誰かの昔話がまぶしくて自分がぼやけた日

誰かの昔話がまぶしくて自分がぼやけた日

誰かの昔話に心がざわつくことがある

司法書士として毎日忙しく働いていると、ふとした瞬間に誰かの成功談や昔話に心を奪われることがある。SNSを眺めていて「30代で独立して今では法人化」なんて投稿を見ると、こっちはまだ書類に囲まれて、昼飯すらゆっくり食べられないのに、と正直もやっとする。知らない誰かのまぶしい過去が、今の自分のささやかな日常を色あせたように感じさせる。そんな日は、自分を責めたくなる。でも、そう思ってしまうのも、無理はないんだと思う。

SNSのキラキラ投稿が目に刺さる夜

たとえば、夜な夜な事務所で登記書類をチェックしているとき、スマホで見かけたのは「司法書士から転身して月収300万」なんて投稿。別に羨ましいわけじゃない、なんて強がってみても、心のどこかがざわつく。キラキラした写真、成功の言葉、過去の挫折と劇的な復活劇。全部がまるでドラマのようだ。でも、こちらは明日の顧客訪問の準備に追われ、パソコンの前で眠気と戦っている。現実と理想のギャップが、疲れた心にじわじわ染みてくる夜もある。

「昔はすごかった」という武勇伝の破壊力

さらに厄介なのが、昔話というやつだ。特に、知り合いの士業の飲み会なんかで「俺が30歳の頃はさ…」と始まる語り。仕事が山のように舞い込んで、手取り100万なんてザラだった、という話を聞くと、「はいはい、それは良かったですね」とは思うものの、どこか心がざらつく。こっちは月末の支払いに毎回ヒヤヒヤしているというのに。過去の武勇伝が、今の自分を小さく見せてしまう。この破壊力、地味に効く。

比べてしまうのは自分が不安だからかもしれない

たぶん、人の過去に心が揺れるのは、自分の足元がぐらついているからなんだと思う。明日の売上、事務員の給与、自分の健康、どれも不安定なものばかり。そんな時に誰かの成功や輝かしい過去が目に入ると、「自分はちゃんとやれてるのか?」と自問自答が始まる。でも、その問いに明確な答えは出ない。だからこそ余計に、比べてしまう。見なくてもいい他人の過去を、つい見てしまうのは、自分が今を見失いそうになってる証拠なのかもしれない。

事務所の実務と無縁な成功談に疲れる

SNSや知り合いの語りだけでなく、ネット記事なんかにもよく出てくる「副業成功ストーリー」や「脱サラ起業で年収倍増」のような話。読んだ後に「よし、自分も頑張ろう」と思えればいいが、むしろ逆にしんどくなることが多い。なんせこちらは、土地の境界が数センチずれてるとか、遺産分割で親族が揉めてるとか、そんな泥臭い現場と日々向き合っているわけで。そんな現実と華やかな成功話を比べるのは、正直もう疲れる。

法律の世界は地味だが現実的だ

司法書士の仕事って、とにかく地味だ。書類の確認、ミスのチェック、役所への提出、クライアント対応。一つひとつが地味だけど、全部が重要だ。成功談みたいに派手じゃなくても、この地味さが人の人生を支えてると思う。でも、それを人はなかなか評価してくれない。だから、目立つ人や話題になる人にばかり注目が集まる。自分の仕事の価値を、他人と比べずにちゃんと見つめ直すことが必要なんだろうなと、思ってはいる。

理想と現実のギャップに飲み込まれそうになる

理想の司法書士像って、きっと人によって違う。でも、ネットや人の話を聞いていると、「バリバリ稼いでる」「メディアに出てる」「若手に慕われてる」みたいな理想像がいつの間にかできあがって、自分と照らし合わせてしまう。そうして、地味にでもちゃんと業務をこなしている日々が、なんだか「足りないもの」のように感じてしまう。気をつけないと、このギャップに心が飲み込まれてしまう。

自分の物差しを持ち直すために

人と比べないって、言うほど簡単じゃない。でも、だからこそ「自分だけの物差し」を持つことが大事だと思うようになった。今日はちゃんとお客さんの相談に乗れたか。書類にミスはなかったか。事務員に「お疲れさま」と言えたか。そんな小さな積み重ねが、自分の今を形づくってる。その積み重ねを大事にできた日は、少しだけ心が穏やかになる。他人の過去に引っ張られないように、自分の現在を見つめ直す習慣を、少しずつ身につけていきたい。

比べる対象は「過去の自分」でいい

今の自分を誰かと比べても、答えなんか出ない。だったら、過去の自分と比べる方がまだ健全だ。去年の今頃より少しでも業務がスムーズになったか、対応できる案件が増えたか、仕事終わりに感じる疲労感が減ったか。そんな変化をちゃんと感じていけば、「自分、ちゃんとやってるじゃん」と思える日もくる。誰かのドラマチックな過去じゃなく、自分の地味な成長に目を向けてみても、悪くないと思う。

今日を無事にこなせたらそれで十分

正直、特別な成果が出なくても「今日をちゃんと乗り切れた」だけで、十分えらいと思う。書類ミスなし、クレームなし、事務員と小さな雑談ができた、それで十分。そういう日をちゃんと「良い日だった」と認めてあげることが、心の健全さにつながる。大きな成功より、小さな平穏。それを大事にできるようになったら、他人のまぶしい過去にもあまり心を奪われなくなった。

派手じゃなくても価値があると気づく瞬間

この仕事は、スポットライトが当たることなんてまずない。それでも、誰かの「困った」に向き合い、無事に解決まで導けたとき、自分の存在が確かに役に立ったと感じられる。そんな瞬間こそが、自分の現在地の証だと思う。誰かの昔話がどれだけまぶしくても、今日の自分の歩みがまっすぐであれば、それでいい。そう思えるようになるまでには時間がかかったけれど、ようやく少し、そう感じられるようになってきた。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓