気づいたら今日もまた自分を責めていた
朝、事務所の玄関を開けた瞬間に「あれ、昨日あの件ちゃんと確認したっけ?」と胸がざわつく。何かが引っかかる。その違和感の正体は、大抵“自分のミスじゃないか”という疑念だ。誰にも何も言われていないのに、自分の中でだけ責任を押し付ける声が響く。たとえ事務員のミスでも、「指示が曖昧だった自分が悪い」と無意識に変換されるのだ。
ちょっとしたミスに過剰反応してしまう癖
以前、委任状の名前を間違えていたことがあった。依頼者からの指摘で気づいたが、実際には相手の申請データのミスだった。それでも「きっと自分の確認が足りなかったからだ」と心の中で結論づけてしまった。反射的に謝罪し、深く落ち込み、夜まで気持ちを引きずる。たかが1枚の紙、と思われるかもしれないが、自分にとっては信頼を失ったような重さがある。
「どうしてこんなこともできないんだ」と思ってしまう
周りからは「真面目だね」と言われるけど、それが裏目に出る。完璧を求めすぎて、少しのズレや忘れ物でも「ダメだな自分は」と自責の念にかられる。郵便物を出し忘れた日なんて、家に帰ってからもずっと頭の中で謝り続けていた。何度も確認したつもりだったのに、その「つもり」がまた自分を責める材料になる。
冷静に考えると誰も責めていないのに自分だけが責めている
ふとした瞬間に思う。「誰もそこまで気にしてないんじゃないか?」と。でも、心の中のもう一人の自分が「いや、気づいてるけど黙ってるだけだ」とささやいてくる。これはもう思考の癖だ。責められてもいないのに、勝手に責められている気になって、自分を罰してしまう。これでは精神がもたないとわかっていても、なかなか止められない。
司法書士という職業が生むプレッシャー
司法書士という仕事は、とにかく「ミスが許されない」という空気がある。登記の一文字の誤りで、全てやり直しになることもある。だからこそ慎重になりすぎて、日常的に自分にプレッシャーをかける癖がついてしまったのかもしれない。小さなことも「命取りになるかもしれない」と考えてしまうのだ。
常に「間違えてはいけない」と思いながら働く日常
例えば不動産登記で、住所や地番を一つ書き間違えただけで、大きなトラブルにつながる。その怖さを知っているからこそ、いつも緊張している。事務員が入力した内容も、何度も確認してしまう。でも、完璧を目指しても人間には限界がある。その当たり前が自分にはまだ許せていない。
事務員にも相談しにくい「自分のミスかもしれない不安」
気になることがあっても、事務員には聞けないときがある。「また細かいと思われるかな」とか、「自分が確認不足だったのに八つ当たりみたいになるかも」と、ぐるぐる悩んでしまう。結局、誰にも話せず一人で考え込み、ひとりで結論を出して、また反省する。この繰り返しが地味に心を削っていく。
気づかれないように抱える責任感が心を蝕む
誰かに「大変ですね」と言われても、うまく笑ってごまかしてしまう。自分の中では「これくらいのことで弱音吐くな」と、さらに追い打ちをかける。まじめなふりをして、自分の中ではずっと葛藤している。責任感と自責の念の違いが、曖昧になっているのかもしれない。
過去の自分の失敗を何度も反芻する夜
昔やらかしたミスを、未だに思い出しては落ち込むことがある。登記の依頼で、申請日を勘違いして提出が一日遅れたことがあった。先方には特に問題ないと言われたが、あの時の自分の焦りと恥ずかしさが、今でも夢に出てくる。自分に甘くできない性格が、こういう夜を生んでしまう。
あの登記の修正が頭から離れない
ある日、事務所でミスをして訂正登記を出した。その時はちゃんと対応できたし、先方も納得してくれた。でも、心の中には「一発で完了できなかった」という悔しさが残っている。なぜあのとき確認を怠ったのか。何度も自分に問いかけてしまい、今さらどうにもならないのに、今でも思い出してため息が出る。
もう終わったことなのに夜中に目が覚める
夜中、ふと目が覚める。理由はない。でも数分後には「あの件、大丈夫だったかな」と考え始める。そしてなぜか、自分のミスに結びつけてしまう。「あの時、電話をもう一回していれば」とか、「あのメールの文面、誤解されてないか」とか。寝ている間も、自分を責めるループから抜け出せない。
反省と自責の境界が曖昧になるとき
反省は必要。でも、それが度を越すと、自分への攻撃になる。ただでさえ孤独な仕事だ。自分しか自分を守れないのに、自分が自分を責め続けている。これでは、心がすり減って当然だ。反省と自責の境界線を、そろそろ見極めないと、本当に壊れてしまう気がする。