名前の書かれた書類
朝一番、事務所のポストに無言で差し込まれた封筒が一通。開けると、登記申請書と委任状が入っていた。だが、依頼人の名前に見覚えがない。しかも、記載された住所は山奥の、すでに廃村となった場所だった。
不動産の所有権移転登記の申請だった。物件は空き家、相続による取得らしい。だが、連絡先も電話番号も一切なし。これはちょっと、怪しい。
机の上でその書類をじっと眺めていると、背後から塩対応な声が飛んできた。「それ、筆跡が妙ですね」
机の上に置かれていた登記申請書
差出人の名は佐伯タエ。戸籍上は昭和54年に生まれ、数年前に病死しているはずだった。それを裏付ける戸籍の附票も、私のデータベースに残っていた。
にもかかわらず、申請書はご丁寧に今月の日付が入っており、署名は力強く生きた筆跡だった。
「死人が登記する時代になりましたか。サザエさんの世界じゃないんだから…」と、私は天を仰いだ。
依頼人の顔が浮かばない
電話もメールも通じず、住所は空家。本人確認書類も添付されていない。職権で登記を受け付けるには無理がある。
なのに、書類はどれも不備がなく、プロの手による仕上がりだった。つまり、誰かがちゃんとした登記書類を模して書いたということだ。
「こういうのって、大体ろくなオチがないんだよなあ」と、私は愚痴をこぼす。やれやれ、、、また厄介な依頼だ。
サトウさんの鋭い指摘
「佐伯タエの筆跡、昔の役所の申請書と比べました。微妙に違います。これは別人ですね」
目の前でPCを叩くサトウさんの手つきは速く、的確だった。彼女は私の10倍は働いている気がする。いや、たぶん本当にそうだ。
「筆跡の違いってのは、気持ちの違いでもあるんだよ」などと、意味深なことを言ってみたが、冷たい目でスルーされた。
筆跡が一致しない疑惑
過去の書類と照合して、同一人物でないと断定。これは完全に別人が書いた申請だ。つまり佐伯タエを名乗る何者かが、虚偽の登記をしようとしている。
だが、なぜそんな手間をかけてまで?名義を移すだけなら、もっと雑な手法があるはずだ。
なにより、この件のゴールが見えない。相続?売却?それとも、何かのカモフラージュ?
戸籍と本人確認書類の不一致
市役所で戸籍を取り直してみると、死亡の記録はそのままだった。つまり、戸籍は改ざんされていない。
それなのに、登記申請書にはしっかりと生存しているかのような振る舞いが見える。
書類上で生き返った佐伯タエ。まるで、怪盗が死んだふりをしてまた現れるような、古典的な手口だ。
不自然な委任状
委任状には受任者として、見知らぬ司法書士の名があった。調べてみると、3年前に廃業していた。
本人に連絡を取ってみたが、「そんな依頼は受けていない。第一、もう田舎で釣りして暮らしてますよ」とのこと。
廃業者の名を勝手に使った可能性が高い。これは偽造、いや、何かを隠すための演出か。
過去に使われた名前が再登場
登記簿を遡ると、佐伯タエの名は15年前にも登場していた。当時は別の土地、別の登記。
だが、そのときの申請人の住所も、今と似たような廃村エリアだった。どうやら佐伯タエという名義は、誰かが意図的に使い続けている。
しかも、毎回異なる筆跡。まるでキャッツアイが名画の裏に痕跡を残すように。
死亡したはずの人物の名義
これは「死者の名を使うネットワーク」かもしれない。表向きには誰も気づかないが、裏では土地が次々と別名義に置き換えられている。
サトウさんが一言つぶやいた。「これ、登記詐欺ですね。死人の名は、一番都合がいい」
うまい。うまいけど寒い。いや、実際に寒気がしてきた。
夜の法務局前での待ち伏せ
あえて補正の連絡を入れ、法務局に書類を取りに来る人物を待った。寒空の下で缶コーヒーを飲みながら、私は自分の人生を少しだけ後悔していた。
すると、ひとりの女性が現れた。帽子にマスク、全身黒ずくめ。まるでルパンの女バージョンだ。
その人物が法務局の扉に手をかけたとき、私は声をかけた。「佐伯さん、ですね?」
現れたのは別人だった
驚いたようにこちらを見る女。だが、その目には怯えも罪悪感もなかった。逆に、「バレたか」という諦めに近い表情だった。
「この名義、売るだけのつもりだったんです。親の土地、誰も管理してなくて…」
そうつぶやいた彼女は、そのまま立ち去ろうとしたが、私はその手を軽く押さえた。
隠された過去の相続手続き
後に調査でわかったことだが、彼女は佐伯タエの遠縁にあたる人物だった。名義を使えば売却できるとそそのかされたらしい。
バックには土地ブローカーがついていた。所有者不明土地のスキームに、偽名義が使われていたのだ。
私はそのまま法務局職員に引き渡し、簡単な報告書をまとめて提出した。
そして名前は消された
事件が表沙汰になることはなかった。書類は却下され、名義も何もなかったことになった。
ただ、その中で確かに佐伯タエという名前は、静かに歴史から消えた。
本当にいたのか、いなかったのか。虚構と現実の境目に立っていた気がした。
無言のまま去っていく女
最後、彼女は「ありがとうございました」とだけ言い残して去っていった。
サトウさんはぼそっと言った。「なんか、妙にスッキリしましたね」
私は苦笑いを浮かべながら椅子に沈んだ。「やれやれ、、、一体誰の名前を記入してたんだか」
シンドウのひらめきとサトウの毒舌
今回の事件、正直に言えば私一人では解けなかった。サトウさんの分析と視線がなければ、私は書類をそのまま処理していたかもしれない。
「私いなかったら登記詐欺に加担してましたね」と毒を吐かれながらも、私はただ笑って受け流した。
やれやれ、、、こんな毎日でも、たまには活躍できるってもんだ。
やれやれ、、、これだから名前ってやつは
登記の世界では、名前こそがすべてだ。だがその名前が嘘だったら?その名を記した者が何者かを知らずに、印鑑を押す我々はただの機械だ。
でも、今日だけは少し違った。書かれた名前に、確かに人の影を見た気がする。
そしてそれを消すことも、また私の仕事なのかもしれない。