗り越えられる。そうやって、ひとり仕事を続けていく。
無理やりでも声に出すことで少しは変わる
声に出すって意外と大事だ。黙っていると、気持ちが内側に溜まっていく。たとえ空虚に思えても、「お疲れさま」と自分に声をかけることで、不思議と心の整理ができる。最初は照れくさいが、だんだんそれが自然になってくる。まるでキャッチボールのように、自分で投げて自分で受け取る言葉のラリー。
毎日のルーティンにしてみた結果
このルーティンを始めてから、不思議と心が軽くなる瞬間が増えた。もちろん孤独感が完全に消えるわけじゃないけれど、「誰も言ってくれないなら自分で言えばいい」と開き直れたことが、自分にとっては大きな進歩だった。自分をねぎらう言葉は、他人に求めるよりも先に、自分で育てていくものなのかもしれない。