朝の依頼はいつも通りに始まった
合併登記の相談というが妙に具体的すぎた
朝9時、まだコーヒーの香りが事務所に漂う時間。スーツ姿の中年男が早足でドアを開け、資料をテーブルに広げた。
「この会社、合併する予定なんですが…登記、お願いできますか」
やけに準備がいい。依頼人は書類をすらすら説明するが、その“完璧さ”がむしろ引っかかった。
社名変更と代表者欄に違和感が残った
提出された定款には、社名の変更と新旧代表者の名が並ぶ。しかし、それがやけに曖昧で、法人の実態をつかませない。
書式は整っているが、なぜか「実在感」が薄い。
しかも、新代表の印鑑証明書だけが妙に日付が古かった。
サトウさんの冷たい視線が刺さる
「よく見てください」の一言が痛い
「それ、気づいてませんよね」
無言のまま書類を指差すサトウさん。彼女の視線はカチンと冷たい。
「印鑑登録カード、旧法人のものが添付されてます」
…やれやれ、、、朝から鋭すぎる。
古い謄本に記された奇妙な法人番号
念のため取得した履歴事項全部証明書には、現在と一致しない法人番号があった。
いや、番号自体は正しいのだが、そこに記載された設立年月日が明らかに矛盾している。
まるで、別の会社の履歴を無理やり貼り付けたような印象だった。
過去の登記をさかのぼって浮かぶ矛盾
十年前の合併と一致しない現在の構成
法務局のオンラインデータを遡っていくと、十年前に一度、大規模な合併が行われていた形跡があった。
ところが、その際に吸収されたとされる会社が、現在の登記に“別名義”で生き残っている。
つまり、合併で消えたはずの法人が、別人格として復活していたのだ。
代表取締役が二人存在していた日
奇妙なことに、ある一日のみに限り「代表取締役」が二名登録されていた。
片方は吸収前の代表で、もう片方は現在の依頼者。
システムのバグかと疑ったが、これは意図的に申請書類をすり替えた痕跡だった。
元野球部の直感が働く
「あれ?なんかおかしいぞ」の違和感
一瞬の違和感。
高校時代、サインプレーで感じた妙なズレと同じだ。帳尻が合っていない感覚。
机に広がる資料のひとつひとつが、微妙に「辻褄だけを合わせた」ものばかりだった。
別法人が吸収された記録が見当たらない
吸収元として記された法人の登記簿が存在しなかった。
存在していたとしても、数年前に抹消された“別の業種”の会社と名称が似ているだけ。
つまり、実際には合併の実態がなかった可能性が浮上した。
やれやれ、、、調査は夜に続く
法務局の閉庁後に届いた一通のFAX
夕暮れの事務所。蛍光灯の下、FAXがジリリと鳴る。
送信者不明の文書には、ひとことだけこう記されていた。
「その会社は、存在しない」
まるでコナンの犯人が残すメッセージのようだった。
匿名の告発状に記された社名に見覚えが
社名は、依頼者が持参した書類と一致していた。
だが、その社名は六年前に倒産し、清算結了した記録がある。
登記簿の記録と実体が、まったく異なる“別世界”になっていた。
サザエさんに似た名字の登記官の証言
「訂正の要請があったが断った記憶がある」
「その件、以前うちに申請来たけど、却下してますよ」
そう語った登記官の名は“フナコシ”。
彼の笑顔が、どことなく波平を思わせる。
彼の記憶によれば、一度却下されたはずの内容が、何故か後日すり替わっていた。
しかし記録にはその訂正が通っていた
不思議なことに、彼の担当部署を経由せずに、訂正登記が成立していた。
まるで、別の誰かが“裏ルート”で登記を通したかのように。
その訂正が決済された日、フナコシは病欠だった。
実体のない吸収会社の正体
使われた印鑑は既に失効していたものだった
申請書類に押された印鑑は、五年前に紛失届が出されていた。
それにも関わらず、今回の合併ではその印鑑が「正式なもの」として通っていた。
書類の真正性は、もはや全体がグレーだった。
かつて存在したが今は消えたペーパーカンパニー
吸収元法人は、当時から活動実態がなかった。
顧問税理士も存在せず、売上報告もゼロ。典型的なペーパーカンパニー。
そんな“空の箱”が、不動産を一棟丸ごと“持っていた”とされているのが最大の謎だった。
浮かび上がる偽装と利益供与の構図
帳簿にない土地がひっそりと移転されていた
調査の末、過去の登記簿にだけ載っていた土地が、合併の直後に移転されていた。
現在は第三者の法人名義で、代表者の名字が…なんと依頼人と一致していた。
すべては、帳簿にも残らない形で仕組まれていた。
元役員が受け取っていた退職金の名目
最後の仕上げとして、代表者の“前職時代”の退職金記録を調べた。
なんと、その額が、移転された土地の評価額とほぼ一致していた。
表向きは退職金、実際は不動産の裏取引。
最後の詰めはサトウさんの一言で
「それ、相続登記のフリしてますよね」
サトウさんがぽつりとつぶやく。
「実質的には相続で得た土地を、法人登記で“隠して”移転させてますね」
彼女の見立ては正しかった。合併登記は、偽装相続のカモフラージュだった。
不正な合併が組織的に行われていた事実
一件の登記では終わらなかった。背後には複数の法人、司法書士、税理士が関与。
すでにパズルのピースはすべて揃っていた。
あとは、正しい場所に置くだけだった。
登記簿に記された罪と消された名
司法書士としての一線を超えるかの葛藤
依頼者にそのまま報告するか、それとも調査結果を当局に提出するか。
心の中に渦巻く葛藤に、「司法書士ってなんなんだろうな…」とつぶやいた。
報酬か、正義か。その狭間でしばし悩んだ。
そして、見届けた決着の記録
最終的に、サトウさんが通報してくれていた。
「どうせ、シンドウさんじゃ迷ってると思ったので」
やれやれ、、、結局、決着をつけたのは彼女だった。
ただ、登記簿には確かにその日の記録が残っている。小さな正義の痕跡として。